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2024年10月03日06:34

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松原照子の「世見」(転載)

本日の世見 2024年10月03日(木曜日)

『荒木村重』

色んな人の生き方があります。
どの生き方が良いのか、その答はどなたも直ぐには出ないことでしょうね。

荒木村重という人がいました。
織田信長に摂津一国を任された人です。
茨木城主になったのがこの荒木村重です。
伊丹城を落とすと城を大改修して、有岡城と改めたりしたのもこの人です。

荒木村重に興味が湧いたのは、神戸の元町に花隅城があったのを知っていたことと、大阪府の吹田に住んでいたことがあるからです。
彼の配下の城は、能勢城、高槻城、大和田城、尼崎城、花隅城、吹田城、三田城、有岡城、伊丹城がありました。

荒木村重という人は、実に面白い生き方をした人に思えるのです。
生き延びる力の凄さは学びどころがあります。
この人、石山本願寺との密約があったのかもしれません。
だから、羽柴秀吉が中国攻めを行なっている最中に、信長を裏切ったと思えるのです。
この後が凄い。
この辺りは調べると村重の生き方の凄さがわかります。

信長が、尼崎城と花隅城の明け渡しを条件に村重一族の助命を約束しても、村重は応じることはせずに、一族が処刑されてしまったのですから凄過ぎます。
村重は嫡男の村次を連れ、花隅城を脱出。
如何ですか、一度調べたくなりませんか。

信長の死を望んでいた人は荒木村重かもしれませんが、本能寺の変を知った時どの様な思いが広がり、堺に移り住む気になったのでしょうか。
それも、茶人・千利休の高弟とされる「利休十哲」に評価される茶人になったのですから、これだけではこの人の人生の面白さはわかりません。
あの太閤秀吉に仕え、話し相手のお伽衆となったといいますからね。

村重の51年の生涯を、あなたはどのように思われるのでしょうか。
秋の夜長は、どなたかの生き方を調べられて、ご自分の生き方と照らし合わせてみるのも、中々乙なもののように思います。
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