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2024年03月21日23:23

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ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心とした旅 2024年第1回 3月3日(日)テーマ「この愛に泳ぎ疲れても」オカメザクラ並木 他3月10日(日)調布市神代植物公園

物流業界に携わる人々の労働時間が規制される2024年問題が目前に迫っている。スーパーでは、お惣菜が届かなくなると不安を訴える声がある。一方高齢者の足となる路線バスも本数削減に迫られた。今回の舞台神奈川県秦野市でも、4月1日以降大幅にバス便が削減される見通しである。我々一般人の日常生活も大きく変わろうとしている。
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<ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心に旅する 2024年第1回目3月3日(日)テーマ曲「この愛に泳ぎ疲れても>

 前回 2023年12月3日(日)テーマ曲「Don't you see!」
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 舞台
3月3日(日)
神奈川県中郡中井町
秦野市
厚木市

3月10日(日)
・東京都調布市神代植物公園 ・稲城市みはらし緑地

 暦では春を迎えた。気象庁によると、2024年の2月は、月別の最高気温において、観測史上最も高かったという。2023年以前と比較したところ、冬晴れの日が少なく、曇りがちな天気も多かった。3月以降、周期的に天気が変わることが予想される。

 2024年第1回目となる丹沢山麓秦野市を中心とした旅、今回ZARDのモチーフとなる曲は、1994年12月2日にリリースされた11thシングル「この愛に泳ぎ疲れても」である。同曲は、しっとりとしたバラードナンバーの「Boy」と共に、ダブルA面として発売された。実際2曲目のBoyの影が薄く、両A面シングルとして知られていない。テレビ番組や音楽雑誌においても、哀愁が漂うマイナー調メロディーの「この愛に泳ぎ疲れても」が全面にPRされた。同曲は、AメロとBメロでは実にテンポが異なる。Aメロではピアノのゆったりとしたメロディーに合わせ、坂井泉水は低いキーで歌う。Bメロになると、バンドサウンドが入り、ヘ短調から嬰ヘ短調(えいへたんちょう)に変わる。バラードから、激しいロックへと移る様子は、静かに物思いにふける青年が、活力を見出す様子を感じる。

写真=この愛に泳ぎ疲れても ジャケット  写真=ミュージックビデオの一場面
フォト   フォト

 今回の旅の主人公は、失恋した一人の青年、昨年の紅葉の時期、神奈川県の横浜・みなとみらい、東京都西部青梅・奥多摩地域、秦野市を旅して、色づいた紅葉を眺め、新たな人にも出会い、前向きに人生を歩もうと決意した。離れてしまった恋人へ、手紙を書いたが、縒りを戻せず、互いに別々の道に進むことに決まった。後悔しても仕方ない。切ない気持ちを抱きながらも春を探しに旅をする。

第1章 中井町へ 静かな公園内から里山散策へ

 3月3日、曇りがちだった前日とは一転して、澄んだ青空が広がっていた。暖冬とはいえ、さすがに朝晩は冷え込み、ジャケット一枚欠かせなかった。7時20分には小田急線の秦野駅に到着し、南口から発着するバスに乗り、中井町にある中井中央公園へと向う。2024年2月1日時点で人口8919人の中井町は、大井町、松田町、山北町、開成町と共に足柄上郡に属する。町内に鉄道の駅はなく、交通の便は、北の秦野駅と、南のJR東海道線二宮駅を結ぶ路線バスに限られる。総世帯数約3,000のうち、6分の1にあたる約500世帯が農家であり、また120世帯余が林業に携わっているという。

 写真 掲載元 テレビ神奈川より https://www.tvk-yokohama.com/appare/2016/11/1119-4.php
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 山あり谷ありの複雑な地形により、開発は最小限に抑えられ、第一次産業が今なお健在だった。最初に訪れた場所は、中井中央公園である。最寄のバス停中井中学校から、やや曲がりくねった坂を上っていった。同じバスには、野球帽を被ったユニフォーム姿の少年と見守る父親を含め、公園の利用者が数名乗車していた。

 傾斜地の入り口に設けられた駐車場には、一面河津桜の木が取り巻いている。我々人が、殺風景な冬に花を求めた結果、早咲きの河津桜が、列島各地で植林された。きっかけは、1955年に名前の由来となった静岡県賀茂郡河津町の農業を営む男性が、冬に咲く一本の木を発見したことに始まる。自宅の庭先に植えると、1966年に開花が確認された。1975年に河津桜と命名されている。暖かい春を迎え、足元で植物が咲き出す頃、役目を終えたかのように、枝から一枚、一枚と花びらが離れていく。散りゆく花は、別れを彷彿とさせる。

 歌詞「この愛に泳ぎ疲れても」のAメロは、一抹の寂しさを抱く青年について語っている。

 全詞掲載

ピアノの低音メロディーから始まり、サビの一節から始まる。

歌詞:「この愛に泳ぎ疲れても もう引き返さない、たどり着く日まで」

坂道を登る青年は、後戻りをせず、中央公園を経由して、徒歩で秦野市方面へ向う計画を練っていた。

 河津桜が葉を落とす頃、球場を取り巻くオカメザクラが開花する。青年はオカメザクラの花びらを眺めながら、思いにふけった。2日前の雨により、かすかに花びらが散っている。一方蕾の状態を保った枝も確認した。我々人の間にも個人差があるように、同じ木でも、早咲きと遅咲きと差がある。。富士山を眺められる展望広場へと続く坂道の脇にもオカメザクラが育っていた。日当たりがよくなる分、球場周囲より開花が速く進む。湧き上がる雲を突き破るかのように、真っ白い雪を被った富士の頂を望むことができた。

 続くAメロの歌詞

「すれ違う恋人たち バスケット一杯の夢を 抱えながら歩く まるであの頃のあなたと私 懐かしさに振り向いた」

 人は誰でも夢を持つ。好きな人と一緒にいて、暖かい家庭を築くことを理想像としていた。展望広場には、恋人達を誘うかのように、ハートマークのモニュメントの中から富士山を望むことができる。その脇には、「ハートの丘縁結び」と名づけられたモニュメントが設置されていた。カップル達が、永遠に愛が続くようにとねがいをこめて、小さなハート型の「縁結びの鍵」をかける。丘の麓の里山CAFÉにて、鍵を購入することができるという。モニュメントには、3つ程鍵がかかっていた。

 フォトフォト

 想像することにより、今にも幸せが降りかかってきそうな予感がする。青年自身は落ち着いて物事を考えていた。その心情はAメロのサビの歌詞に表されている。

Aメロのサビ:「この愛に泳ぎ疲れても 流されぬように 勇気を与えて」

どんなに幸せそうな家族やカップルを見ても、決して妬ましく思ってはいけない。周りの雰囲気にのまれずに生きていくには、しっかりと目的を持つことである。

歌詞:「出会ってしまった 週末の雨に あなたとの運命 感じた」

 そういえば、彼女との出会いは雨の日だった。傘で前が見にくい中、ふと顔をあげた拍子に、目があった。そのときから互いに視線を吸い寄せられ、心が通じたのである。

歌詞:「傷ついてもいい 愛したい」
                             <Aメロ終わり>
 恋をすれば、失敗のリスクも孕む。異性への告白は、自分自身の挑戦ともいえる。恋とは一種の戦いでもあった。

 曲の方は、バンドの演奏が入り、ロックに変わる。


第2章 花を通した出会い
                   
座りっぱなしの列車とバスでの旅を経て、公園を散策することにより、体も起き上がってきた。リュックを背負い、北の震生湖を目指して、ジョギングを開始する。山の中を突き進むとはいえ、道は舗装され、民家も点在する。道幅は狭いとはいえ、軽トラック一台通れる程の広さがある。一戸建ての宅地の周りには、畑が広がっていた。途中、家畜小屋にも立ち寄り、食事中のヤギ共視線を合わせた。足元がぬかるみ、靴底に泥が付着する。確かに2日前は雨風が強かったとはいえ、昨2日(土)は快晴だった。粘土質で通気性や排水性が悪く、乾くまで時間がかかる。一歩、一歩踏みしめるたびに、泥を跳ね飛ばす。ヤギ自身は、泥を気にせずに、囲いの中でひしめき合っていた。人なれした影響からか、青年が柵へ近づくと、餌欲しさによってきた。一方小屋の方に残った個体は、与えられた干し草を食んでいる。周囲に人影はなく、心ゆくまま、観察することができた。

 写真=中央公園内のオカメザクラ  写真=ヤギ
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 ハイキングコースは、アップダウンがあり、時に西側の林によって視界が遮られるものの、青空をバックに、富士の頂が顔を出してくれる。古くから酪農が盛んな地域で、人々は作業の合間に、西側の丘陵地の背後に聳えたつ富士の頂を眺めていた。外国人も、白い雪を被った円錐形の山並みに畏敬の念を抱いている。2013年にユネスコ世界遺産委員会により「富士山ー信仰の対象と芸術の源泉」として後世に残す存在と認められた。世界遺産に登録され、日本のシンボルとして、発信されている。

 一旦尾根まで出ると、林の中の抜け道を経て、谷底に位置する震生湖畔の南側に出た。湖の周囲には、クヌギやコナラ、モミジと共に、桜の代表種ソメイヨシノが聳え立つ。春はまだ遠く、枝がむき出しの状態だった。岩の崩落により、一部通行止め、秦野市側の湖の北へと周り、標高190m渋沢丘陵今泉町の高台へと出た。北の丹沢山塊の峰々の麓に、工場と共にマンションが林立する。日暮れ時には、灯りが浮かび上がり、心をときめかせてくれる。昼間の光景は、無機質ながら、建物の輪郭がはっきりとわかる。駅の中心部は、高い建物が犇いているものの、周囲は一戸建ての住宅地、屋根の高さはほぼ均一だった。

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ここ秦野盆地を一望できる渋沢丘陵・今泉町の高台は、畑地として開墾され、野菜と共に、四季を通して花が育てられている。丁度農作業中の一組の夫婦が居合わせた。聞けば見晴らしが良い農地一体を管理しているという。四季を通して、訪れたことにより、些細な変化にも気付くことができる。青年は、花についてもたずねた。すると、「今菜の花を植えているの。毎年異なる植物を育てるつもりなの」と返事が返ってきた。

 梅雨時にはアジサイ、夏間はヒマワリ、秋口には彼岸花が咲いていた。1999年から始めた花いっぱい運動の一環として、景観の良い傾斜地を中心に、植栽活動に精を出した。咲き誇る菜の花と、散り始めの河津桜を前景に撮影すると、盆地から丘陵地、山地まで跨る多様性のある自然を表現することができる。

聞けば夫婦は70代だという。元々農家ではなく、定年後に始めたと答えてくれた。息子は40代、学業をおろそかにしたものの、公務員になったことにより、家庭を築き、安定した生活をしているという。

 青年自身も、恋に失敗し、先行き不透明なままである。学業に躓きながらも、しっかりと家庭を築いた例を聞くことにより、自分にも先があるような気がした。ご主人が作業している間、奥さんの方は、青年と近い距離で会話を続ける。バブル期から、令和へと、時が移り変わる中、自然を満喫した生活に喜びを見出したという。別れ際に、丘陵地の麓にミモザが咲いていることを教えてくれた。陽が当たると、色味が出て、一段と映えるという。昭和から平成、令和へと3つの時代を経験した年配の夫婦との会話を通して、心が弾み、駆け足で降りていった。

 渋沢丘陵を東西に貫く秦野桜道のすぐ脇に、真黄色のミモザと共に、花びらが小さい白色のユキヤナギが隣り合うように咲いている。夫婦が述べていたとおり、太陽が雲に隠れると、影に覆われ、花自体もくすんでみえる。日当たり具合により、植物の生育と共に、われわれ人の気持ちも変化していく。

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寂寥感が漂う中、桜道から登ってきた1人の年配の女性に声をかけられ、はっと振り向いた。「きれいですね」と印象を語ると、スマホのレンズを向けた。気付けば、再び陽が差して、黄色の花を鮮やかに照らし出した。色鮮やかなミモザとは対照的に、ユキヤナギは小さく綿のように写る。花言葉は「愛らしさ」や「愛嬌」である。

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人々は、枝先に密集するように咲く様子に、可憐な妖精を想像した。確かに、遠慮がちに咲いているとはいえ、枝先に群がる様子から、アピールしているように見える。一方ミモザは、凛とした姿から、他人へ「感謝」の意味を示す贈り物としても使われる。急に一人になると、気がなえてしまう青年、再び声をかけられたことにより、気を引き締めて、再び歩き出した。


 向った先は、秦野駅から徒歩5分の距離にある「今泉名水桜公園」、2月の河津桜に始まり、4月中旬の八重桜まで、桜の開花リレーが行われる。寒桜と寒緋桜が丁度咲いていた。
 寒桜は、透明なピンクイロの花びらが、太陽光を透過する。対照的に寒緋桜は、小さな筒状のピンクの花びらが、枝先から垂れ下がる。植物分類学において、バラ目バラ科サクラ亜科サクラ属に含まれるサクラは、日本各地で植栽が進む。代表種であるソメイヨシノは、鑑賞用として人工的に生み出された品種である。葉が展開する前に開花するエドヒガンと、大きく整った花形のオオシマザクラの特徴を併せ持つ。枝先に白に近い薄いピンクの花びらをびっしりつける様子から、程よく太陽光を吸収する。街路樹の両脇に植えられると、一種のトンネルを形成する。

       写真=カンザクラ
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 昭和までサクラの開花時期は、4月の新学期のタイミングと重なっていた。温暖化の影響により、今では3月の卒業シーズンに咲くようになった。秦野市では、盆地から丘陵地に跨って、ソメイヨシノが開花する。気象庁によると、2024年の開花予測は3月21日だった。開花宣言から満開まで平均一週間程度である。一足速く咲く寒緋桜と寒桜は、春本番を告げる植物だった。

 写真=カンヒザクラ
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第3章 蓑毛の河津桜、玉縄桜 水無川沿いの岡目桜

秦野駅から蓑毛行きのバスに乗る前後に、駅構内の観光案内所に立ち寄った。水無川沿いの1kmに渡って続くオカメクザ並木は見頃、蓑毛へ向う道中の寺山町に咲くハルメキザクラはほとんど蕾であることがわかった。オカメザクラとハルメキザクラは、気象条件次第で、開花が重なることもある。現に冬の寒さが厳しかった2022年シーズンは、オカメザクラの見頃に合わせて、ハルメキザクラが開花していた。続くソメイヨシノのシーズンにおいては、水無川から分かれて北の丹沢山塊に端を発する葛葉川上流が綺麗だと教えてくれた。上流へ行くほど、標高が高い分、平地よりも開花タイミングが遅いことが予想される。平地とは異なる点は、起伏に富むことにより、散策しながら、開花タイミングのずれを感じることにある。日本の風物詩といえる桜は、品種の多さから3月から4月まで1ヵ月半にわたり、開花シーズンが続く。

 標高300m台の蓑毛町では、3月10日時点で河津桜がまだ残っていた。桜ともみじのわくわく広場にて、河津桜と共に、寒桜、玉縄桜が競演を果たしていた。玉縄桜は、同じ神奈川県内の「大船フラワーセンター」から生み出された。ソメイヨシノの種を蒔いた際、ひときわ早く開花する個体を選び、育成をしたのである。1990年に農林水産省によって品種登録された。開花期間は1ヶ月、ソメイヨシノが咲くタイミングまで花が持つという。

 写真=玉縄桜          写真=カンザクラ
フォト フォト

 元は荒地だった広場は、2012年に地元蓑毛町の住民によって荒地を開墾し、沢沿いにサクラやモミジを植樹した。日本の風物詩となる春の桜、秋の色づいたモミジは、心躍る光景である。人々の心を表現して「わくわく広場」とめいめいしたのである。

 恋も当初は、縁が続くと期待感が高まり、やがて現実を身にしみて感じるようになる。「この愛に泳ぎ疲れても」のBメロでは、恋人目線で、主人公の青年についての印象を語っている。
 
 Bメロの歌詞:「いくつ恋を重ねても。いつも心震えるの。」

 何度恋をしても、心は満たされない。彼女は青年への印象を次のように語っている。

続く歌詞:「無口なあなただから。不安なときもある。だけど少女のように泣けない」

彼女は、本音を聞いても、正確な答えが返ってこず、もどかしさを抱えていた。感情を全てさらけ出してしまえば、互いに意思疎通を図れたかもしれない。時は昨年の春、新居の引越し準備に追われる青年と将来の約束を考えていた彼女との間で起こっていた。結果的に二人は別れてしまった。

 青年の前には、若い女性と母親の姿があった。今を咲き誇る玉縄桜を前に、記念撮影をしている。横付けにされた車から父親が顔を出した。外から見ると、新生活へ旅立つ前に、親子揃って記念撮影をしているようだった。

 最寄の秦野駅から距離にして5kmから6km、過疎化が進む中、地元の有志によって、文化を継承する活動が行われている。その一環として、秋には古民家緑水庵のモミジがライトアップされる。広場から緑水庵の距離は約300m、この時期は河津桜が咲いていた。

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入り口付近に枝が張りだすことにより、花びらを前景に古民家が写った。丁度貸し切状態のように一組の団体が、縁側に設置されたテーブルで、食事をとっていた。そういえば、2023年12月2日(土)のトワイライトタイムに合わせて訪れた際にも、一組の団体が宴会を開いていた。母屋は広く一般開放され、自由に立ち入りができる。邪魔にならないように気をつけながら、短時間中へ入り、壁際に置かれた2体の獅子頭に視線を注いだ。「魔よけ」、「厄除け」、「お祝い」を含め、幸せを呼ぶ神として崇め祭られてきた。時は3月初旬、葉っぱは落ちているとはいえ、早咲きの桜が咲くことにより、着実に春が来ていることを教えてくれる。思い出のある緑水庵へ来て、リフレッシュできた。


      第4章 花を求めて旅は続く


 3月3日、午後2時ごろ訪れたのは、バス停大倉入口付近の水無川から、標高340mのバス停大倉に隣接する戸川公園へと続く水無し川沿いのオカメザクラ並木だった。濃いピンクの花を付けた花びらと、足元に咲く菜の花と共に、背後には丹沢の山並みが写る。

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川沿いは、民家と共に、工場や倉庫が並ぶ。気温が高くなる昼時、人々は菜の花と共に、桜の花を確認しながら、構図を決めて、スマホやカメラのシャッターを押していた。オカメザクラは当時見頃だったものの、数日後には散り始めたという。気付いたら、戸川公園の敷地内の川沿いにあるグラウンドや遊具に到着していた。お昼時、小さい子供達が、母親や父親に見守られながら、駆けっこをしている。大倉バス停へと続く歩道脇には、スイセンが複数株咲いていた。橋の入り口付近に林立する河津桜は、葉っぱが伸び始めたとはいえ、花びらが残っている。

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例えば足元に咲くチューリップは、散り始めの頃、花びらが落ちて、おしべ、または雌しべが露出する。河津桜の場合、落ちた花の変わりに、新芽が芽吹く。いわゆる新緑の前触れだった。

 ところ変わって、3月10日(日)に、調布市神代植物公園内の様子を紹介する。
丁度椿ウィークが開催されていたものの、咲き始めの段階だった。見所は遅咲きの梅と林の中に咲く大寒桜である。

 写真=神代植物公園内の椿園より
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 写真=植物園内の梅の一種寒白  写真=植物公園内の大寒桜の木
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 写真=大寒桜の花びら
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 植物公園から調布駅方面へ南におよそ1,5km、マンションの敷地前に大寒桜が咲き誇っている。午後5時代、沈みゆく太陽光線により、淡いピンクに染まった。道行く人々も立ち止まり、スマホをかざしはじめた。

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 詳細 SAKURABIYORI http://www.watarigraphic.com/sakura/hollywood.php

 植栽の始まりは高度経済成長期の1962年に遡る。ハリウッド化粧品が、工場建設するにあたり、シンボルとして二本の大寒桜を植えたことにある。オオシマザクラとヒカンザクラの交配種で、中輪一重、薄紅色の花びらが特徴的である。幹周り2,5m、大寒桜としては太い。時がたち、住宅の密度が高くなり、新たに道路が建設される中、大寒桜に対する見方は変わった。西暦2000年に、工場の移転により、跡地の管理を任された行政側が、伐採を検討した。枝が太くて、道路に張り出す様子から、通行の妨げになると判断したのである。対して地元住民の考えは、行政側とは180度異なっていた。町を見守ってくれる存在として、残すように訴えたのである。行政側も住民と折り合い、伐採をとりやめた。桜の木は、古くから日本人の心のより所となっていた。樹齢62年の大寒桜は間もなく寿命を迎える。最後のそのときまで住民たちと同じ時間と空間を共有する。

 第5章 旅の最後

 青年は、早咲き桜や花々を鑑賞し、春の訪れを実感した。自分は失敗を引きずっている。なぜなら未来を描けないからである。

 この愛に泳ぎ疲れてものサビの歌詞に、心情が描かれている。

Bメロのサビ

「このまま この愛に泳ぎ疲れても もう引き返せない 二つの足跡」

一つの足跡は自分、もう一つの足跡は彼女だった。二人は互いに別々の道を選んだ。昨年に戻ることはできない。お互い別々の場所で、新たに春を迎えている。

歌詞:「失くすものなんて 思う程ないから そう裸の自分になって 愛を計るより愛したい」
                            END

 もう一度新しい自分になり、再出発を決めた。愛があるのかないのか、相手を疑うのではない。恋とは、意識するのではなく、何気ない出会いから、互いに自然に惹かれ、やがて結ばれるのである。電車とバスを乗り継ぐ中、人生を見直した。

 最後の舞台は、小田急線の愛甲石田駅から、北西へおよそ2kmに位置する厚木市のぼうさいの丘公園である。標高は57m、面積9,4ha、名前の通り、震災時に住民たちの避難所の拠点に設定された。小高い丘の上に位置し、頂上部には水を張った池や、遊具が設置されている。芝生広場には、キャッチボールをする親子、駆けっこする子供たちが、日暮れまで残っていた。

 初めに3月10日(日)に神代植物公園の帰りに訪れた稲城市みはらし緑地の夜景を紹介する。

 最寄の京王相模原線の若葉台駅から、緩やかな坂を上り、1km先の丘の天辺から、東側の都市部、南東の横浜みなとみらいまで見渡せた。麓の一戸建ての住宅街から明かりが灯ると、暖かい家庭の中に自分自身が吸い込まれていくように感じる。

 写真=18時5分          写真=18時7分
フォトフォト

 3月3日(日)に訪れたぼうさいの丘公園は、園内にいくつか眺めの良い箇所がある。南側の東京農業大学のキャンパスとの境目付近からは、のどかな田園風景が広がっていた。

 写真=18時00分
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一方北へいくと、山間に開発された住宅地を望む。

写真=17時51分
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撮影地の広場は、遊びの池の水面に、ナトリウム光が反射する。茜色に染まった空を背景に、一本の杉の木が影絵のように浮かび上がる。実に絵になる光景だった。

写真=17時54分
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春は出会いと別れの季節、新年度に変わる前に、冬の間眠っていた植物が芽を出す。自然界も大きな変化を迎える。秦野市を中心に旅をした青年は、日々入れ替わる植物を追い求め、旅を続ける決断を決めた。ソメイヨシノが咲く前に、再び丹沢山麓の麓秦野市周辺地域を訪れる計画を立てて、ぼうさいの丘公園を後にした。

 


 
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