本日の世見 2024年11月16日(土曜日)
『田中久重』
東芝の創業者といえば、田中久重(たなか ひさしげ)です。
久重は寺小屋に通っていました。
“発明家”この言葉がピッタリの人でした。
久重も興業に失敗したことがあります。
事業に失敗した36歳の久重は、妻と子を伴って大阪へと移り住み、発明家の本領を発揮して、折り畳み式の懐中電灯燭台を考案。
この発明は現代の懐中電灯の役割をするだけに終らず、三脚の付いた燭台にもなり、当時行燈にもなったのです。
久重はカラクリ人形作りの天才でもあり、和時計の修理も請け負うことも出来ました。
久重はやっと落ち着いた日々を迎えますが、それも大塩平八郎の乱で家と家財一切が焼かれてしまい、又々、人生の出直しとなってしまったのです。
久重が次に住んだのが京都の伏見でした。
ロウソクの十倍の明るさがある「無尽灯」という名の室内照明は大ヒットしたのですが、益々知的好奇心が盛んになっていたのです。
あなたは、44歳で新しいことにチャレンジ出来ますか?
久重は、時計や天文の観測計器の製作に於いて報時館の戸田東三郎に心を奪われ、戸田から時計と暦学と天文学を学んだのですよ。
現代人は、久重という人を学ぶべきだと私は思います。
53歳の時には、蘭学者の広瀬元恭の「塾自習堂」に入門したのです。
「人々の役に立ってこその技術」この思いの強い人が田中久重です。
日本初の蒸気機関車の模型を作りあげた久重、75歳になった久重は通信事業に力を入れ電信機を作り、77歳の時銀座八丁目に工場兼店舗を設立したのです。
ここが東芝の発祥の地になってもいます。
明治14年10月7日、久重は83歳の生涯を終えました。
久重があの世に旅立って今年で143年。
もしも、興業に失敗しなかったら、大阪に移り住んでいただろうか。
久重の人生から学ぶことは、自分の人生を諦めることなく生き抜くことのようにも思います。
あなたもご自分の人生を大切になさってくださいね。
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