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2025年08月21日23:27

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「なぜ人を殺してはいけないの?」

 少し前、Twitterでプチバズっていた話題がある。それは、どうして人を殺してはいけないのかと親に問う子どもの話だ。人を殺してはいけないというのは大衆にとって当然のルールで、多くの人間はそこまで深く考える機会などないだろう。だからこそ、こういった子どもの無邪気な問いにスムーズに答えられる人間もまた少ない。
 そのツイートに書かれていた返答は忘れてしまったが、今回は私なりに人を殺してはいけない理由を書いてみようと思う。

 まず元も子もないことを言ってしまうが、別に人は殺してもいいのだ。何か謎のパワーによって殺人を禁止されているわけではないのだから、人を殺すのはそれぞれの自由だ。
 この世界には弱肉強食という食物連鎖がある。そのルールを基に生態系が築かれている。生物はみな常に何かを殺して生きている。逆にいえば生きるということは常に自分以外の何かを殺し続けることとも言える。そういう点で見たら、むしろ何かを殺すというのは生物としてごく自然のことだ。

 ただ、多くの場合、それは捕食者から被食者に対して行われる。
 同族同士で殺しを行う生物など、習性を除けばかなり限られるだろう。人間を除きパッと思い浮かぶのはイルカや類人猿だろうか。これがイルカだったかどうかは忘れたが、確か同種の中でいじめがあり、そのいじめによって命を落とす個がいるのだとか。海の生物だったと思うので、候補としてはイルカかシャチ……シャチはどちらかというと他の生物をいたぶって楽しむタイプだと思うので、確かこの話はイルカだったんじゃないかと思う。

 もしこの話が本当ならまるで人間のようだ。イルカは脳が大きく、かなり人間に近い知能を持っている。つまり脳が大きく、知能が高くなればなるほど残虐な性質を持ってしまうと推測できる。

 知能が高いということはつまり、わかることが多いということ。経験と知識さえあれば、何がどうなるかということがなんでもわかってしまう。人間よりも更に一回り大きな脳があれば、その脳はもはや未来視できるといえるほど先を見通せる知能を持つ可能性だってある。

 しかし一方でデメリットもあるだろう。大きな脳を支える肉体構造を持つ生物が存在することが出来るのか、という物理的な問題もあるが、それよりももっと大きな問題がある。
 それは「退屈」だ。それほどの知能を持って、未来視と呼べるほどの予測が可能になったら、起こる出来事がすべてわかるようになる。限定的に未来を知るとかでもなく、常に未来がわかってしまう。それってとても退屈なことじゃないだろうか。自分の人生において新鮮が失われてしまう。
 だからといって何も考えず使用する脳のリソースを減らした場合、普段から使っていない部分が多くなり、それはそれで退屈になってしまうだろう。慣れた単純作業を効率化した結果、余裕ができてしまい退屈になる状態と同じだ。

 つまり知能が高いというのは、それだけ人生が退屈になる可能性を秘めている。ましてや海の生物であるイルカなど、人間と比べて圧倒的に出来ることが少ない。人間は器用に動かせる手足があり、その器用さを活かせる知能がある。けれどイルカは知能のわりに手も足もなければ、陸で生きることもできない。肉体の構造的にイルカの生は泳ぐことと食事をすることしかない。
 イルカは手足を持つ自由を知らないから、それを羨むということはないだろう。しかし仮にもし人間がイルカになってしまったら、たとえ知能もイルカと同等になったとしても絶望するだろう。あまりにも生きている中で出来ることが少なすぎる。
 そんな退屈な生の中で何を楽しみに生きていけばいいのか、そういった時に出てくる選択肢というのが何かをいたぶることなのだろう。

 要は知能が高ければ高いほど生が退屈なものになり、刺激を求めて残虐なことをするようになってしまうということだ。

 ということは習性によるものを除き、地球上において最も多くの同族殺しを行っているのは人間だろう。人間は同族殺しが最もありふれている種族だ。

 ここでやっと「なぜ人を殺してはいけないのか」の問いに答えようと思う。
 これは非常に簡単なことだ。我々が同じ人間としてこの世界に生を受けたからだ。何言ってるんだと思われるかもしれない。けれど今さっき言ったように、個々の目的で同種を殺すのは人間のように知能が高い生物の特権だ。本来生物というのは総じて種の繁栄を目的として本能にインプットされている。種の繁栄とは真逆のことである同種殺しなどするようには設計されていないはずだったのだ。
 だからこそその種の繁栄に逆らう行為は行っていはいけない、生物という枠組みにある存在として、同種で殺し合ってはいけないのだ。

 しかしこれは答えの一つだ。私にとってはもう一つ答えがある。

 もはや人間は生物の枠組みには収まりきらない存在とも言える。人間はある時からこの地球上の生物として台頭してきて、あまりにも知能が高くなりすぎた結果、この地球上の生物の中で圧倒的頂点に立ってしまった。いまや世界中のどこにでも人間が存在し、未開の地などほぼ存在しない。もし世界を渡り歩くような動物が存在したらびっくりだろう。どこに行っても人間がいるのだから。もはや地球上……特に地上では人間がルールと言っても過言ではない。
 そんな人間が生物の枠組みを超えて、同種同士で殺し合いを始めた。その結果、誰が被害を被るのか……それはまさしく被害者だ。
 人は誰しも被害者になる可能性を秘めている。誰だって被害者にはなりたくない。だから先に相手を加害する。被害者を生み出さないようにするためには「私はあなたを殺しません、だからあなたも私を殺さないでください」と明文化する必要がある。

「殺されたくないから殺してはいけない」

 人を殺してはいけない理由なんてこれしかない。逆にいえば殺されてもいいのであれば、その者が人を殺そうとすることを止めることなんで誰にもできない。
 だから子どもに諭したいのであれば、そう答えるしかないだろう。倫理的、そして論理的観点の両方からその理由を説明する。そして最後は子どもの感性、判断に委ねる。大人が子にできるのはそれぐらいだ。
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