人は真の意味で自然に勝つことはできない。
今まで人類は、未開の地を開拓し、道具によって生物を狩り、領土を増やし、今ではもはや地上を統べる存在となった。
人は多くを克服し、寿命が伸びたことにより、戦争などという言葉が生まれるほどに多様性を有する存在となった。
人は増え続ける一方かと思いきや、必ずどこかで大量の死が起きるようになっている。
それは未曾有の自然災害や、未知の病原菌など……まるで増えすぎた人類を間引くかのように、突如現れては多くの命を奪っていく。
病原菌でいうなら昨今のコロナもそうだし、私が覚えているものだとデング熱?だっただろうか……それもそうだ。定期的に多くの命が失われるような現象が起こる。
そして我々はその発生に抗うことはできない。
何が起きるのか、いつ襲ってくるかわからない恐怖。一言で表すなら未知。我々を襲う自然の脅威は、人にはあまりにも計り知れない。
人という種の強さは集合知だ。集団で行動する他の動物以上に、人間は集団で戦うことに特化している。逆に言えば集団じゃないとまともに戦えないとも言える。
個人の力はあまりにも弱い。獣一匹まともに倒すこともできない。
だからこそ私は自然が怖い。
熊に襲われ殺されたというニュースを見る度、その被害者のその時の様子を想起し、感情移入してしまってしまう。飛行機事故のニュースを見る度、事故の直前の乗客の気持ちや機内の様子を想像してしまう。大震災が起きる度、大切な人を失った人の気持ち、津波に飲み込まれて必死に水上に上がろうともがく人の気持ち、建物の下敷きになり大怪我をしている中、数日飲まず食わずでずっとその場から動けない人の気持ちなどを想像してしまう。
何か悲惨なニュースを見る度、まるで当事者のように想像してしまい、明日は我が身と恐怖に怯える。共感性が強いといえば聞こえはいいが、実態はただ単に無駄に想像力が豊かでビビリなだけだ。
海が怖い、雷が怖い、獣が怖い、虫が怖い。私にはあまりにも怖いと思うものが多すぎる。
子どもの頃はそんなことなかった。海は全然平気だったし、雷もむしろテンションが上がっていた。獣も特に気にしたことがなかったし、虫は一部のもの以外は触れた。
けれど大人になって全部駄目になってしまった。海は入りたくない、できればわずかでも海に落ちる可能性がある船は飛行機にも乗りたくない。雷なんてほとんど害になることはないだろうに、家の中にいても自分の家に起きてきたらどうしようとビクビクするようになってしまった。雷が鳴り始めると自分でも情けないくらいに心が萎縮して縮こまってしまう。まるで小動物のようにだ。ストレスでお腹も痛くなってくる。けれど私は小動物のように可愛くはないので、大人の男がただただダサく悲しい。
とはいえどちらも、海洋恐怖症、雷恐怖症と名のある症例だ。生命を脅かしかねない根源的な恐怖。それを恐れるのは本能的には正しいだろう。それはそれとしてダサいという話だ。
ちなみに高所恐怖症でもある。同じくこれも小さい頃は平気で、東京タワー高層などの透明の床を平気で歩けていたが、今では万が一にも落ちたらどうしようと足がすくんでしまうようになった。
まあでもふと考えてみるとどれも恐怖症というほどきついかと言うとそこまでではないかもしれない。ちょっと大げさに表現してはいたが、気にしないようにすれば案外なんとかなる。雷だけはちょっときついが……。海洋恐怖症だって、わざわざ気にしなければいいのに勝手に気にして怖がっている。なんていうか怖いもの見たさみたいな感覚がある。怖さと興味が両立している。未知が怖いゆえに知っておきたいというのもあるのだろう。
成長するにつれ、多くを知っていくにつれて、その怖さを覚えてしまった。未知の恐怖を知ってしまった。
しかし大人になってからとは言ったものの、大人になってからもしばらくは大丈夫だった。なぜこうなってしまったのだろうか……? 考えてもわからない。
しかし人は、いや生物は、生きている以上その恐怖に怯えながら生き抜くしかない。
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