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2025年12月08日17:18

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IT’S NOT ME イッツ・ノット・ミー(C'est pas moi)

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イメージと音の奔流、間断なく入る文字・声・音楽。次々と引用される映画・写真・動画。
カラックスの記憶と思考の中に呑み込まれる、魔法のような42分。



 

パリの現代美術館ポンピドゥーセンターはカラックスに白紙委任する形で展覧会を構想していたが、「予算が膨らみすぎ実現不能」になり、ついに開催されることはなかった。その展覧会の代わりとして作られたのが『IT‘S NOT ME イッツ・ノット・ミー』である。
ポンピドゥーセンターからの問いかけは、カラックスの今いる位置を聞いたものだったが、カラックスはそれをもっと根源的に捉え直し、自分がどこから来てどこへ行くのかという答えのない謎に地の底から響くような低い声で口籠もりながら語ってゆく。家族について、映画について、20世紀と独裁者と子供たちについて、死者たちについて、そして「エラン・ヴィタル(生の飛躍、生命の躍動)」(ベルクソンの言葉)について。

ゴダール(1930-2022)の後期のエッセイ・スタイルへのオマージュではあるものの、ゴダールが思索的・分析的なのに対し、カラックスはずっと夢想的・連想的にみえる。ホームビデオから映画、音楽、写真とさまざまなジャンル、フォーマットの映像を夢の断片のようにコラージュしながら自身のポートレイトをプライベートにダイレクトに描く。そこにはストーリーも結論もないが、至る所に見る者の心を揺さぶる声や瞬間がある。難民の子供の遺体に重なるジョナス・メカスの声。留守電に残されたゴダールの伝言。娘のナスチャがピアノで奏でるミシェル・ルグランの「コンチェルト」のテーマ。主観ショットで捉えられた『汚れた血』のジュリエット・ビノシュ。『ポーラX』のギョーム・ドパルデュー(1971-2008)とカテリナ・ゴルベワ(1966-2011)。盟友だった撮影監督ジャン=イヴ・エスコフィエ(1950-2003)への献辞。その後で、不意に訪れる驚嘆すべき素晴らしい終幕――。すべてが親密で私的で詩的なカラックスからのメッセージだ。(公式ウェブサイトより)









<2025年5月5日 劇場鑑賞>

 和歌山のミニシアターで上映されていたもの。自分が凡人とは重々承知していますし、カラックスの世界が理解できるとは思っていません。それでも「ポンヌフの恋人」はそれなりに楽しめたし、最近では「アネット」も見たし、この「it's not me」は短編だし、見れるだろうと思ってました。



 結論から言います。何一つわからなかった。移り行く画像はわかります。本人だな、滑ってるな、とかジュリエット・ビノシュがブレてるな、とか。でも、だから何?そういうことを求めちゃいけないか。とにかく、やっぱりカラックスの映画は見る人を選ぶんだな、ってことでした。短編でよかった(笑)。
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