mixiユーザー(id:67073406)

2024年09月26日09:08

41 view

松原照子の「世見」(転載)

本日の世見  2024年9月26日(木曜日)

『安土城』

「土」と「成」が仲良くすると、「城」という字になります。
この「城」に心を奪われる人も多いことでしょうね。
私も、お城には魂といいますか、城主だけではなく、建築に関わった人々の気が流れている、と思ってしまいます。

このお城の中で“謎解き”がしたくなるのが安土城です。
安土山頂に築城を開始したのが1576年でした。
信長がこの城に移り住んだのは、1579年の5月です。
信長が本能寺の変で死亡したとされるのが1582年6月2日。
5日には光秀が安土城に入場。
13日には光秀も敗死したとされているのですが、15日には安土城の天主と本丸が焼失しているのです。

ネエネエ、謎めいているでしょう。
私ね、「この安土城には秘密がある」、こんな思いがするのです。
安土城の天主は、琵琶湖の東岸にある標高199mの安土山頂にあります。
現代とは違い、あの当時は湖水に接していて、湖での交通の便もよかったようです。
地下は石蔵、一階は南北約36m、東西約31m、御書院や配膳の間があり、二階には12畳敷きの間が2つあり、地下一階地上六階で、高さ32mの三階に信長の居間がありました。

5日に光秀が安土城に入城して、一週間もこの城にいたのです。
どの様な思いで過ごしたのか気になるのです。
栄華を誇ったことであろう安土城。
城主が変わって安土山はどんな思いになったのやら、いまだに焼失の理由は謎に包まれていると言いますが、盗賊が湖から侵入して放火しただけはないと思ってしまいます。

信長は、三階から何を目にし、地下の石蔵には何を思ったのだろうか。
まさか信長も、亡くなった次の年に、秀吉が安土城に城主として来るとは思わなかったことでしょう。
でもね、干拓さえしなければ、この安土城が焼失した原因がわかった気がするのですが、残念ながら陸地になってしまっています。
滋賀県近江八幡市の安土城には、三人の城主がいたのです。
1 0

コメント

mixiユーザー

ログインしてコメントを確認・投稿する