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2025年04月22日23:15

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名画と共に振り返る旧約聖書物語(1)エデンの園からヨセフまでのあらすじ。4月24日に110年の節目を迎えるアルメニア人追悼日に向けて(前編) アルメニア使徒教会、イスラエル十二支族 ノアの大洪水 ヨセフの教え

今回のテーマは、中東地域のアルメニア共和国である。1991年9月21日に、旧ソ連から独立し、ほぼアルメニア人による単一民族による国家として歩む。世界でもっとも早くキリスト教を国教とし、旧約聖書のノアの箱舟の漂着地とされるアララト山の麓にも暮らしていた。現在のアララト山はトルコとイランの2国に跨る。現在もなおアルメニア平原から望む雪を被ったアララト山を、アルメニア人は崇め祭っていた。実のところユダヤ人と同じ境遇を辿っていた。国を失い、民族が離散し、各地域にて商才を発揮し、富を築いていた。他民族から嫉まれ、迫害され続けてきたのである。今回は、アルメニア人の歴史と共に、旧約聖書の内容を紐解いていく。

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 目次
� �4月24日はアルメニア人の追悼日 オスマン帝国時代の強制移住政策から110年
�◆ゝ賁鸚蚕颪涼羶箸鯢害鬚い討い�
 第1章 ノアの方舟とは。現代世界で痕跡を探る
 第2章 堕落から抜け出せず、地上世界をリセット
 第3章 兄弟相容れず、別れの時を迎える
 第4章 ヨセフの運命 人を許すということ


� �4月24日は アルメニア人の追悼日 オスマン帝国時代の強制移住政策から110年


世界では、それぞれ異なる考えや文化を持った人たちが暮らす。時に価値観の違いから、歩みよれず、争いが繰り返されてきた。戦いになれば、「多勢に無勢」の言葉とおり、小さなコミュニティーは淘汰されていく。世界各地へ離散したアルメニア人は、肩身の狭い思いをしてきた。4月24日は、アルメニア人の追悼記念日である。2025年で丁度追悼日から110年のを迎えた。同民族は、ディアスポラ(ギリシャ語で分散して暮らす)として、ヨーロッパやアメリカ、ロシアを中心に暮らす。コーカサス地方には、人口299,1万人(2023年時点 世界銀行の統計より)による一つの民族が中心のアルメニア共和国を形成する。面積は29,800k�屐∋郵颪茲蠅笋簑腓�く、九州より小さい。

写真=アルメニアの位置関係 掲載元 CHRISTIAN TODAY 2017年11月21日14時26分
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アルメニア人の6割が今なお国外で暮らしているといわれている。ユダヤ人と共に、国を持たずに、世界各地域にて、それぞれコミュニティーを形成した。ディアスポラの歴史は、ユダヤ人より浅く、西暦1045年にバグラトゥニ朝アルメニア王国が、東ローマ帝国に滅ぼされた後である。地中海沿岸地域にて、海洋貿易に携わり、商人として名を上げた。東側の内陸地域にては、シルクロードを介した陸上貿易で成功を収めている。実のところ、ユダヤ人と同じく、世界各地で少数派ながら成功を収め、疎まれる存在だった。相次ぐ迫害により、悲惨な運命を辿る。

 1915年から16年にかけて、オスマン帝国の実権を握っていた統一と進歩委員会(別名青年トルコ党)は、帝政下のアルメニア人を厳しい管理下に置く。当時は第一次大戦下、枢軸側に立って戦ったオスマン帝国は、交戦国の連合国にアルメニア人の内通者がいると疑っていたのである。現にアルメニア人の居住区は、オスマン帝国とロシア帝国に跨っていた。当時帝政を率いていた統一と進歩委員会は、アルメニア人を取り締まるべく、知識人らを処刑する。大量に同民族が処刑された4月24日をアルメニア人は「追悼日」に定めた。

帝政内で暮らしていたアルメニアの一般市民は、アナトリア東部から、シリアの砂漠へと強制移住政策を実行した。水のない砂漠地帯を、憲兵隊に銃を突きつけながら歩かされた。死の行進と呼ばれる所以である。一説によると、100万から150万のアルメニア人が、強制移住に伴う、飢餓や病気で犠牲になったといわれている。生き残ったアルメニア人は、後により移民へ開かれたアメリカへ渡っていった。

 オスマン帝国は一次大戦に敗れ、領土喪失に伴う弱体化が著しかった。新たに1923年10月29日に、統一と進歩委員会のメンバーであるケマル・パシャが率いる大国民議会が、トルコ共和国として宣言した。世俗化主義、近代化を推し進めたケマル・パシャを初代大統領とする新しい国家が誕生したのである。

 トルコ政府は、帝政時代のアルメニア人の強制移住政策については、弾圧行為とは認めていない。あくまでも当時交戦国との内通者への取り締まりだと正当化した。世界各国のアルメニア人のコミュニティーが、過去に迫害されていたと訴えることにより、「強制移住政策」について、民主主義を重んじる首脳達の見方も変わってきた。2021年のことである。率先して、多様な人種を受け入れてきたアメリカのバイデン大統領が、4月23日に、ジェノサイドと認める考えを示した。翌24日の追悼記念日を控えるにあたり、トルコのエルドアン大統領に事前に通知した。106回目の追悼日に、オスマン帝国時代のアルメニア人への強制移住政策を「ジェノサイド」とする声明を出したのである。なお現職トランプ氏は
、一期目に「ジェノサイド」の見方を否定していた。

トルコのエルドアン大統領は、自らを帝政時代のスルタン(イスラム教スンニー派の王を意味する)の後継者と宣し、捲土重来を期して立ち上がっている。2015年4月25日のことだった。丁度アルメニア人による追悼100年行事の翌日である。自国のガリポリ半島にて、第一次世界大戦に関連した行事を開いた。1915年、後の共和国初代大統領に就任するムスタファ・ケマル大佐が指揮をとったガリポリの戦いが行われていたのである。英国がアジア進出への足がかりをつかむべく、ガリポリ半島上陸作戦を決行していた。

写真=2015年4月25日、ガリポリの戦い100周年記念行事の様子 当時のチャールズ皇太子{左側(現チャールズ3世)}とエルドアン大統領(右側)
掲載元 英語サイト https://www.aljazeera.com/
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ムスタファ・ケマル率いるオスマンの海軍が、上陸を食い止め、国土防衛を果たしたのである。後に軍の最高栄誉となるパシャの称号を得た。建国時には、父親を意味するアタチュルクと名々されたのである。当時英軍には、イギリス本国とANZAC、すなわち、オーストラリア、ニュージーランドの軍隊で結成されていた。21世紀になっても、トルコ共和国初代大統領を務めたケマル・アタチュルを称える声が寄せられている。ガリポリでの攻防について「騎士道精神によるフェアで潔い最後の戦争」として記憶された。

 1916年1月に英国軍の撤退まで続いた8ヶ月以上に及ぶ戦いにて、オーストラリア軍兵士約8700人、ニュージーランド軍兵士約2800人が、遠い異国の地で亡くなった。なおイギリス軍は、後方に控えたことにより、兵員の損失は最小限にとどまったとみられている。オーストラリアとニュージーランドの2つの国家には、兵士の犠牲を惜しみ、哀悼日と定めている。イギリス連邦の一国として、前線の弾除けとして、動員された経緯があった。

 2005年4月25日に行われた行事には、交戦国だったイギリスのチャールズ皇太子(現在国王)、当時のオーストラリアのアボット首相、ニュージーランドのジョン・キー首相も参加している。100年前の交戦国の首脳が揃うことで、融和的な雰囲気を演出した。

 詳細 2015年のガリポリ半島での追悼行事について 10M TV アルメニア人追悼式典の翌日にガリポリで追悼行事を開催より

 トルコは、隣接するアルメニアとは外交関係は途絶えている。2022年1月14日に、ロシアが仲介役になり、首都モスクワにて、アルメニアとトルコの間で懇談会を主催した。歴史認識の違いから、溝を埋めることはできなかった。両国の外務省は「議論を続けていく」ことで一致したとの声明を出した。アルメニアは、人口の8割がイスラム教シーア派で締めるアゼルバイジャンとの係争地「ナゴルノ・カラバフ」の帰属問題を抱える。トルコは、アゼルバイジャン軍を全面バックアップし、2020年9月27日から11月10日まで続いた第二次紛争で勝利を後押しした。21世紀になってもアゼルバイジャンは、軍事的に厳しい状況に置かれている。




 �◆ゝ賁鸚蚕颪涼羶箸鯢害鬚い討い�

 続いてアルメニア人が信仰してきたキリスト教やユダヤ教、イスラム教にも通じる旧約聖書の内容について、時に名画を持ち出しながら、紹介していく。


 北にジョージア、西にトルコ、東にアゼルバイジャンと接するアルメニアは、キリスト教の歴史には欠かせない国である。西暦301年の古代アルメニア王国時代には、キリスト教を始めて国教と化した。独自のアルメニア使途教会は、非カルケドン派正教会に属する。その所以は、東ローマ帝国カルケドン(現在トルコのイスタンブールのアジア側のカドゥキョイ地区)で行われた公会議(西暦451年10月8日から11月1日)にて、異端と弾劾されたからである。東ローマ皇帝マルキアヌスによって召集され、議長はコンスタンディヌーポリ総主教のアナトリオスが務めた。キリストに神性と人性の両方があることを確認した。
アルメニア使途教会、コプト(エジプト)、シリアの3教会と、その流れを汲む諸教会を含め、非カルケドン正教会派は、中東地域に集中する。

 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の教典となった「旧約聖書」を学ぶことにより、歴史を深く考察できる。第4章以降は、地質学の観点でトルコ南東部からイランの国境に跨るアララト山の成り立っていく。ノアの方舟の漂着地として真実味はあるのか、検証チームが立ち上がっている。



       第1章 ノアの方舟とは。現代世界で痕跡を探る

詳細 旧約聖書について VOPオンラインより  https://vopjapan.net/archives/column/9960

 イサクや12部族の祖について HTA BOOK STAND 2023年11月1日付
https://ohtabookstand.com/2023/11/zukai27-christianity-05/



 以下 エデンの園について 末日聖徒イエス・キリスト教会 第6章 アダムとエバの堕落 

旧約聖書の『創世記』6章-9章に記述のあるノアの方舟は、日本でも語り継がれている。始まりは、天地創造まで遡る。 神様は、自の子供たちの住まいとして、液体の水に恵まれた豊かな地球(ほし)を形作った。最初に神様から地球に宿されたのはアダムとイブだった。エデンの園と呼ばれた木の実が成る豊かな環境で、仲睦まじく暮らしていた。霊の世界において,アダムは天使長ミカエルと呼ばれていた(教義と聖約27:11;ユダ1:9参照)。アダムはサタンとの戦いにおいて義人を指揮するよう,天の御父によって選ばれている(黙示12:7−9参照)。アダムとイブは、我々人の最初の祖先になるように天の御父から言い付かった。アダムには次の言葉で祝福された。「わたしはあなたを立てて首長とした。多くの民族があなたから出るであろう。そして,あなたはとこしえに彼らを治める君である。」(教義と聖約107:55)

 写真=名画「人間の堕落のあるエデンの園」ルーベンス/ヤン・ブリューゲル共作 1615年頃 掲載元 ぬいの西洋美術冒険旅行より
https://nuis-daringjourney.com/the_garden_of_eden_with_the_fall_of_man/
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対照的に「すべての命ある者の母」だった(モーセ4:26)。人は独りでは生きてはゆかぬ(モーセ3:18。1コリント11:11も参照),神はアダムとイブを一つとみなした。現代でいう夫婦である。二人は永遠を誓い合った。

アダムとイブは、神の子として、エデンの園で不自由なく暮らしていた。死を意識することはなく、肉体自身は土の塵から作られ、地球が宿っている限り、永遠に続くとされていた。

 神は、より多様性を尊重するべく、アダムとイブに子供をもうけるように命じた。「生めよ,増えよ,地に満ちよ,地を従わせよ。……地に動くすべての生き物を治めよ。」(モーセ2:28)神は二人に,善悪を知る木を除けば,園にあるあらゆる木から自由に取って食べてよい,と言い付かったのである。善悪を知る木については,「あなたはそれを食べる日に,必ず死ぬ」と忠告したのである(モーセ3:17)。

神の御み心を理解せず,計画を阻害する意図を持つサタンによって、エデンの園は作り変えられる。エデンの園でイブに近寄り,善悪を知る木の実を食べなさい、と教え諭したのである。イブは、猜疑心を抱いた。木の実は、自然に宿った命、自らは口にしてはならない。アダムも当然ながら事態を知った。二人は、神の教えを説いて聞かされていた。サタンは二人に後押しするように「神のように善悪を知る者となる」と預言者になれると、そそのかしたのである(モーセ4:11)。エバは誘惑に負けて木の実を口の中に含んだ。一心同体のアダムも同じだった。神の教えに背いたアダムとイブの心情に変化が生じた。聖書で教えられた「堕落」である。掟破りのアダムとイブは、エデンの園から追放された。

 イブは、「全て命あるものの母」(創世記3章20節)である。彼女はカインとアベルの2人の子供を産んだ。二人の兄弟は、歩み寄れず、兄が弟を殺したのである。(創世記4章)アダムとエバは他にも息子や娘を設けた。アダムは930歳で命を落とした(創世記5章3ー5節)。

 写真=アダムの系図 掲載元 まなべあきらの聖書メッセージ 2019年7月24日付
聖書の探求(011a) 創世記5章 アダムの系図(エノクとレメク) https://chinosiokonan.com/archives/4792
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「カインがアベルを殺したので、神はアベルの代りに、ひとりの子をわたしに授けられました。(創世記4章25節)」

 アダムとイブの三男は、「セツ」と名づけられた。償いの意味が込められ、エデンの園を追放されたアダムとイブの堕落した傾向はみられたものの、信心深かった。セツは、我が子にも適切な教育を施した。神の言いつけを守るものの、代を重ねても、堕落した生活は抜け出せなかった。8代目メトシェラは、聖書の中で最も長寿となり、969歳まで生存した。(創世記5:27)187歳のときに孫のノアを設けている。イエス・キリストの先祖に当たり、崇拝対象とされた。息子レメク、孫のノアへと続く。


 第2章 堕落から抜け出せず、地上世界をリセット

 ノアの時代に転機が訪れた。地上には人が溢れ、暮らしも豊かになる。神様から送り出された子が、ノアの娘らの魅力に惹かれ、妻として娶った。規模が拡大するにつれて、世界は混乱を極める。天井の神様も見るに見かねて、手を打った。忠実だったノアとその家族、動植物には救いの手を差し伸べた。600歳のノアには、箱舟の建設を命じたのである。完成を待って、避難の猶予を与えると、地上世界をリセットさせるべく、雨を降らせた。

 
以下 参考 TURKISH Air & Travelより https://turkish.jp/blog/%E3%82%A2%E3%83%80%E3%83%A0%E3%81%A8%E3%82%A4%E3%83%96/?srsltid=AfmBOorE_qAaSRrugz6QKxzRKTP3RdTClk3M-eoy7M331mEeilfb5Qz9



 (創世記7章17ー19節)によると、四十日四十夜も降り続いた雨が病んでも、150日間逆巻く水によって、方舟は放浪を続ける。漂着したのは、アララト山だった。眼下には荒涼とした山々の峰が突き出していた。その先は茫漠たる大地が続く。ノアは、様子を探るべく、最初にカラスを、続いて鳩を放った。鳩は、嘴の先にオリーブを加えて戻ってきた。手ごたえをつかみ、もう一度鳩を放ったものの、戻ってくることはなかった。ノアは、神に感謝を示し、贈り物をした。鳩が持ち帰ったオリーブは平和の象徴とされる。
 

一説によると、ノアは、天地創造の人物アダムから数えて、10代目にあたる。全てを失った世界で、いちから世界を作り出す物語である。実はノアの方舟は、現在のユダヤ教やキリスト教、イスラム教の信仰にも通じる。

 ノアの息子の名前は、セム、ハム、ヤフェトで、洪水後に諸民族が登場する。(創世記10章32節)。

息子の一人、セムの家系からユダヤ教の神アブラハムが生まれる。アブラハムは、75歳時に神からの啓示を受けて、妻や甥を引き連れ、ユーフラテス川中流のハランから南に向かい、カナンの地に移住した。旧約聖書に基づくと、地中海と死海に挟まれたカナンは、聖書で「乳と蜜の流れる場所」と描写される。いわゆる、神がアブラハムとその子孫に与えると約束した土地だった。世界各地にユダヤ人が、散らばり、迫害を受ける中、旧約聖書のカナンの地に対する思いが募り「祖国回帰運動」が活発化した。

 写真=名画「カナンへの出発(アブラハムの出発)ヤーコポ・バッサーノ作 プラハ国立美術館所蔵 掲載元 旅オモ 2022年11月7日付
https://tabi-travell.com/abraham/
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さてアブラハムには、歳をとってから、息子に恵まれた。神はようやく授かったイサクと名づけられた息子を生贄としてささげるように命じる。忠実だったアブラハムは、神様の命令に従った。神が告げたモリヤの地に向かい、一つの山に登り、イサクに刃を向けた。神のお告げが下ったとはいえ、授かった我が子を差し出してもいいのか、誰しも疑念を抱く。神は、無抵抗な子供に刃を向けるアブラハムを思いとどまらせた。忠実心を認め、アブラハムの家族の繁栄を約束した。

 
第3章 兄弟相容れず、別れの時を迎える

詳細 落とし穴に嵌められ、エジプトへ連れて行かれる経緯 バイブルラーニングより
https://biblelearning.net/


イサクの息子たちの代になると、兄弟相容れず、仲たがいをする。弟のヤコブは、兄エサウを欺いて長子の権利を得た。兄エサウは、ヤコブを許せず、追放に処した。ヤコブは、一転して流浪の身となった。子孫繁栄を約束する神のお告げがあった。「神に勝利を得させよ」を意味するイスラエルと名づけられた。ヤコブは、はっと我に帰り、自身の行いを見直した。カナンに戻って兄と和解した。ヤコブの12人の子どもたちがイスラエル12部族の祖となった。

 写真=イスラエル十二支族 掲載元 聖書研究より https://w.atwiki.jp/trinity_kristo/pages/171.html#google_vignette
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ルベン,シメオン,レビ,ユダ,イッサカル,ゼブルン(以上はヤコブとレアの子),ダンとナフタリ(ヤコブとビルハの子),ガドとアセル(ヤコブとジルパの子),ヨセフとベニヤミン(ヤコブとラケルの子)(創世29:32−30:24;35:16−18)。

 父から寵愛されたのはヨセフだった。死期が間近に迫ったことを悟ったヤコブは、ヨセフを呼び寄せ、祝福した。ヨセフの二人の息子と養子縁組をすることで、2倍の相続を与え、長子権を正式に引き継がせたのである。

その儀式として、手を交差し、弟エフライムに右手を置いた。エフライムの子孫は、繁栄を遂げる。今のイスラエル部族の祖となった。ヨセフの二人の息子から、エフライム族、マナセ族の二部族が誕生する。

 詳細 ヤコブの儀式 鹿追キリスト教会より
https://shikaoichurch.com/2020/03/16/jacobs-prophecy/

12人の息子のひとり、ヨセフは、他の兄弟からうとまれつづけた。なぜなら、実直で情が深かったからである。夢の中での出来事を家族にそのまま伝えた。自分を伏し拝む内容だった。兄たちは、年下であるはずの弟ヨセフに心服することを否定した。父から敬愛される弟に、一計案じて、陥れる。

 ヨセフは父の言いつけで、遠出をして、兄達の様子をうかがった。無警戒のまま、兄達の働き振りを見学する。遠くから先に兄達がヨセフに目を留め、復讐を誓う。ヨセフを獣に食い殺されたように見せかけて殺害する手はずを整えていた。長男ルベンは、父が獣に対して敵愾心を抱くことを踏まえ、他の考えを提案した。落とし穴を作って、ヨセフを誘導するのである。陥没地帯にはまり込んで命を落とせば、事故死と断定される。自然の獣の名誉にも傷をつけることなく、ヨセフを見事に枯れ井戸のような落とし穴に投げ込んだ。兄達の陰謀により、落とし穴に嵌ったヨセフは、水も食料もなく、偶然通りかかる旅人を待つのみだった。


第4章 ヨセフの運命 人を許すということ

救いを求めるヨセフに気づいたのは、ミヤデン人の隊商だった。無防備なヨセフを助ける意図はさらさらない。奴隷として売り渡す目論見から、穴の中から引き出し、エジプトへと運んだ。

写真=ヨセフの辿った経路の解説図 掲載元 富谷教会ホームページ・礼拝説教 2013年11月10日付 https://blog.goo.ne.jp/munehemmi/m/201311
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売買先は王の侍従長ポティファルだった。与えられた権限の一つとして「死刑執行官の長」との説がある。容姿端麗で博学なヨセフは、主人の妻からも目をかけられた。財産管理を任され、奴隷の身分ながら、全幅の信頼を寄せられていたのである。主人の妻は、忠義新の強いヨセフには厄介な存在だった。主人にお忍びで言い寄られていたのである。ヨセフは、人妻には全く興味を示さず、部屋に呼ばれても、用事を済ませれば、すぐに立ち去った。不幸にも、脱いだ上着をそのまま置いていってしまった。叶わぬ恋に嫌気がさして、妻はヨセフに制裁を下す。主人に上着を差し出して、危害を加えられそうになったと訴える。愛する妻のため、ヨセフを野放しにはできない。妻の計略により、ヨセフは牢獄へ閉じ込められた。奴隷としてエジプトに連れてこられても、有らぬ嫌疑をかけられ、束縛されてしまった。自由を奪われながら、同じ境遇の人々と出会い、活路を見出した。献酌官と料理官については、対照的な運命になると予言した。料理菅は殺害され、人生を終える。一方献酌官は晴れて自由の身となり、元の職に戻された。献酌官に向っては、預言者として登用してくれるように請願する。献酌官は、ヨセフの言葉を忘れていた。当時エジプトのファラオは、悪い予感を抱いていた。夢の中で記憶もはっきりとしなかった。その旨を伝えられた献酌官は、ようやくヨセフを思い出した。ヨセフは王の前に連れ出された。ファラオの夢は、7年間の豊作と飢饉が訪れるとのことだった。

写真=名画『ファラオの夢を解き明かすヨセフ』作者アントーニ・ファン・モントフォート 所蔵 ユトレヒト中央博物館、オランダのユトレヒトより
掲載元 はてはてマンボウ 教養回遊記 2023年2月12日付
https://hatehatemanbou.com/joseph-2/
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ファラオは、予言的な夢を言い当てたヨセフを重宝し、次官へと任命したのである。聖書によると、この時ヨセフは三十歳であったと記されいる。エジプトへ連れられ監獄に入ったのは十七歳である。三十歳までの十三年間、自由を奪われた。神への敬愛心は忘れず、再び開放され、王の次の位に任命された。
最終的に司政者にまで上りつめ、兄を含め一族をエジプトに呼び寄せた。ヨセフは、殺害計画を実行に移した兄を許したのである。

 以下 小手指アライアンス・キリスト教会のページより 2024年5月5日付


マタイの福音書18章21節「そのとき、ペテロがみもとに来て言った。『主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。』」22節「イエスは言われた。『わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。』
                            
 ペトロとは、カトリック教会において使徒の頭。イエス・キリストの教えを受けた最初の一人とされる。信者には、ヨセフの運命を説いて聞かせていた。ヨセフは、数奇な運命について「神の導きに拠るものである」と確信していた。

 ヨセフの人生を通して「赦しと和解」は、特定の宗教を超えて、全人類の共通のテーマである。聖書の世界は、時を越えても人々に教訓を与え続けていた。次回、ヨセフが兄を許すきっかけになった弟ベニヤミンとの関係性や、カナンの地への帰郷を目指すモーセを紹介する。
      
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