鮎川港のクジラ解体場にクジラが上がる、みんなでひきあげて
大きな「なた」のようなクジラ包丁で解体する。
ものすごく油が多いのにすぱんすぱんと解体されていく、
刃物がどれだけ切れるのか?
「クジラ包丁殺人事件」が起きないか心配になる切れ味。
というシーンをみていたら、ワシの鼻ににおってきた記憶。
保存用に山盛り用意してある氷のにおい、
クジラの新鮮な血と油のまじったにおい、
解体場で働くおっさんたちの前掛けのゴム引きのにおい。
ワシは小学校のときの遠足で、ここに来たことがある。
もちろん震災前の薄暗いコンクリむき出しの寒々しい場所だったけど。
でも、行われていることは同じ。もっと人がいっぱいいたと思う。
解体されるそばから加工場へ運ばれて行った。
今この会社を経営してる人が言った。
「前はこの倍以上の人間がいたけどね。」
平成20年に大きな水産会社が不採算を理由にクジラから手を引いたあと、
この人のお父さんが「鮎川のクジラをなくしちゃダメだ」と買い取った。
クジラの分布が変わって鮎川沖では取れなくなり、
いろんな「自然保護」団体から妨害を受け、震災で何もかももっていかれ。
それでもやめなかったのは「クジラを食べたい」から。
そう思う鮎川浜の人が多かったから。
食べることはごくごく個人的なことだ。
嫌いなやつに押し付けるのはアウト、でも食べたい人間の邪魔をしてはいけない。
基本的人権の一部だと思われる。(個人的にね)
ワシが小学生だったころ、給食にはクジラのカツが出た。
父親はクジラベーコンやクジラの缶詰で晩酌していた。
ワシが医者になったころ、いい料理屋ではクジラの刺身が出た。
鮎川浜のホエールランドはクジラ胎児のアルコール漬けや、
クジラ陰茎の干物(でかい!)が飾られたちょっとホラーなデートスポットだった。
(今は明るくおしゃれなよくわかるクジラ小博物館です)
SDG’sとは何か?
まず最初に「誰も何者も取り残さない」こと。
クジラをとって売って食べる人間も含めて。
とある環境において捕鯨に理由がある人間も含めて。
日本の文楽、あの人形の頭を動かすにはクジラひげのゼンマイが使われている。
ワシントン条約でクジラの肉もひげも海外から輸入はできないから、
少し前まで「もうすぐゼンマイのストックがなくなる」ことで
文楽という芸能は消滅すると言われていた。
日本の捕鯨が始まり、万全ではないがちょっとだけ芸術の寿命が延びた。
以前IWCの委員長をやっていた人が言う。
「科学でなく政治に基づく決定がなされている」。
クジラを食べるのを禁止すれば、海外から安く輸入される肉を食べてもらえる。
ただし、その動物たちは抗生物質も含めたケミカルな餌を食べている。
菜食主義の方々のため、広大な森林が伐採され、効率のよい栽培のため
大量の化学肥料が地面に撒かれ、あふれたチッソやリンが川から海に流出する。
自然を大事にするとは、環境保護とは何か?
何を食べるにしても、相手に対して平等で公平な考え方をすべきではないか?
少なくても「頭がいいから、かわいいから食べてはいけない」はおかしい。
ワシは愛犬家で愛猫家だが、犬猫を食べたいという人たちを否定する気はない。
ワシの飼ってる犬猫を食べないでほしい、ことは希望するけど。
映画に出てきた「一乃谷」は前は仙台にある普通のクジラ料理屋だった。
今は、本店は新宿の某ビル地下にある。
仙台の店は場所も変わり完全予約制になったそうだ。
行ってみようかと思ったのに。
ログインしてコメントを確認・投稿する