<2月23日(日)24日(月・祝)テーマ曲「Forever you」>
ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心とした旅、2025年第2回、第3回のテーマ曲は「For ever you」同曲は、1995年3月10日にリリースされた6thアルバムのタイトルにも起用された。アルバムの方は頭文字を小文字にし「for ever you」と表記されている。
曲名「For ever you」は、ミディアム・バラードナンバー。ピアノとアコスティックメロディーによるゆったりとした曲調である。発表から27年の歳月が経過した2022年9月30日に、至上初のイギリスのダイアナ后のドキュメンタリー映画「プリンセス・ダイアナ」の主題歌に抜擢された。今回は、製作の逸話を下に、私自身の旅を描く。
関連日記 For ever youのエピソード
1.2022年10月11日付
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983460887&owner_id=32437106
2.2022年10月27日付 ダイアナ妃と坂井泉水が残したメッセージ
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1983579460&owner_id=32437106
�� 「For ever you」の作成逸話 過去の自分と向き合った95年当時の坂井泉水
歌詞の作成について、プロデューサーを務めたレコード会社B-ZONEグループの代表取締役の長戸大幸(だいこう)氏は、2017年に明かしている。丁度坂井泉水没後10年の節目だった。発表された1995年、音楽活動も軌道に乗り、CDを出すことにヒットを飛ばしていた。令和時代のアイドル歌手とは一転して、彼女は極力人前に出ず、素顔を隠していた。最後のテレビ出演は、1993年2月5日(金)、6thシングル「負けないで」を披露したテレ朝系列ミュージックステーションである。一躍彼女の名が広まったものの、人々の期待に反して、テレビやライブのステージ上には現れなかった。
写真 1995年時の坂井泉水 アルバム「for ever you」時 掲載元Xユーザー 福 2019年2月1日午後8時58分付け
https://x.com/koorizatou29/status/1091304831610892288/photo/1
マスコミも取材を控える坂井泉水の人柄を追求するべく、過去にも遡り、生い立ちを探った。
厚木市森の里にある松蔭女子短大(2004年から男女共学)卒業後、87年4月から2年間不動産会社にてOL生活をしていた。当時はバブル期、売り手市場に助けられ、新卒は引く手あまたな状況だった。89年4月には退職して、モデル活動をしていた。学生時代からの夢は歌手になること。早速オーディションを受けたものの、不採用通知がきた。奇しくも、デモテープが、長戸大幸氏の下に流れ、デビューを後押しされたのである。ブレイク後、テレビに出ず、ライブ活動も2004年まで原則控えていた。オーストリアの精神医学者フロイトの理論「防衛機制」が働いていたのである。人は誰しも、触れられたくないことがある。彼女自身は、デビュー前の活動だった。フロイトは、1936年に出版した著書「自我と防衛のメカニズム」で触れている。
写真=1921年頃、64,65歳のフロイト ウィキペディアより
その根幹は、無意識にある。フロイト自身は、無意識について「思い出したくない感情や観念の集まり」と論じた。意識と無意識の間を「自我」が調整していると明かした。
詳細 りたりこ仕事ナビ 2024年7月4日付
https://snabi.jp/article/87
フロイトは、人間の行動は無意識のうちに生じていると説明している。坂井泉水自身もCDの売れ行きがよくなり、注目を浴びるようになると、無意識のうちにマスコミから逃れるように、閉じこもり続けた。現にデビュー5年後も1996年まで、都市郊外の秦野市内の実家で暮らしていたのである。フロイト理論の原始的欲求を表す「イド(エスともいう)」が生じていたかというと、傍目から見れば実に難しい。歌手になって華々しい生活を送りたい。ベンチャービジネスを立ち上げて、テレビで注目されたい、有名スポーツ選手になりたいと、誰しも一度は憧れたことのある世界は、イドを持っているからだといえる。現に坂井泉水は、石志田高校時代、校内のミスコンに出て、見事優勝していた。フロイト理論の「自我」については、現実と理想との折り合いをつける意味を差す。歌手になりたいと夢に描いても、誰しもすぐになれるわけではない。今の自分の置かれた立場を理解し、進むべき道を決める。拘束時間の短さから、バイトをしながら音楽活動していたアーティストも少なくない。フロイトの理論、「無意識」、「イド」、「自我」に続いて最後の4つ目は「超自我」、道徳的規範を示す部分を指す。お金持ちになりたくても、盗人はいけない。株取引においては、インサイダーを行えば、刑事罰が下るとの認識からためらうようになる。他人を貶めたりせず、全うに生きることが大切だった。フロイトの理論は、北極海に浮かぶ氷山にたとえるとわかりやすい。意識の部分はごく僅かの氷上の部分、前意識は、一時的に情報を保管していく領域、すでに海の中に沈んでいる。無意識の部分は大きく、氷の下に埋まっているのである。
写真 氷山にたとえた図 掲載元 哲学ちゃん 2023年7月12日付
https://tetsugaku-chan.com/entry/Freud
坂井泉水は、丁度1995年、レースクィーン活動時代に出版された「写真集」が取り上げられていたのである。長戸大幸プロデューサーの方針にも反するマスコミの独自取材に、坂井泉水は心を痛めたという。二人は、会議の一室で相談した。長戸プロデューサーは、少しでも気持ちを軽くするため、「今の心境を書いてみては」とアドバイスした。坂井泉水はしっかりと応じて、歌詞つくりに取り掛かることを誓った。長戸プロデューサーは、出来上がった作品から「想像以上に芯が強い女性だった」と驚いたという。坂井泉水は、過去の自分があったからこそ、今があると、前向きにとらえていた。同エピソードを下に、NHKでは短編ドラマ化されていた。2022年10月3日(月)午後11時から始まるNHKのドラマ「ヒロイン誕生 ドラマティックなオンナたち」の第1回「坂井泉水」の題材になった。主演は当時20歳の新進女優河村花が勤めた。現在も名バラードとして歌い継がれている。
�� 旅物語 2025年第2回、第3回丹沢山麓秦野市を中心とした旅 2/23(日)2/24(月・祝) 早春を告げる梅を求めて フロイト理論「防衛機制」をモチーフ
前年同期 2024年3月3日付 テーマ曲「この愛に泳ぎ疲れても」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987218478&owner_id=32437106
前回の旅 2025年1月26日(日)テーマ曲「少しづつ 少しづつ」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989376677&owner_id=32437106
府中市郷土の森を描いた日記 テーマ曲マイフレンド 昼間 2月18日(日)
夜間 2月24日(土)
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987086280&owner_id=32437106
今回2月23日(日)と24日(月・祝)の2日連続に渡った丹沢山麓秦野市を中心とした旅、テーマ曲は「For ever you」である。また2月22日(土)に東京都府中市郷土の森博物館の様子もレポートした。フロイトの心理学「防衛機制」に通じる過去を受け入れ前に進む坂井泉水の視点に立って、進めていく。
第1章 Aメロの歌詞 梅の花から過去を探る。
2月23日(日)の午前7時代、小田急小田原線の座間市相武台前駅で降り立った。周囲は閑静な住宅街、冬の朝型、お店のシャッターは閉まり、物音も立たず、ひっそりとしている。朝早くても、ワンチャンを連れ出す住人とすれ違いながら、谷戸の部分に作られた「かにが沢」公園へ向った。
東の空から登ってきた太陽により、淡い光が園内に入ってきた。地上11階のマンション「ブルーミング・レジデンス相武台前」の入り口付近には、梅の木が育つ。その脇にも広がる建物により、日差しが届かず、影に覆われていた。オレンジと白の外壁を成す「ブルーミング・レジデンス」は、朝日を浴びて、より煌びやかでモダンな雰囲気をまとう。朝方の梅は脇役、堂々とした佇まいの近代的なマンションとの対比から、光と影の世界を描く。

ZARDのForever youはピアノ演奏から始まり、ハ長調メロディーに合わせて、坂井泉水は言葉を紡ぐように歌う。
全詞掲載
「若い頃は、人一倍好奇心が強くて いろんな周囲の人や家族に迷惑ばかりかけてた。手探りで夢を探していた あの日」
大人になると、学生時代の結果が、就職や結婚に繋がる。受験競争を勝ち抜き、良い大学に入り、大手企業に就職すれば、出生街道を突き進む。一方、新卒時に就職氷河期が重なり、キャリアを積めず、中年を迎えた人も少なくない。誰しも振り返ると、若い頃は夢を追っていた。少年や少女時代、スポーツに打ち込み、プロ選手になりたいと願う。大会を通して、自分の成績と向き合ううちに、能力を把握するようになる。作詞者の坂井泉水は、小さい頃からスポーツや芸術的にも優れた成績を残していた。秦野市立西中学校2年時、秦野市民総合競技体育大会の中学生部門の200m走で優勝している。実のところ軽音楽部も兼任していた。次の進学先である神奈川県立伊勢原市石志田高校時代、硬式テニス部に属していた。中学時代も陸上部の傍ら活動していたバンドについてはヴォーカルの空きがなく、ステージに立つことはなかった。
彼女自身は、中高で部活を代えて、手探りで自分の道を探していたのである。ただし一貫して、歌手になりたいと夢を持っていた。
歌詞:「自分が将来 どんな風になるのかわからなくて ただ前に進むことばかり考えていた Dear old days」
私はかにが沢公園から谷戸山公園を梯子し、座間駅から電車とバスを乗り継ぎ、厚木市森の里にある若宮公園を訪れた。坂井泉水が2年間通った松蔭女子大学(現在は男女共学の樟蔭大学)のほど近くの、若宮公園は、梅の花がほころんでいた。生活道路を挟んで隣は、5階建ての低層マンション群。人々の散歩コースとなる園内は、谷戸の地形を生かし、自然観察とスポーツ広場とを両立させた。谷底には人口の池を設け、芝生広場の尾根部との間には人口の沢が流れる。公園の片隅にひっそりとたたずむ梅園は、広場との間に雑木林を隔てていた。住民の気配もなく、静謐な空間に包まれていていた。梅の花言葉は「気品」、「忠実」、「忍耐」、「高潔」である。白梅と紅梅が競演する園内は、まさに多彩な人の感情を表しているようだった。白色の品種ヤエヤマバイは、おしとやかなイメージから「忠実」や「忍耐」、春をしっかり耐え抜く生命力を抱かせる。薄いピンクのマキタチヤマは、「気品」があり、「高潔」な人を想像する。

サビの歌詞:「もう泣かないで やっと 夢が叶った。ずっと…. forever you そう焦らずに そう急がずに 大人になりたい」
梅の花は、足元の植物が乏しい中、いち早く小さくて可憐な花を咲かせる。今年は冬の寒さが厳しく、梅の花も慌てずに、ゆっくりと咲き始めた。
坂井泉水は、早咲き、中咲き、遅咲きのパターンがある梅と同じように、高校、短大、就職へと、順々に次のステージへと移っていた。就職した後も、すぐに歌手デビューにはいたらず、モデル活動を行っていた。手足が長くて、ほっそりとした体型からも、彼女は、薄いピンクの梅のように優美で高雅な雰囲気をまとう。まさに花にたとえられる程の華やかな人生を歩んでいた。
次の目的地は、伊勢原駅から、北東におよそ1,5km、「丸山城址公園」、国道246に面した小高い丘の上に整地された芝生広場の南側にベンチや東屋が設けられていた。等間隔で白梅と紅梅が織り成す早春の香り漂う一枚を写真に収める。開放感のある公園には、近隣の住宅街から人々が訪れ、ベンチに腰掛けて、ゆったりとくつろいでいた。芝生には、フリッスビーをする一組の親子の姿がある。休日の午前11時、開放感のある園内で、他者に気遣うことなく、空気抵抗を受けずに、大きなカーブを描きながら回転運動するフリッスビーを追いかける。時に風が吹くと、外へ流さてしまう。自然と脚力と動体視力が鍛えられ、体と共に心も健康的になる。

無邪気な子供に視線を吸い寄せられた。なぜなら過去の自分をおもい出し、懐かしく感じるからである。心理学においては「ビタースイート」ともいう。懐かしさは、いわゆるポジティブな気持ちとネガティブな気持ちが入り混じった複雑な心情を表している。学生時代、卒業シーズンに、同様な気持ちになりやすい。新生活に向けての期待感と共に、不安を抱きやすい。心の片隅にとどめていた記憶や感情が蘇り、親しい人にさらけだしたくなる。
歌詞:「たくさん失敗もしたけれど そんな時 やさしく親切だった人達の笑顔が浮かんだ 涙も忘れた 自分で選んだ道だから」
人生はたった一度きり、進路を決める際には自己責任が伴う。新たな道へ旅立つ際、お世話になった人々の顔が浮かんできた。過去の出来事は、必ず次へと繋がる。坂井泉水は、そう決意して前に進んだ。
<Aメロ終わり>
第2章 秦野市内で花を通して人々との交流
その季節の旬のスポットを聞きに、昼頃秦野駅構内の観光案内所を訪れた。入り口の窓際に設置された横長のテーブルには、シクラメンの鉢植えを覆うように、河津桜を模した鮮やかなピンクの花びらが伸びていた。職員に聞くと、我々人が生み出した「造花(ぞうか)」だという。花びらによってスペースが縮小し、来場者向けの椅子は一時的に撤去されていた。2体の花の真ん中に添えられたシクラメンの花言葉は「内気」、「はにかみ」、「遠慮」、「気後れ」である。その名のとおり、こじんまりと咲く様子から、恥ずかしがりやで、引け目を感じやすい人とも重なった。
例年2月下旬には満開になるはずの河津桜は咲き始め、梅は見頃を迎えているとのことである。観光協会の職員に後押しされて、下り方面に一駅先の「渋沢」へと移動し、バスに乗り換え、終点「大倉停留所」に併設された標高340mの戸川公園へと足を向けた。
河津桜が蕾の状態の中、園内各所に点在する梅は、枝にびっしりと花を付けていた。朝方雲ひとつない青空に恵まれていたとはいえ、北側の丹沢山塊から雲が沸き起こり、日差しを遮っていた。反対に南の空は真っ青だった。灰色の雲に飲み込まれるのではないか、と一抹の不安がよぎった。
一端秦野駅へと戻り、午後には別の職員が出迎えてくれた。その職員は、駅南側の渋沢丘陵を散歩コースにしている。梅の開花状況や植栽情報もリアルタイムで入ってくる。秦野市内は、1999年から「花いっぱい運動」を展開し、市民の手によって、季節に応じて植物を育成した。丘陵地の一角には、秦野盆地をバックに、白梅と紅梅の木が並ぶ。職員によると、角度によっては富士山も撮れるとのことだった。新たに意識することにより、撮影の奥行きも広がる。親切にも雨雲レーダーを確認してもらった。秦野市から東隣の伊勢原市、その隣の厚木市にかけて、雨交じりの雪が降ると教えてくれた。現に私が、梅スポットとして知られる香雲寺へ行くバスに乗る際、車窓から雪がちらついていた。空も曇っている状況から撮影を諦め、翌日に備え、早めに帰宅した。
2月24日(月・祝)朝9時過ぎには秦野駅に到着し、渋沢丘陵をハイキングする。昨日と同じ、青空に恵まれた。気温も高く、風も弱く、すがすがしい陽気だった。
秦野桜道を越えて、農道に入ると、一気に傾斜がきつくなる。麓の道路脇に生えるミモザは、開花まで早く、緑を帯びていた。職員に教えてもらった渋沢丘陵の梅林は、丁度見頃である。私自身の撮影は、2023年2月26日(日)以来ちょうど2年振りである。改めて観察すると、紅梅と白梅のエリアが分かれていることに気付く。

白梅の枝越しに、秦野駅前の建物群を望む。方向を転じて、東側の高台へ登ること、雲間から富士山も顔を出してくれた。職員からアドバイスを受けたとおり、梅を前景に富士山とのコラボショットが実現した。ただし縁の部分に雲がかかり、輪郭部分はかすんだ。

標高190mの尾根へと出て、震生湖を通り過ぎ、反対方向には、年数が浅い梅林が聳え立つ。蕾の状態が多い中、一つの木の枝には、蜂の巣がぶら下がっていた。反対方向から見たところ、表面は剥がれ、むき出しの状態だった。周囲は野菜作りが行われる畑、農道を下ったところは、花を育てる温室のビニールハウスが建てられている。開発が進んだ盆地とは対照的に、渋沢丘陵では、いつの時代も変わらず、静かに時間が流れていた。

ハイキングコースの途中にある出雲大社では、社の脇の小さな梅の花が彩りを添えた。ひな祭りに備え、つるし飾りも目に留まった。丘陵地の麓には、こんこんと水が湧き出していた。自由に汲み取りができる天然の水がめは、旅人がホット一息つける環境を提供してくれた。
出雲大社から水無川沿いのカルチャパークを経由して、香雲寺へと向う。ヤビツ峠の麓、一戸建ての住宅と畑が混在するのどかな里山に、15世紀に建てられた由緒あるお寺が鎮座する。所々白や赤をつけた花の回廊を通して、境内へと繋がった。隔絶された空間に浸ると、心の整理がつく。平成16年から18年にかけて、千葉県において、人々の健康と森林浴の関連を示した研究論文が発表された。身近な森や林を含め里山に滞在すると、唾液中のコルチゾール濃度等が減少する。生理的及び心理的なリラックス効果があることが判明した。幼少期においても、行動範囲が必然的に限られる室内よりも、開放的な外に出ることにより、心身の健康面で促進効果がある。
詳細 身近な森林の癒し効果の検証
https://www.ffpri.affrc.go.jp/kanchu/jyouho/no33/documents/05res_chiba.pdf
高齢者の間では、里山を散策すると、懐かしい子供の頃の記憶から、自発的に虫を採取する。または花に近づいて匂いを嗅ぐ等、メンタル面でも良い効果を及ぼす。結果的に認知機能低下の予防にも繋がるという。
境内から反対方向を向き、自分が辿ってきたコースを振り返ると、入り口が果てなく遠いように見える。手前の紅梅が、繊細な心を表してくれるようだった。長く続く木の枝のトンネルは、外の世界から隔絶され、別世界にいざなってくれるようだった。

帰りにも、前日に続き秦野駅観光案内所を訪れた。前日の午後に対面した職員とも再会した。教えてもらった通り、渋沢丘陵の梅林と富士山とのコラボショットについて語った。私の撮影写真は、やや雲がかかっていて、絵に描いたような1枚とはなっていない。職員が紹介したのは2024年の1枚、雲がなく、空は鏡張りのように澄み切っていた。何度か同じスポットにいかなければ、最適な角度での撮影は難しくなる。芸術としての写真の難しさを感じた。
第3章 Bメロの歌詞へ 新しい自分への決意
午後に向ったのは、厚木市上荻野の「岸邸」である。1891年(明治24年)に建築された木造2階建ての母屋は、市の重要文化財に指定された。1階から2階まで、びっしりと隙間なく、雛人形が並べられていた。2階に飾られた年季の入った雛人形は、明治の物だという。古来より、雛祭は、子供たちの成長を祝う行事だった。都市部を中心に手狭な家が増えるにつれて、雛人形はダウンサイズと化す。普段は押入れの中に仕舞われているものの、3月3日にあわせて、一気にスポットライトを浴びる。奥ゆかしい古い邸宅でのひな祭りは、歴史を今に伝えてくれた。

ここで、2月22日の夕暮れ時に、梅のライトアップ撮影に向けて訪れた東京都府中市郷土の森博物館の様子をレポートする。園内の係員によると、早咲きが少なく、5部咲き程度とのことだった。敷地内の多摩川沿いの梅園と、谷戸部の田んぼを跨ぎ、北側の由緒ある移築された建物が、ライトアップされる。
空が青みを帯びたトワイライトタイム、旧府中村郵便局は、青みを帯びた空の下、白い壁面から、雅やかで上質感溢れる。一方暗くなると、高雅で清淑な和モダンスタイルの建物を背景に、白く光る梅の木が立体感を増す。

梅園の方は、咲いている株が少ない場合、青とオレンジのグラデーションの空の下、背景まで映り込む。一方完全に陽が落ちると、手前の梅の木が主役として引き立つ。四季折々花々が咲く郷土の森の主役は早春の梅の花、暗闇の中のライトアップは、梅の透き通った花びらが繰りだす幽玄な世界へ来園者を誘う。我々人が作り出した光のショーは、芸術の一分野である。冬のイルミネーション、桜の代表種ソメイヨシノや真っ赤なモミジを含め、ライトアップイベントはすっかり定着した。

夕暮れ時もう一度秦野市内へと戻り、渋沢丘陵とを隔てる桜道を東へ進む。観光案内所が主催している「鶴亀めぐり」のスタンプ帳に記載されている神社をめぐった。昼間一時的に雲が発達し、富士山を覆っていた。夕暮れ時には雲がとれて、西の空は茜色に染まった。午前中に足を運んだ渋沢丘陵内の梅林を通して、暮れゆく秦野の町並みを眺めた。
Bメロ歌詞
「もう迷わない 今が幸せだから」
照明がなく、梅の花の色合いは背景に溶け込む。麓の町から明かりがきらめき、遠くから梅林を支えているようだった。
「ずっと… forever you そう 焦らずに そう急がずに 愛したいの」
人間焦りは禁物。その場に応じて正しい選択をすることにより、堂々と人生を歩んでいける。
坂井泉水も、歌手活動が軌道に乗った際、過去を秘め隠そうとしていた。確かにヒット曲を生み出して有名になればなるほど、その人自体を知りたくなる。マスコミでは、デビュー前の写真集が取り上げられた。スーツをきっちり着こなす凛とした姿とは対照的に、写真集は夏の海辺で着用する水着を宣伝する目的でも作られていた。当時歌手として道を切り開くための手段と割り切っていた。彼女はその思いを歌詞に綴っていた。
「それは暖かいあなたに出会うまでの試練 過去に後悔なんてしてない またとない 二度と来ない 私の青春だから」
坂井泉水自身も、長戸プロデューサーに、過去に携わってくれた人々に、感謝の意思を伝えたという。部活に励んだ中学生や高校時代、丹沢の麓の秦野市で育った彼女は、緑豊かな景観に恵まれ、スケッチする習慣を持っていた。ただ人知れず、ノートに書きとめていた詩は誰にも公開することなく、自分の中で閉まっていたという。歌声の良さからデビューを後押しされ、作詞家としても成功を収めた。
暮れゆく空とは対照的に、秦野駅前を中心にアクセントをつけるかのように、明かりを放っていた。
「so stay with me my love for ever」
<終わり>

秦野市へくると、思春期にこの地で育った坂井泉水の姿が蘇ってくるようである。彼女が紡いだ言葉の端々は、野山に咲く花々や、富士山を望む景観からも感じられた。2026年のデビュー35年にあわせて、事務所側はベストアルバムのリリース、ライブコンサート開催、写真集発売を含めて、次々と企画を打ち出している。彼女の思いは、時を越えてもなお受け継がれている。
写真 掲載元 What a beautiful moment [DVD] BOOKレットより
ログインしてコメントを確認・投稿する