上総の歴史探訪をした一週間後、今度は一部界隈で話題沸騰の富津市石田村(ここも上総国)へ行って来ました。
実は前週行く予定でしたが、雨天の為に予定変更して歴史探訪ツアーとなっていたのです。
ここは房総半年を大きく東西に横切る清澄山系が北側に出っ張った場所であり、北には湊川を挟んでマザー牧場で知られる鹿野山、南には昨年2回登ったトビ岩山が有ります。
千葉県の山ですからたいした高さではないものの、急峻な地形が多く、今回の石田村も外からでは見えない窪地に謎の巨石地帯が広がっているのです(@ ̄□ ̄@;)!!
実は、富津市の巨石云々といった動画を以前何処かで見ていたものの、失念してしまっており、アレは何処だったか…とずっと気になっておりました。
その時のとは別の動画ですが、石田村北西の天羽城(あもじろ)山と絡めた動画を見つけ、急遽情報を集めて行って来た訳です。
https://www.youtube.com/watch?v=sx7_BPidjEs
先ずは見性寺で山行の安全をお願いし、登山口へ。
周囲は農地ですから、ここを通る際は害獣避けの柵をキッチリ閉める事は必須です。
登り始めて間も無く登場するのはアンゴ岩。
アンゴとは蛙を指しており、同名の岩は南房総市の経塚山にも有りました。
天羽城山のアンゴ岩はたぶんコレでしょうか。
ところどころ崩落の跡らしきところも有りますが、特段危ないという程でもなく、意外にアッサリ登頂です。
天羽城は上総介広常の弟による築城と言われているそう。
上総介広常という呼び方は分かりませんが、察するに源頼朝家臣で後に粛正された千葉氏一族の上総広常でしょうか。
この登山道や山頂にもこのようなモノが有ります。います。
前述の動画では石田村の住人と呼ばれておりました。
何処までが天羽城の曲輪なのかよく分かりませんが、山頂の平場だけでは手狭過ぎますから、少し下までそのエリアだったのでしょうか。
次はいよいよ石田村へ向かいます。
余談ながら、石田村という名称は富津市の現存地名だそうですが、その範囲に住人は皆無です。
そして目指す巨石地帯の北半分ほどが石田村領域であるらしく、一般(極めて狭い一般)には石田村の巨石地帯で通っているものの、房総の樹海などとも呼ばれているよう。
何はともあれ、その石田村へは登って来た尾根をしばらく戻り、途中の大岩上で分岐する尾根に向かいます。
ここも意外に良好な道でした。
石田村の住人が見守る中、途中の大岩で昼食としました。
稜線上は風が強かったので、カップラーメンは断念し、オニギリを戴きました!
昼食後は周辺を少し歩いた後、いよいよ石田村の窪地へ下って行きます。
窪地の底までそれほど高低差が有る訳ではなく、間も無くかなり広い平場に着きましたが、倒木も少なくありません。
森人(もりんちゅう)という名だったよう。
基本はネットから拾って来た過去にここに来た人のログを基本に歩いており、反対側から出っ張っている尾根を左側の端から回り込んで登って行くらしい…
そしてこの窪地は迷い易いからか、ピンクテープのマーキングがあちらこちらに有りました。
登山道では盲信しない方が良いピンクテープですが、山仕事などで利用されている場所とも思えませんから、ここでのピンクテープは信用して良いでしょう。
溜め池跡?らしき場所を通り、尾根の端から高度を上げて行くと、この尾根の丁部へ。
そして、登る途中に見えた反対側へのピンクテープの方へも行ってみました。
こちらは想像とおり、窪地の周りを囲む岩尾根に出ます。
右手に登って行けるようになっていますが、こちらは特に何か有りそうもないので、先人のログデータを元に、丁部に登った尾根の左側=西側へ向かいます。
おぉーーっ(@ ̄□ ̄@;)!!
先ほどの尾根も岩と言えば岩…しかし巨石という印象ではないよな…
そう思っていたのですが、遂に巨石地帯にここで到達!
スゴイ!
どれだけ広がっているんだ(@ ̄□ ̄@;)!!
全て自然のものがなのか、それとも人の手が加わっているのか?
正しく異世界感たっぷりな場所でした…
またいつか再訪しないと!
さて
この場所は最短距離で向かえばさほどハードではなさそうです。
しかし、そこは朝に利用した入口と異なり「登山口」ではなく、所有する人がいる農地を通る事になります。
そこを通るのが禁止とされている訳ではないものの、大人数は避けた方が無難かと。
まして駐車スペースが有る訳ではありません。
我々も使ったルートが正規ルートと言えそうですが、それなりに時間はかかります。
更に巨石地帯=房総の樹海には穴が多く、危険が有る場所でもあり、ソロはもっと避けるべきですが、まぁ4〜5人がベストでしょうか。
山歩き、地図読みに自信無い人が気楽に立ち入る場所でない事は、明言しておきます。
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