2月10日
この日は、ZARDのデビュー35周年イヤーの本格的な始まりだった。同日発売されるベストアルバム「ZARD Best Request 〜35th Anniversary〜」は、土日を挟む影響により、2月7日には全国のCDショップに入荷した。2月7日付オリコン・アルバム・デイリーランキングにおいて、2位となる売上枚数7723枚を記録した。翌8日は4位である。9日は再び2位となり、売上枚数4432枚だった。
ベストアルバム発売に合わせて、2月7日(金)から2月17日(月)までの期間、TOWER RECOAD展では大々的な企画を行っている。一部の大都市圏の店舗では、坂井泉水がミュージックビデオの撮影で使用した衣装を公開している。
詳細 TOWER RECOADより
https://tower.jp/article/feature_item/2024/11/10/0701?srsltid=AfmBOoqoNPPG0dftIaaGFRaauA6D69ICG4dqArzrHDSlp5lsdtbNMOpS
2月10日、新たに35周年企画が発表された。6月に、東京、横浜、大阪のライブハウス・ビルボートにて、アコスティックライブを開催する。6月4日には、インタビュー本と2冊の記念写真集を含め、合わせて3点の発売も決定した。
写真 掲載元 BARKS 2025年2月10日正午付け
https://www.barks.jp/news/?id=1000253993
ZARDの坂井泉水を後世に伝える取り組みは、確実に実を結んでいる。
<2025年1月26日(日)秦野観光 テーマ曲「少しずつ少しずつ」>
全4章
前回同地域の旅 2024年12月8日(日)テーマ曲「マイフレンド」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1988978359&owner_id=32437106
2年前同期 2023年1月29日(日)テーマ曲「Stray Love」
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1984355577&owner_id=32437106
2025年2月6日付 坂井泉水の58回目の誕生日
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1989353995&owner_id=32437106
1月26日(日)、2025年、ZARDの坂井泉水が育った丹沢山麓秦野市を中心とした第1回目の旅がいよいよ始まる。テーマ曲は、ZARDのトリビュートバンドとして2019年9月18日にデビューしたSARD UNDER GROUNDの1stシングル「少しづつ少しづつ」、2月10日で、リリース5周年を迎える。同曲の作詞者は、実のところZARDの坂井泉水だった。2007年5月27日に、亡くなった後、闘病中に書き溜めておいたノートの中から、未公開歌詞として発見されたという。ZARDを世に送り出したレコード会社B-ZONEグループの取り締まり役兼プロデューサーを務める長戸大幸(だいこう)氏が、トリビュートバンドの結成をサポートするに当たって、同曲の歌詞を公開するにいたった。新たに大野愛果が曲をつけ、ミディアム・バラードに仕上がった。同曲は、2020年初頭に読売テレビ系列のアニメ「名探偵コナン」のエンディングテーマ曲としても起用された。すれ違う恋を綴った同曲の歌詞から、心理学用語を用いて、作中の工藤新一と毛利蘭の関係性を表現する。坂井泉水のことを想いながら旅をする私自身の行程をすれ違う恋と重ね合わせながら、辿っていく。
第1章 ロウバイ園へ
午前7時50分、初めの目的地は、小田急線鶴巻温泉駅から北西へ徒歩数分、極楽寺である。簡素な二階建てのアパートの隣に鎮座する、曹洞宗のお寺は、意識しなければ通り過ぎてしまうほど、周囲の住宅に溶け込んでいる。門の両脇に、びっしりと黄色い花弁をつけたロウバイが犇いていた。寒空の下で、黄色い可憐な花に心が吸い寄せられた。花言葉は「慈愛心」や「奥ゆかしい」、「先導」である。慎み深くて、遠慮がちな様子から、繊細な人の心を表しているようだった。

歌詞「少しづつ 少しづつ」は、寒空の下で、切なさを感じる主人公を描いている。
全詞掲載
歌詞:「why あなたのことを想うと 胸騒ぎがする 風が吹くの こんな淋しい花だから」
冬場は、気温が低く、乾燥も進む。冷たい風が、より身に染みる。真黄色のロウバイは、公園で一本だけ咲いていると、淋しさを感じてしまう。お堂を背景にすると、清雅な色調の絵のように映った。
歌詞:「so long 一緒にいたいのに 一緒にいるのが つらいんだ 好きなのに嫌いなんだ」
人間誰しも自分のことが分からなくなるときもある。例え恋人といても、孤独感を抱える場合もある。「好きなのに、嫌いなんだ」の一節は、将来不安から来る言葉だった。
バブル崩壊後、誰しも先行きが見えず、不安を抱える。対照的に作詞者の坂井泉水は、新聞で「平成の大不況」の見出しが躍った1993年以降にブレイクを果たした。彼女自身は、右肩上がりの経済成長を遂げた昭和の若者像を描き、暗い世の中に、一筋の光明を見出したと、評価されている。未公開歌詞だった「少しづつ 少しづつ」は、2006年以降の闘病生活の際綴ったといわれている。歌詞のフレーズから、どこか切なくて、寂しさを抱える若者像を髣髴とさせた。名探偵コナンのヒロインである毛利蘭と主人公の工藤新一との間柄も見えてくる。
写真=トロピカルランドでデートする新一と蘭 リメイク版より 2020年9月11日 金曜ロードショーXより
https://x.com/kinro_ntv/status/1304402221228908545/photo/3
蘭と新一は、帝丹幼稚園、同名の小学校、中学校、高校と共に歩んできた。ある日のこと、トロピカルランドでのデートを機会に、突如姿を消してしまったのである。時々電話をくれるものの、姿は滅多にあらわさない。蘭自身、新一に対する思いは実に複雑だった。
歌詞:「ああ 今度こそは 最後かもしれない いつからこんなにすれ違ったのだろう」
小学校1年生として過ごす江戸川コナンは、同じく体が小さくなった同級生灰原愛から与えられたアポトキシン4869を飲み、一時的には元の姿、つまり工藤新一に戻る。蘭ともつかの間の再会を果たす。突発的なイベントには、心の準備が必要。いつも互いに本音を吐けず、別れてしまった。
歌詞:「少しづつ 少しづつ 何かが変化していって。あなたも周囲(まわり)も変わって。 私の原因(せい)なのかって こんなに大事な人なのに」
Aメロ終わり
蘭自身も、確かに新一との別れは予感していた。トロピカルランドでのこと。凍りついた目、ドスの利いた声の黒尽くめの男の立ち居振る舞いに、新一は直感的に、犯罪の匂いをかぎつけていた。帰り際、蘭を置いていった新一は、こっそりと行動をする黒の組織を追跡するべく、慌てたように駆け出した。蘭は手を伸ばしたものの、「すぐに帰るよ!」と新一のいつもの弾んだ声が、なぜか遠くから聞こえてくるようだった。蘭は胸騒ぎがしていた。もう新一と会えないのではないか、と。
写真=蘭から遠ざかる新一 掲載元 ネタバレ!名探偵コナン
https://web-chance.com/jiettokosutar-satsujinjiken#google_vignette
我々の日常生活においても、常に予感はある。その蘭の「嫌な予感」とは、ネガティブな気持ちから生まれる。偶然訪れたトロピカルランドのジェットコースターに乗り、乗客の一人が亡くなる事件が起きた。日常的に遭遇することのない殺人現場に居合わせ、心に受けた衝撃が大きい。一緒にいた新一が、残された証拠から、犯人を割り出し、見事に解決した。確かに自分の幼馴染が手柄を上げることは、鼻が高いこと。ただし、ショックから、蘭自身は事件解決後も涙が止まらず、新一に慰められていた。人間、良かったことよりも、悪かった事の方が記憶に残りやすいという。悪い予感は、心理状況を如実に表していたのである。
詳細 心理カウンセラー 高見綾2020年4月24日付け記事
https://takamiaya.com/
第2章 寄(やどりぎ)のロウバイ園へ
小田急線の下り方面へ、渋沢駅を経て、新松田駅で下りた。午前8時56分に終点寄(やどりぎ)行きのバスに乗った。乗客は年配のハイキング客で占める。車内は満席に達する程混雑していた。山間の寄までは、県道710号線一本で繋がる。起伏のある山道を登る際、カーブを曲がるたびに、大きく揺られる。周囲は殺風景、木々を伐採し、採石場と化していた。
30分バスに揺られ、寄バス停からきつい坂の上にロウバイ園がある。入園料は500円、券売機の前に係員が立つ。地元の旬なお野菜を並べ、トン汁も振る舞っていた。1月26日時点で5部から6部咲き。開花状況はエリアごとに差があった。黄色い可憐な小さいロウバイの花は、公園でひっそり咲いていても、見落としてしまいがちである。2006年のことだった。地元の有志を含め、現在廃校になった寄中学校の卒業生が、250株の苗を植えた。水遣りを含めて、丁寧に管理したことにより、大きく育った。シカへの食害に強い性質から、植樹の花にロウバイを選んだという。入り口の標高は380m、敷地面積約13,000�屐¬�20000本確認されている。傾斜地を登り、枝を張り出した黄色い花のトンネル並木を潜り抜けた。小さな花から漂う甘い香りを嗅ぐと、過去の出来事を思いだす。

匂いから過去の出来事が蘇ることを「プルースト効果」という。匂いから記憶を辿れる背景には、脳の中の記憶を司る「海馬」に働きかけているからといわれている。名前の由来となったプルーストとは、フランスの作家マルセル・プルーストに由来する。著作の中で、主人公が、マドレーヌを紅茶に浸した際のことだった。豊かな香りから、懐かしい少年時代の記憶が蘇ってきたのである。
「少しづつ少しづつ」のBメロでは、過去の自分に語りかける主人公の姿を描いている。
歌詞「Why 人は何故生まれてくるの 目的は?何かのために 誰かのために生きるものなの?」
蘭は、新一が、江戸川コナンとしてそばにいることなど知る由もない。帝丹高校へ通い、友達にも恵まれ、部活の空手にも打ち込む。ふと、落ち着いて、自宅の一室で一人になると、新一の姿が脳裏をよぎってくる。
我々の魂は、2つのエネルギーで成り立つ。エネルギーが持続する限り、魂は宿っている。一つは意識、もう一つは感情である。2つのエネルギーが、肉体の中でブレンドすることにより、活力を見出す。ただし我々に寿命があるように、必ず肉体は限界がくる。肉体が朽ちる、つまり土に帰る際、意識は『意識のたまり場』に、感情は「感情のたまり場(霊界)』に帰っていく。我々の肉体がこの世で活動していた頃に刻んだ痕跡は、あの世にも無形の情報として持ち込まれる。学ぶ、感じるなどの五感を含むことを「根源意識」という。仏教の教え「輪廻転生」に従えば、肉体は土に帰っても、また新たに魂が吹き込まれ、この世で活動する。生まれ変わる過程で、根源意識は受け継がれていた。
詳細 Yoga Full 2024年10月20日付
https://yoga-lava.com/yogafull/5906/
花から甘酸っぱい匂いが漂うと鼻の粘膜をツーンと刺激する。甘さを感じながらも、神経をピリッとさせた。周囲に気を配りながら、ロウバイ並木を潜り抜けて、傾斜地の天辺の見晴らし台に登った。辺り一帯は、丹沢山塊を成す標高数百メートル級の低山である。寄は、谷底に出来た小さな村だった。なだらかな稜線を挟み、向側の山の麓に、点々と家々が連なっていた。

歌詞:「真っ赤に燃える夕日が落ちて 毎日同じ場所 同じ人 同じことの繰り返し」
週明けの月曜日、朝型列車に乗って出勤し、陽が落ちた後帰宅する。同じルーティンを繰り返すと、飽き飽きしてしまう。殺風景な冬場に黄色の可憐な花を咲かせるロウバイ園は、目の保養にもなり、週明け後の生活にも張りが出る。
午前11時、ロウバイ園で1時30分余り過ごして、秦野観光案内所の職員の言葉を信じて、渋沢駅へ向って走り出した。軽いリュックを背負い、林道の中の蛇行する道を、呼吸を整えながら駆け出した。途中すれ違った自転車乗りに声をかけたところ、秦野市へと向う林道は、ほぼ下りだという。
林の中は、程よく日光を吸収してくれる分、汗をかきにくい。体から熱を発散することにより、寒さも吹き飛んでしまった。何よりも旅先で見慣れない景色の中を走ることにより、リフレッシュできる。常に五感が刺激され、ストレスの軽減や不安の解消に繋がる。瞑想を習慣にし、心の負担を軽減する「マインドフルネス」と同等の効果を果たす。想像以上に快適に林道の中を抜けて、秦野市上地区へと降り立った。
写真 掲載元 秦野市 地区一覧
周囲は広大な農地、冬場は土を均していた。道路の標識に沿って、渋沢駅へと向う。バス通り沿いに出ると、駅へまっすぐ進むだけである。右手側には、坂井泉水が卒業した「秦野市立西小学校」、四斜線を超えて、さらに先には「秦野市立西中学校」が見える。彼女自身、中学時代陸上部の選手として、寒空の下でも、市内を駆け抜けていた。陸上競技の選手としても、また当時から絵画の世界でも表彰を受けていた。ゆるやかな下りであるがゆえ、あっという間に目的地に着いてしまった。
歌詞:「お互い気づかいが 足りなくなって 慣れてしまい 苦いストレスで ハートに穴が開きそう」
新一と蘭は、確かに離れていても、思いを共有していた。二人の恋は一方通行だった。新一は、常に小学校1年生のコナンとして、蘭と共に暮らしている。一方蘭は、いつまでも帰りを待ち続けていた。
歌詞:「少しづつ少しづつ 何かが変化していって。臆病だった私は いっぱい傷つくよ あなたとの愛は真剣だから」
蘭にとって、新一はただの幼馴染ではなかった。推理オタクと時に揶揄しながら、誰よりもかっこよくて、尊敬していた。捜査班が行き詰る事件に対しても、新一なら朝駆けの駄賃である。残された現場から、わずかな手がかりを見つけ出し、トリックを暴き出す。有名探偵の幼馴染として、蘭も誇り高かった。
私は、不安や心配が和らぎ、目的地へ向って走る。渋沢駅を経由して、秦野駅へと戻った。
毎回立ち寄る駅構内の観光案内所を訪れた。実は、朝方に途中下車して、新年の挨拶をすると共に、寄(やどりぎ)から渋沢駅へ至る道程について教えてくれたのである。職員には、初めにお礼を述べて、道程について説明した。帰り道に訪れた上地区について、冬場眠りについているようだった。寄(やどりぎ)からの帰りは、下りだった分、走りやすかったと、感想を語った。
観光案内所は、休憩用のスペースも設けられ、開放感がある。秦野市内で生まれ育った職員は、寄にはキャンプのために訪れたことがあるという。ロウバイ園は川から遠く離れていた。見晴らし台から眺めると、V字型渓谷の底に集落が形成され、閉ざされた環境であることが分かった。展示されているサンプル品のカレンダーを眺めて、少々休憩すると、挨拶して離れた。
第3章 丹沢美術館 震生湖
3番目の目的地は、市内在住の画家の作品を日替わりで展示するビルの一室にある「丹沢美術館」である。
詳細 facebook 丹沢美術館 田中太賀志展 版画展 後半1月24日(金)から26日‘日)
https://www.facebook.com/tanzawa.art.m/
敷居のない小さな一室に、画家「田中太賀志」氏が、出迎えてくれた。プロフィールをみると、1958年生まれの66歳、美術大学を卒業し、高校の教壇に立ちながら、作品を発表していた。画家によると、作品は全て20代や30代の頃に完成したという。現在は油絵を書いていると教えてくれた。美術館側から版画展の依頼を受けたことにより、若い頃の作品を発表するに至ったという。版画とは、木や金属、石に彫刻や細工を施した「版」を使用し、複数刷ることを前提として制作された印刷物のことを差す。 キャンバスなどに作者が直接描くのではなく、版を介することから「間接技法」ともいう。
以下の作品は、シルクスクリーンと呼ばれる技法である。シルクを間に挟むことにより、立体感を持たせられる。鎖で四角く囲った中、黄色いインクがアクセントになる。色彩の重層的な調和から、作者の個性を感じた。

ご丁寧にも室内の真ん中の簡易テーブルに、来客のおつまみ用に、お菓子の入った籠が用意してある。一つ甘い砂糖菓子を頂ながら、作者から話を聞いた。教員時代、フランスのパリにて留学していたという。1985年の夏のことだった。1ヶ月間、研修と題してフランスへ渡り、絵画を学んだと教えてくれた。セーヌ川を下ったことは思い出として焼きついていると語った。8月12日に、JALのジャンボジェット機が、御巣鷹山へ墜落し、歌手の坂本九が亡くなったとの報が、パリにも入ってきたという。当時は1ドル220円台。物価を高く感じたのではないか、と聞いた。日本の経済にも転機となる年だった。1995年9月22日に、当時のG5(日本、アメリカ、イギリス、フランス、西ドイツ)の首脳や中央銀行総裁が、米ニューヨーク・シティのプラザホテルに集った。アメリカの輸出力を高めるため、日本の通貨「円」と西ドイツの「マルク」を一律切り上げるため、協調介入に乗り出すことで、まとまった。会議場所から「プラザ合意」という。投資家達も即座に反応し、ドル売りが加速した。円ドルベースは当時238円だった。1988年には128円まで円高が加速したのである。85年の大卒初任給は月給14万円台。航空機は高くても、現地の滞在費は安かったという。それもそのはず、日本は少なくともバブル崩壊時の1991年から、2020年頃までは物価は上がっていなかった。対照的にフランスは、右肩上がりで上昇しているのである。美術の教員らしく、版画の技法についても丁寧に教えてくれた。私は、次の作品展も楽しみにしていると伝え、お別れした。美術の教員らしく、話し方は大変丁寧で、分かりやすい。新たな版画の世界に触れて、リラックスをした。
秦野駅へ戻り、もう一度観光案内所に立ち寄った。別の係員が出迎えてくれた。午前中の係員2人から、私の行程のことを聞いたという。ロウバイは見頃、寄からの帰り道は、下りで走りやすかったと、伝えた。今後の予定についても話した。ケーブルカーの夜間運転を行っている大山で、トワイライトタイムを迎える予定だと語った。奇しくも前日の昼間、曇り空の中阿夫利神社下社まで登ってきたという。目的地を共有することにより気力がわいてくる。新年の挨拶をして、駅北側の渋沢丘陵の裏手に位置する震生湖に向った。
湖畔の北斜面には、スイセンが芽を出していた。背丈は小さく、腰をかがめながら、起き上がっている株を見つけ出し、カメラのファインダー越しにのぞいた。殺風景な冬に足元に咲く可憐な花々は、疲れた心を慰めてくれる。花言葉は「自己愛」や「うぬぼれ」、ギリシャ神話に登場するナルキッソスに由来するという。鏡のない時代、ナルキッソスは、水面に映る自分の姿を見入っていた。自己陶酔に陥ったナルキッソスを、水の女神が、スイセンに変えたとの言い伝えが残る。確かに、背丈が低い分、茂みに飲み込まれそうだった。新一を思い続ける毛利欄の姿とも重なる。

楚々としたスイセンを手にとる蘭を、江戸川コナンは、後ろから見守っていた。自分の正体が発覚すれば、黒の組織は口封じのために手を回す。誰にも本音をはけず、内心忸怩たる思いを抱えていた。スイセンのもう一つの花言葉は「報われない恋」である。線が細くて、白と黄色の濃淡がはっきりしている。優美で繊細な花が、湖畔沿いの斜面に並ぶ様子は、水墨画を切り取った1枚のようだった。可憐で清楚な姿をした坂井泉水も、スイセンに例えられる。人里から離れ、静謐な空間で、神経が研ぎ澄まされた。1923年9月1日に起こった関東大震災時の、土砂崩れによる堰止湖は、時を経ても、鏡のように、人々の心を映し出していた。
第4章 大山へ
午後5時10分、小田急線伊勢原駅から、大山行きのバスに乗った。乗客は、夜景目当ての若者のグループと、沿線に暮らす住民である。午後4時40分頃にはバス停に到着し、ケーブルカーを使わずに、女坂を上った。冬の大山登山は、2023年1月29日(日)以来2年ぶり、夜景撮影は2024年8月12日(月・祝)に絵灯ろう祭のときも行っている。2023年1月29日は、山を降りてくる複数のグループや個人ともすれ違った。この日は全く人の気配がない。沢の流れに耳をすませながら上ること、斜面には食事中のシカの姿がある。顔を上げて、私の様子を気にしていた。数メートル前の木の裏からもシカが様子をうかがっていた。生態上、オスも冬はメスと子供の群れに合流する。臆病な性質から、人とは適度に距離を置く。私を振り返りながら、斜面を登っていった。シカに気をとられ、行程はやや遅れた。
午後5時10分過ぎには、阿不利神社下社へとたどり着く。さすがに標高が高い分、幾分風が冷たく感じた。ケーブルカーで登った若者らが、境内から暮れゆく町を眺めていた。
少しずつ少しづつのCメロのサビに繋がる歌詞は、毛利欄の溢れる思いが綴られている。
歌詞:「あなたの力を借りずに生きてみたい。この町を出てきて、未来をノックしたくて」
新一が離れていった生活も次第に慣れてくる。弟分のコナンといると、事件に巻き込まれるけれど、生活は一段と張を帯びる。何よりも、コナンがきてから、父親の毛利小五郎は、難事件解決する有名な探偵として名を馳せたではないか。高校生の蘭は将来を思い悩む年頃だった。
午後5時25分を超えると、すっかり空が暗くなり、町の明かりが浮かび上がる。周囲の観光客も、声をあげてしまう程、きらびやかな夜景が、目に飛び込んできた。

歌詞:「少しづつ少しづつ 何かが変化していって。ちょっと距離を置いていたけど。でもあなたが好き」
蘭も新一も、阿不利神社の見晴らし台に立つ人々のように、思いを共有していた。コナンとしてそばで見守る新一は、蘭の心の変化を察していた。正体を明かさなくても、蘭が窮地に陥った際、身の危険を顧みず、救助へ向う。新一を思い出す蘭の心情は複雑だった。声は聞こえても、姿を見せてくれない。映画「時計仕掛けの摩天楼」では、爆発物を仕掛けられ崩れゆく建物から救助された際、おぼろげながら新一の姿を見る。
写真=劇場版第1作「時計仕掛けの摩天楼」の一場面
掲載元 シニャの趣味部屋 2021年2月1日付
https://shinya-09dom.hatenablog.com/entry/2021/02/01/210000
歌詞:「そう今は あんまり先のことは考えたくない。誰もあなた以上になれない 大事な人なのに こんなに大事な人なのに」
<END>
意識が朦朧とするなか、そっと目を開けると、迎えてくれたのはコナンだったのである。コナンは、体は小さくても、頭脳は高校生のままだった。蘭の力になる心強い味方である。麓の町の明かりが、強い絆で結ばれた二人を照らしてくれるようだった。
ZARDの坂井泉水も、ファンに別れを告げずに、突如旅立ってしまった。彼女らしくノートには、びっしりと言葉が綴られていた。麓の伊勢原市は、石志田高校時代、3年間通いつめていた。暗闇から光る町の明かりから、彼女の姿が走馬灯のように蘇ってくる。時を越えてもなお、歌詞を通して、メッセージを発し続けていた。
写真 掲載元 2025年2月10日 oriconサイト 公式X
https://x.com/oricon/status/1888787473678958853/photo/1
午後5時40分、私はヘッドライトと懐中電灯を用意し、女坂を下った。足元に気をつけ、スロープを使いながら、慎重に降りていく。元々等間隔にある街灯のほのかな明かりが、照らしてくれる分、安心できる。行きに出会ったシカが、茂みの中でもぞもぞと動いている気配を感じた。悪さをしない。そう暗示して、無事に下り道を降りた。2月は早咲きの河津桜や梅の季節。春を待ちながら、次の旅の準備を進めていく。
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=137&from=diary&id=8199031
ログインしてコメントを確認・投稿する