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2025年05月05日09:05

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京の碑めぐり:贈従一位名和長年公殉節所

歴史のなかには、時代の激動に身を投じ、短くも鮮烈な生涯を駆け抜けた武将たちが数多く存在します。その一人が、伯耆国(現在の鳥取県西部)出身の名和長年(なわ・ながとし)です。
名和長年は、鎌倉時代末期から南北朝時代初期にかけて活躍した武将です。生年は明らかではありませんが、彼の名が大きく歴史に現れるのは、後醍醐天皇(1288〜1339年)が隠岐島から脱出し、伯耆国の船上山に逃れたときのこと。長年は、危機に瀕した天皇にいち早く馳せ参じ、忠誠を誓いました。
やがて後醍醐天皇は倒幕を果たし、新たに建武政権を樹立します。名和長年も、その功績を認められ、政権下で要職を務めることとなりました。しかし、建武の新政は長く続かず、足利尊氏(1305〜1358年)が九州から勢力を盛り返し、京へ進軍してきます。
建武3年(1336年)、運命の内野の戦い(現在の京都御所周辺、大内裏跡地)で、名和長年は足利軍と激突します。必死の抵抗もむなしく、戦いは敗北に終わり、長年はこの地で討ち死にしました。
現在、内野には名和長年が戦死したと伝えられる場所を示す石標が建てられており、彼の忠義と壮絶な最期を今に伝えています。
時代の波に翻弄されながらも、己の信念と忠義を貫き通した名和長年。その生涯は、今なお私たちに「忠誠」と「覚悟」という言葉の重みを静かに問いかけています。
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