<3月2日(日)テーマ曲「気楽に行こう」>
ひな祭りに合わせて、自転車に乗り、横浜市湖北区大倉山、鶴見区三ツ池公園を経て、西洋館巡りをした。テーマ曲は、1995年3月10日にリリースされたZARDの6thアルバム「for ever you」に収録された「気楽に行こう」である。ZARD坂井泉水の歌詞の制作秘話と共に、旅物語を描く。旅物語において、「第2章 山手西洋館へ」では、写真展を開催したグループとの会話についても取り上げる。東日本大震災から14年を前に、会場に訪れた私に福島県双葉町の「双葉バラ園」に通い続けていたことを伝えていた。原発事故が重なり、人々が避難生活を余儀なくされる中で、バラ園は放棄せざるを得なかったという。今なお遠い復興事業についても検証する。
歌詞 気楽に行こう!掲載元 uta-net
https://www.uta-net.com/song/11868/
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目次
� �ZARD 坂井泉水の製作秘話
�◆[絞�語 2025年横浜ライド2回目 3月2日(日)テーマ曲「気楽に行こう!」
第1章 大倉山公園 三ツ池公園 梅や早咲きの寒桜に彩られて
第2章 山手西洋館へ
第3章 山手西洋館巡り 続編 根岸森林公園、三渓園へ
第4章 Cメロのサビ 夜景 汽車道
� �ZARD 坂井泉水の製作秘話
「気楽に行こう!」は、ギターやドラム、ベースなどバンドを構成する楽器と共にシンセサイザーが作り出す爽やかなメロディーラインに乗り、坂井泉水はテンポよくうたう。2025年2月から、翌年のデビュー35周年にあわせて、ZARDの坂井泉水のプライベートや歌詞の制作逸話を盛り込んだ隔週刊誌が発行された。その名は「ZARD PREMIUM DISC COLLECTION 永遠のスタンダード・ナンバー」、すでにVol.2まで刊行された。
写真=「ZARD PREMIUM DISC COLLECTION Vol.1」の表紙 私の所有物
Vol.2,P11「MY MEMORY 私とZARD」のコーナーでは、坂井泉水のデビューに向けたオーディションについて書かれている。その私とは、プロデューサーの長戸大幸(だいこう)氏を指す。大きな濃い黒字で「運命の出会いとなったオーディション」との見出しがつけられ、やや小さめの字で長戸大幸氏が、坂井泉水との出会いを綴った。初めて出会ったのは1990年夏のオーディション、ちびマルコちゃんの主題歌「おどるポンポコリン」を世に送り出したB.B.クィーンズのコーラスの選定だった。坂井泉水はアン・ルイスの「六本木心中」とテレサ・テンの「つぐない」を歌った。長戸大幸氏の印象として「とても歌が上手かった」とのことだった。オーディションの合格者は3名、Mi-Keというユニットを結成した。審査の末に、坂井泉水は4番手だった。ユニットのメンバーから外れたものの、審査員の一人として、彼女の将来性を見出した。直接声をかけて、デビューへ向けてプロデュースする。当初の構想は、洋楽の女性ヴォーカルバンド「ブロンディ」のようなアーティストのJ-POP版だと明かした。彼女がオーディションで披露したロックシンガー、アン・ルイスとポップシンガー、テレサ・テンを掛け合わせ、カラオケしやすい曲を発表する予定だった。ヴォーカルのコンセプトについては、坂井泉水の容姿を踏まえて、決めたという。プロデューサーは、本誌で次のように語っている。「坂井泉水さんというと、儚げで大人しい、無口なイメージがありますよね。これは彼女のもつもともとの要素だけではなく、ZARDとしての方針・コンセプトといえます。(中略)自分のことを優先して能動的な生き方を選らばない、いわゆる昭和の女。これを最初にコンセプトとして決めたので、坂井さんの書く歌詞の世界は終始一貫していたわけです。」
実際坂井泉水が、デビュー5年後の1996年まで暮らしていたのは秦野市、ブレイク後もしばらく、小田急線に乗り、都市部へと通い続けていたのである。確かに歌詞のテーマには、それぞれ共通点があった。互いに惹かれあう男女は、べったりせず、程よい距離感で過ごしていく中で、距離を縮めていくのである。また失恋の悲しみに打ち勝つ、精神的に強くなった若者像も描いている。彼女のコンセプトは昭和の強い女、右肩上がりの経済成長に助けられ、人生躓いても、やり直しが利く時代だった。旅のテーマ曲に選んだ「気楽に行こう!」は程よい距離感で付き合う男女の姿が見える。今回、坂井泉水が、オフィシャルファンクラブ「WeZARD」の取材やミュージックヴィデオの撮影で何度も訪れた神奈川県横浜市が舞台である。私が3月2日(日)に直接足を運んだ湖北区大倉山公園、鶴見区三ツ池公園、中区山手西洋館、根岸森林公園、三渓園の様子をレポートした。
�◆[絞�語 2025年横浜ライド2回目 3月2日(日)テーマ曲「気楽に行こう!」
第1章 大倉山公園 三ツ池公園 梅や早咲きの寒桜に彩られて
リンク 三ツ池公園 地図
https://www.kanagawa-park.or.jp/mitsuike/map.html
3月2日(日)翌日のひな祭りを控えて、日本各地では雛壇が飾られていた。普段は陽の光に当たることない雛人形達も、この日にあわせて、一段と脚光を浴びる。最初に訪れたのは、東急田園都市線の駅名の由来となった「大倉山公園」である。駅から西北へ徒歩数分、険しい坂の上にある園内の裏手に梅園が設けられていた。坂道を自転車で登ること、途中ブレーキがかかったかのように動かなくなる。ギアを下げて、少しずつ進んだ。梅園内では、尾根から谷戸部にかけて、46種類、合計220本の木が並ぶ。

早咲き、中咲き、遅咲きと順々に咲くことで、見頃は長く続く。馥郁たる梅の香りは、お淑やかで、気高い女性像が漂う。池の辺に咲くピンクのしだれ梅は、紋付き袴のように高潔の士を表しているようである。

ZARDの「気楽に行こう!」は、付き合っていた恋人と一旦離れ、自由に生きる若者像が見える。
写真=気楽に行こう! のMV 掲載元 tiktok
https://www.tiktok.com/@zado_fami/video/7370952334471367952
全詞掲載
「気がつけば私 さっきから鳴らない電話ニラんでいる。」
一人家にいて、電話と向かい合っても、変化がなく、ただ一日が過ぎていく。
「少し手加減してもいいのに 長い付き合いって 素直じゃいられなくなるわ」
悶々としていても前に進まない。
「小さな空にため息ついた」
色鮮やかな梅は、心をときめかせてくれるものの、空に雲が発達した影響により、やや寂しい印象を与えてしまう。天気予報を確認すると、この日は概ね晴れである。気温が上昇し、薄日も差してきた。
期待を胸に自転車に乗り、続いて鶴見区の三ツ池公園へと向った。池を取り巻くように広がる高低差のある園内は、桜の名所として、全国誌に紹介される程、横浜市内を代表するスポットである。パークセンターの職員によると、園内を彩るのはソメイヨシノとヤエザクラである。池を縁取る桜の木は、枝がむき出しの状態で続いていた。季節を通して変わらない一画は、池の南側に設けられた「コリア庭園」、1990年に神奈川県と韓国京畿道との友好提携を記念して造られた。格調高い木造母屋の外観は日本の古い寺院を彷彿とさせる。韓国の寺院といえば、黄色や緑、青を装飾し、カラフルな色合いが特徴的だった。中を確認したところ、日本の江戸時代から続く民家と変わらず、農機具が展示されていた。質素倹約な一家の暮らしから、庶民的で、より親近感が持てる。東シナ海を挟んでお隣同士、文化の共通点を持っていた。

サビの歌詞
「気楽に行こう。今は 追いかけたい気持ちにブレーキをかけて」
パークセンター前には一本だけ河津桜の木が植わっていた。冬の寒さの影響により、蕾から花開いたばかりだった。ちょうど雲が取れて、日差しが照ってきた。背後の建物内のガラス板が程よく日光を反射する分、ピンクの花びらが、可憐な妖精のように映った。
「忙しさに寄りかかりたい 風が止まった 明日はきっと笑顔が似合う」
一人家に閉じこもっていると、寂寥感から、恋人の姿が過ぎる。こうして、春を感じに、自転車に乗りながら、公園めぐりをしていると、しばしの間忘れることができた。
<Aメロ終わり>
パークセンターの職員に教えてくれたとおり、上之池の辺に、等間隔で寒桜の木が育っていた。花びらが薄く、太陽光を透過する。小波が立たず、湖面にも映り込んだ。

生垣には、緑の葉の合間から赤い椿の花が開いていた。「謙虚な美徳」の花言葉から、恋は真摯な姿勢で向き合い、誠実さ示すことで、成功する。ポジティブな気持ちを抱き、公園を離れた。

第2章 山手西洋館へ
駐車場に接する正門を抜けて、コンクリートで舗装された急坂を上り、若干迷いながらも、国道1号へ出た。
山手西洋館までの距離10km以上、最後は、最大斜度12%、長さ300mに渡る谷戸坂を登り、みなとの見える丘公園へとたどり着いた。この日の最高気温は22度、さすがに体内から熱を発散することにより、薄い上着を脱いで、軽装で散策した。
西洋館は、ひな祭りにあわせて、2月28日(金)から3月3日(月)にかけて、桃の節句装飾が行われていた。
初めに訪れるのはイギリス館、2階のダイニングルームの窓際には、ひな壇が並ぶ。シールのカーテンがかかったサンルームは、程よく日光が当たる。雛人形達は、袴を纏ったまま、来園者を見据えているようだった。その場には装飾者も居合わせた。普段自宅で装飾品を保管しているという。もう一つのベッドルームには、子供用の衣装を添えていた。ベッドの上に袴を広げ、足元の一段高いテーブルには、鞠を置く。健やかに子供の成長を祝うひな祭り、ささやかな家族の日常が見えてきた。

同じ公園内の山手111番館は、テーブルを片付け、開放的な空間を作り出していた。装飾者と生徒が作成したつるし飾りが、来園者の目に留まる。装飾者の木藤千代子氏は、2024年に、隣のイギリス館の正月飾りのコーディネーターを努めた。茶道の先生として、多数の生徒を従える。この日1年2ヶ月前と同じく浴衣姿にマスクを着用していた。「いらっしゃいませ!」と来園者を丁寧にもてなし、関係者用の2階へと登っていった。隣の部屋で来園者を案内していた年配の係員の方に話をうかがうことができた。つるし飾りは、「神の使い」、「長寿の象徴」と演技の良い代物として受け継がれている。暖炉の前に釣り下がる、ねずみやコイなどの動物や七福神の姿を見て、感情移入した。

案内者から、沢山の子供を産み育てるネズミについて「子孫繁栄の縁起よい干支」だと教えてくれた。窓際のサンルームには、食事風景が再現されている。2024年の正月装飾時に使用された輪島塗の骨董品を手前に置き、お雛様とお内裏様を引き立てる。生ものを使わずに、全て手作り製品だった。先生と生徒が丹精をこめて作った作品は、健やかに成長を見守る子供への暖かいまなざしを感じることができた。
山手通りを走ること、左手に見えてくる山手234番館の敷地内に自転車を止めて、向かい側のエリスマン邸、ベーリックホールと梯子した。
山手234番館は、1階の2室のみ開放されている。オレンジのナトリウム光に照らされた暖炉のある一室には、4人がけのテーブルを使って、装飾品を並べる。ミニチュアサイズの茶碗、急須を含め和食器と活花、端に用意された西洋から伝わったシャンパンが競演する。花を慈しむ高貴な家柄の食卓は、和と洋が折り成す宴を迎える。隣の控え室には、婦人用の袴や帯が飾られていた。いかにも外国の要人らしい暮らし振りをうかがうことができた。

2階では、恒例の市民サークルによる写真展が開催されていた。団体名は「横浜ばら写真の会」、メンバーは、スーツを着込み、髪を綺麗にとかし、バラの花言葉どおり、高貴な婦人を髣髴とさせる。対面での接触を極力避けるようになったコロナ禍以降、オンラインを通しての活動にもシフトしたとのことである。作品の撮影は許可していただいた。他者の作品を見て、批評することにより、自分の技術向上につながる。展示されたパネルに関して、光を反射することにより、上手く写せなかった。幸いにも、メンバーが先生と呼ぶ方の作品は、上手く写真に記録することができた。
ホームページ 横浜ばら写真の会
https://www.yokohamarosephoto.com/
私を主に案内してくれた方は、ミラーレスで撮影しているという。陽が傾きかけた際に、淡い色になるタイミングが、撮影に最も良い、語っていた。受付にいた一人の年配の方は、東日本大震災の復興事業を気にかけていた。その場所は、原発事故に伴う避難区域に指定された福島県双葉町にある「双葉ばら園」である。実のところ2011年6月に、世界バラ会議の開催を控えていた。震災の影響により、もちろん中止である。震災前の姿は、西洋庭園風に、入り口にはバラのアーチを設置した。中には丁寧に刈り込んだ松の木を配し、中心に富士山を髣髴とさせる複数の品種が競演する小山を設けた。園主の岡田勝秀氏が、40年かけて、独自のアイディアを生かして作り出した世界である。原発事故に伴い、花の植え換えから、剪定作業を含め、放棄せざるを得なかった。事故後、園主が亡くなり、すっかり荒廃した。横浜バラ写真の会のメンバーは、原発事故前に毎年通っていたという。地震と原発事故により、失ったバラ園を後世に伝えるべく、2015年には同地をテーマに、写真展を開催した。
詳細 定年時代 平成28年2月号
http://www.teinenjidai.com/yokohama/h28/02/index.html
写真展開催から9年の歳月を経ても、復興のシンボルとして、「双葉ばら園」の再開事業を諦めていないという。震災から14年、時が立つと人々の記憶は薄れがちである。メンバーは、長く通い続け写真を通して、今なお人々に訴えている。
横浜バラの写真の会のメンバーと別れ、山手通りを横切り、エリスマン邸を訪れた。ダイニングルームには、輪食器の合間に、お雛様が置かれていた。お茶碗の上にちょこんと居座るお雛様は、チューリップから産まれた親指姫と重なって見える。髪の毛を綺麗にまとめあげ、裾の長い袴姿から知的で高尚な人柄を想像した。優艶な漆器で暮らしを彩っていた。

その隣のベーリックホールは、カーテンが開けられ、大きいガラス窓から日差しがたっぷりと差し込んだ。お姫様と右大臣の両脇に添えられた活花が、日の光によって、艶を帯びる。明かりが照っていると、白塗りの雛人形達もりりしく見える。まさに光が作り出す表情の変化を感じ取った。

第3章 山手西洋館巡り 続編 根岸森林公園、三渓園へ
山手234番館へと自転車を取りに戻り、山手通りを高台の根岸森林公園を目指して走る。途中フェリス女子学園を左手に曲がり、山手公園内のテニス発祥記念館と旧山手68番館を見学した。
気楽に行こう!は、一人旅する青年の素直な心情を綴っている。
「コンクリートに膝を抱えて座ったら 世の中が見えた」
じっとしていると、確かに深く物事を考えるようになる。自転車を引っ張って園内を歩き、ふと立ち止まると、歴史を振り返る。実のところ、山手公園内は、日本におけるテニス発祥の地、およそ150年前に、高台の山手地区に滞在した外国人が、故郷のイギリス発のテニスを懐かしみ、コートを設けた。その際、慰留地に在住する外国人によって、初めてヒマラヤスギが植えられた。高さは10m以上、葉を茂らせることで、夏間は容赦ない日差しから保護してくれる。
「人ごみの視線が私の肩を抱くけど ああ こうしていたい気分なの やっぱりあなたに会いたい」
周りに手をつないで散策するカップルらが行き交うと、恋がうまくいかない自分は、取り残されたような感覚を抱く。ただし、何かに打ち込むことで、寂しさを紛らわせることができる。公園の入り口付近に鎮座する黄緑色の木造一軒屋から成る記念館は、山手西洋館にあわせて、イベントを企画する。
詳細 山手公園 テニス発祥記念館 桃の節句より
https://www.hama-midorinokyokai.or.jp/park/yamate/details/post-418.php
プロのコーディネーターが企画する山手西洋館に比して、テニス発祥記念館は職員が創意工夫を凝らし、身近なインテリアを利用して、作品展示した。2024年10月のハロウィン時、館内が作り出した精巧な表現力には、訪れる人々をあっと驚かせた。当時のテーマは「いたずら魔女」、来園者が呪文を唱えると、装飾された蝋燭が一本を残して、複数本消えていくのである。実に不思議な世界へといざなってくれた。募金箱にお金を入れる代わりに、飴セットを戴こうと、職員が作業するドアをノックした。やがて、職員が「だれか呼びましたか?」と訪ねてきた。その場から離れていた私は手をあげた。とても慎ましくて、ユニークな雰囲気から、10月20日のハロウィンの装飾時に立ち会ってくれた職員だとわかった。私は早速お尋ねした。予算や時間が限られる中、エコを意識しながら、実にユニークな演出を繰り出してくれたと、感謝の気持ちを伝えた。当時は魔女に扮して黒尽くめのマントとハットを被った職員は、普段着で顔を出してくれた。「次五月の端午の節句の装飾時も準備を頑張ります」と答えてくれた。
同じ公園内のテニスコート利用者の控え室をかねる「旧山手68番館」は、奥まった部屋にひな壇が飾ってある。現代の手狭な家にあわせて、サイズダウンしているものの、花柄の紋付の扇子、壁に貼り付けられたオレンジの花から、春の息吹を感じた。
山手公園から、西洋館巡りのゴール地点となるJR石川町駅方面のイタリア山庭園内の「ブラフ18番館」と訪れた。
1階のダイニングの一室は、壁際にお姫様と右大臣が並び、4人がけテーブルに輪食器を並べる。据えられた花瓶から、日本伝統の簡素ながら優美な食事風景を演出していた。エコが求められる時代、食器を再利用し、箸の使い方にもマナーが求められる。ペパーミントグリーンの窓枠に彩られ、程よく日光を通していた。お姫様と右大臣は、微笑を投げかけているようだった。

隣の外交官の家は3月末まで改修工事中、5月の端午の節句の頃は、1年ぶりに全7館がが開放される。
自転車に乗り、坂の上に位置する「根岸森林公園」へと向った。
サビの歌詞:「気楽に行こう 今は 目の前にあるそれぞれの夢を ひとつずつ積み上げていこう」
疲れによって、緩やかな上りでも、足に負担がくる。西洋館の職員から公園内は満開の梅が出迎えてくれると聞き、期待感の方が疲れを上回った。
「変わってしまったのは、あなたじゃなく私なのかもしれない」
誰にも邪魔されず、自分で日程から行き先を決めて動くことにより、限られた時間で効率よく回れる。一人気ままな暮らしに慣れてしまった。
<Bメロ終わり>
根岸森林公園内の梅園は、緩やかに高低差のある旧競馬場跡地となる円形芝生広場の一角に設けられていた。大倉山公園のように、紅梅と白梅が競演を果たす。しっかりと剪定され、枝先についた花が、青い空によく溶け込んでいた。周囲には家族連れがボール遊びに興じている。花の観賞とスポーツを両立できる、程よい環境だった。

午後4時、海沿いの本牧町にある三渓園に足を運んだ。閉園の午後5時を意識し、シンボルの五重の塔と梅の構図を狙う。白梅越しに、五重塔が聳え立つ、日本画を髣髴とさせる1枚である。

岐阜県高山町荘川町から移築した「旧矢箆原家住宅」は、雪深い地方独自の合掌造りの母屋である。年季の入った2体の雛人形が、置かれていた。そのうちの一体は、大正時代のものだと表記されていた。当時職人の技術が高く、精魂こめて作ったことにより、人形達、一体、一体、異なる表情をする。奥ゆかしい日本母屋で、人々の成長を見守ってきた。西洋館とは一転した日本の伝統建築物が残る三渓園で、遠い昔に思いを馳せた。

第4章 Cメロのサビ 夜景 汽車道
自転車に乗り、夜景スポットが犇くみなとみらいへと向った。午後6時前、シッピング街ワールドポーターズと、JR桜木町をつなぐ「汽車道」は、若者らが語り合いながら、ライトアップされた建物を眺めていた。
2021年4月22日に開通した都市型ロープウェイ「エア・キャビン」は、乗車待ちの列ができていた。全身透明なガラス張りのゴンドラに乗ると、より広い視野から町を俯瞰する。ランドマークタワーを初め高層ビル群が、よりリアリティーに感じられた。原則一つのキャビンに一組。恋人とゆったりとしたひと時を味わえる。
地上では異なる視点から鑑賞できる。夕暮れ時に青みを帯びた透き通った空の下、ライトアップされた建物が浮かび上がる。若いカップルらが、足を止めて、心を一つにしながら鑑賞した。映画のワンシーンのような光景がそこにはあった。汽車道の桜木町駅側に接した日本丸の輪郭は、水面にも映り込んだ。昼とは異なる、人口の光が作りだす立体感のある世界に、引き込まれた。

Cメロのサビの歌詞:「気楽に行こう 今は ミラーに映る小さな幸せを」
写真=MVの一幕 掲載元 Xユーザー 竜也0130 2020年6月7日付
https://x.com/ZARD02060130/status/1269592548672016384/photo/2
水鏡を通して、一歩向こうには、新たな自分がいるのかもしれない。なぜか気持ちが楽になった。
「ひとずつ 積み上げて行こう 風が止まった 二人に 夏の思い出をください」
日暮れ時、やや冷え込んだものの、風もなく過ごしやすい一日だった。恋人と離れ、一人になると、自分自身を見つめることができる。ライトアップされる街から、将来性を感じ取った。
<歌詞終わり>
汽車道へと移動すると、観覧車コスモクロックが、赤から黄色、青へと移り変わっていく。カーテンのように揺らめくと、虹色に輝く。道行く人々も固唾を呑んで、日暮れ時のきらびやかな風景を見つめていた。

梅の花に続いて、早咲きの桜の開花により、ようやく春を感じ取ることが出来るようになった。我々人は止まっていても、季節は着実に変わっていく。この日見た景色を胸に焼付け、帰り道を急いだ。
写真=坂井泉水 掲載元 ブログ katsuo’z world 2021年5月27日付
http://blog.livedoor.jp/katsuzobebizo/archives/52857507.html

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