<UEFA EURO2024企画(6)ジョージアの歴史(1)グルジア王国11世紀から13世紀途中 グループF 最終第3節 ジョージア 対 ポルトガル戦レポート >
関連 第3章関連 1204年のコンスタンティのプール陥落に伴う東ローマの亡命政権について
2024年6月26日 UEFA EURO2024企画(4)アルバニアの歴史!
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地中海に面したジョージアは、東のイスラム教、西のキリスト教国家に面し、文明の十字路と呼ばれる程、アジアとヨーロッパの交通の要衝だった。国民の83,4%は、キリストの東方正教会、その中で最も多い宗派は、ジョージア正教である。他イスラム教徒の10,7%、東方正教会の一つアルメニア使途協会も2,9%、カトリック0,5%である。今回は知られざる同国の歴史を見つめていく。
第1章 序章 正教とワイン作り
ジョージアは、アルメニアに次ぎ、西暦327年に世界で2番目に早くキリスト教を国教とした。日本では、1991年の独立以来「グルジア」の名称が使われていた。2015年4月14日に、同国の大使の要請により、日本の国会にて、英語表記の「ジョージア」に改める法案が可決された。本稿において、同国の歴史や正教会については「グルジア」と表記する。
正教会の伝承によれば、使徒シモンとアンデレによって布教活動が行われたという。住民たちをキリスト教へ導いた聖女ニノは、ブドウの枝を自身の髪で縛った十字架を携えていたとの伝承がある。グルジア正教会は、ニノの十字架に思いを寄せる。「葡萄十字」と呼び、今なお信者たちは、ニノに眼差しを注ぐ。
国の名産品は、葡萄から作られるワインである。2017年11月に、ジョージアと欧米の研究者による合同発掘調査により、ワインつくりの原点まで遡った。トビリシ南方の遺跡ガダチェリリ・ゴラで土器の破片からワインの痕跡が残っていた。炭素年代測定法によると、8000年前と明らかになった。これまでの記録はイラン西部の7000年前の遺跡だった。過去最古の記録より、約1000年も前にワインが生成されたことが明らかになった。
詳細 写真掲載元 ワイン作り sakartvelo
https://sakartvelo.jp/?tid=5&mode=f8
トビリシ郊外で発掘された土器
同地域は4世紀にビサンツ帝国に入る。王の力が弱く、地方勢力が台頭した中、11世紀に現在のジョージアは、グルジア王国として一時は独立を果たす。
第2章 11世紀のダヴィド4世 正教の信者
以下 ウィキペディア グルジア王国より
また ジョージアの歴史 History Map
https://history-maps.com/ja/story/History-of-Georgia
、ダヴィド4世とタマル女王の治世の下、黄金時代を現出した。当時はイスラムのセルジュークトルコの属国と化していたのである。1071年にマンジケルトの戦いで、セルジューク朝が、正教のビサンツを敗ったことにより、グルジアは抑圧下にさらされたのである。ダヴィド4世の父ジョージ2世が、反旗を翻す。きっかけは思わぬ自然災害だった。西暦1088年4月16日に、グルジア南部で起こった地震である。被災地の貴族が財産を失う中、地震に無縁だったグルジアの貴族に富が集中した。セルジューク朝第3代目のスルタン、マリク・シャーに服従を申して、グルジア東部カヘティを治めるアレクサンダル一世との戦いに挑もうとしていた。既にアレクサンダル一世は、マリク・シャーと同盟関係を結んでいた。大きな戦争にはならず、領土の変更はなかった。ジョージ2世は、確かに基盤を築いたとはいえ、地位を向上させることはできなかった。息子に未来を託して、息を引き取った。現在のジョージアの原型といえる古代グルジア王国の創設者ダヴィド4世は、16歳で即位すると、中央集権型国家を目指し、封建領主の力を弱体化させる。絶対的な権力を持つ王の下、トビリシ西方40kmのディドリコの戦いで勝利し、潰走するセルジューク軍を追撃した。戦利品を手に入れ、現在の首都トビリシを獲得した。
写真=ダヴィド4世の肖像画
最盛期には今日のウクライナ南部とイラン北部までを版図に収め、アトス山とエルサレムに修道院を保持した。住民達の大半は正教徒であり、現代まで変わっていない。
隆盛を極めた王国は、イスラム教の西方進出を阻み、防波堤となった。台頭に扱ってもらうべく、東ローマ帝国での封号を名乗ることを拒否した。後の時代、マリア・バグラティオニが東ローマ皇帝ミカエル7世ドゥーカスと結婚した後、12世紀に少なくとも16人のグルジア王族が東ローマ帝国での封号を得ていた。
ダヴィド4世は、正教徒として、建築もビサンツ様式に仕上げる。信仰の中心は、王の治世に建設したゲラティ修道院、後にユネスコが登録した文化遺産となった。西暦1112年に都をクタイシからトビリシに遷都した。教育機関を建設し、イスラム教の影響を排除し、中央集権型の王国の礎を築いた。1125年1月24日に首都トビリシで死去した。ゲラティ修道院に埋葬され、グルジア正教会によって列聖された。
隆盛を極めた王国の後を継ぐのは、ダヴィド4世の子であるデメトレ一世である。確かに親族間で後継者を巡る、いざこざは起こった。先代のダヴィド4世が、生前から後継者に任命したことにより、軍の指揮権も移譲され、大きな混乱はなかったのである。ムスリムに対してはギャンジャ(現アゼルバイジャン第二の都市)で決定的な勝利を収めた。
デメトレ一世は父譲りの詩人としての才能に恵まれ、グルジアの聖歌を数多く詠った。代表作「Thou Art a Vineyard」は、現代のグルジア正教会を代表する讃美歌として後世にも残る。
西暦1156年、デメトレ一世の子ギオルギ3世が、王位を継承した。3代目になり、版図の拡大、または王国の安定化を図った。ギオルギはアナトリア半島東部のセルジューク朝地方政権を襲撃し、ドゥヴィンを解放した。ムスリムの脅威を取り除き、近隣のキリスト教国家と連帯する。娘のルスダンを東ローマ皇帝アンドロニコス1世コムネノスの息子マヌエル・コムネノスに嫁がせ、事実上同盟関係になった。
第3章 タマル女王の治世
ギオルギ3世が亡くなると、4代目は娘のタマルが、史上初めての女王になり、行政機関とも通じ、治安の安定化に貢献した。イスラム教のテュルク人に対する監視体制を強化した。絶対的な権限を持つ王に対する反乱分子は、ことごとく潰す。芽は浅いうちに摘み取れ、の諺の通り、周辺に不穏な動きがあると、すぐに察知する。謀反を企てる団体を徹底的に取り締まった。最初の夫ユーリー・ボゴリュブスキーが画策したクーデターも抑え込んだ。権力を維持するには、一定程度国民との対話が必須だった。死刑と拷問の廃止など、近代国家に通じる進歩的な政策により、安定していた。タマル女王の治世、修道院建設を推進した。
画像はアトス山のイヴィロン修道院(英語版)。
タマル女王の治世下では、東方正教会が、西のローマに脅かされつつあった。1204年に、第4回十字軍により、コンスタンティノプールが陥落したのである。ビサンツの貴族は、周辺の国々に逃げ延び、保護を受ける。
写真=タマル女王の肖像画 写真=タマル女王治世下のグルジア王国

ビサンツのコムネノス家のアレクシオス一世が、グルジア遠征の際、タマル女王に保護を求めた。1204年に、アナトリア半島北東部とクリミア半島南部で、トレビゾンド帝国が成立する。タマル女王は、アレクシオス一世とその弟ダヴィドの良き理解者だった。タマル女王御用の歴史家によると、トレビゾンド援助の目的はアンティオキアとアトス山の修道院への送金の約束を破ったアレクシオス4世アンゲロスへの懲罰であるという。アレクシオス4世アンゲロスは、西暦1182年、東ローマ帝国アンゲロス朝初代皇帝イサキオス2世アンゲロスとエイレーネーの子として産声をあげる。
以下 ウィキペディア アレクシオス4世アンゲロスより
「1195年、父が叔父・アレクシオス3世アンゲロスによって廃位されると、帝国を脱出して義兄のシュヴァーベン公フィリップの元に逃亡した。1201年、軍資金調達で苦しむ第4回十字軍に対して、遠征資金の負担や東西教会の統一を条件にして、首都コンスタンティノポリスに侵攻し、1203年7月に叔父を追放した上で、幽閉されていた父を助け出して共同皇帝として即位した。
しかし第4回十字軍の遠征資金を負担するために国民・貴族に対して重税を課したことで、彼らの反感を招いた。そして1204年、彼らの支持を得たアレクシオス3世の娘婿であるアレクシオス5世ドゥーカスによって反乱を起こされ、父と共に殺害された。23歳であった。」
引用終わり
タマル女王のトレビゾンド帝国援助について、180度異なる見方をする歴史家もいる。アンゲロス王朝が、第4回十字軍の侵攻により、軍事的に持ちこたえられず、グルジアの南西に友好的な国を建てた、という説もある。
タマル女王の治世の後半、王国は聖地におけるグルジア教会を保護するべく、国土防衛に力を入れた。転機は、聖地エルサレムを巡る、イスラム教とキリスト教の激しい攻防にあった。グルジア王国も長く東方のイスラム教の進軍を食い止め、王に権力を集中させながら、国民とも一定程度対話を続け、治安の安定化に努めた。聖地エルサレムが、イスラム教の手に渡ると、グルジア王国征服も視野に入る。当時キリスト教と和解したイスラム教のサラディンの伝記作者によると、1187年のアイユーブ朝によるエルサレム侵攻の後、タマル女王はサラディンに使者を送ったという。エルサレムでのグルジア教会の返還を要請したのである。サラディンの返事が書かれた手紙は残っていない。エルサレムにおいて、正教会は保護されたことは確かである。
サラディンに対しては、見返りにヒッティーンの戦いで奪われた聖十字架を20万の金塊で買い戻す提案をした。東ローマ帝国も、金塊に対して購入を申し入れたものの、サラディン自身は譲る気はなく、所有をした。
ラテン・エルサレム総大司教のジャック・ド・ヴィトリは当時、グルジア王国について書き残している。
「 東方にもキリスト教の人々がいる。彼らは戦いに強く、勇敢で、無数の力強い戦士がおり...異教徒の国に包囲され...彼らは聖ゲオルギオスを崇拝するので、グルジア人と呼ばれている...聖墳墓教会に巡礼に行くとき、彼らは行進して聖なる城に入る...誰にも通行料を払うことなく。それはサラセン人が彼らを侮辱できるわけないから...
イスラム教徒とは、上手く折り合いをつけ、グルジアは宗教と国家が一体となった形で歩む。おもわぬ脅威は、モンゴルだった。モンゴルが、東ヨーロッパまで版図を広げると、一部の舞台はグルジアまで南下する。タマル女王の子ギオルギ4世は、第5回十字軍支援を取りやめ、国をあげて防御する。先進的な騎馬隊で強行突破するモンゴルに気圧され、ギオルギ4世は重傷を負い、1222年に31歳で亡くなった。
モンゴルは、征服した国に対して、忠誠を誓う代わりに、宗教を容認した。
画像はウビサ修道院のフレスコ。
ギオルギ4世の妹ルスダンが後を継ぎ、モンゴルの配下に治まった。ホラズムの支配者ジャラールッディーン・メングベルディーが、グルジアへ侵攻した。1226年、首都トビリシが占領されて略奪される。モンゴルの当初の目論見は、補給路の確保、舞台はホラムズへと向った。グルジア王国は、手痛い打撃を受けながら辛うじて持ちこたえた。当時の記録は歴史資料に乏しく、詳しく残っていない。次回はモンゴルによる征服の時代について考察する。
第4章 モンゴルによる征服「タタールの頸木時代」
西暦1236年、チョルマグン率いるモンゴル軍は、グルジアに対して再度侵攻した。ルスダンはグルジア西部クタイシへ真っ先に避難し、東部で戦線を張る。モンゴルには太刀打ちできず、ついに屈服した。生き残った貴族はモンゴルに臣従し貢税を支払った。幸いにも、地形が険しいグルジア領内は、全土侵攻にはエネルギーを擁した。モンゴル軍はスラミ山脈越えを諦め、西部の被害は少なかった。モンゴル軍が、追撃に手間取っている中、ルスダンはローマ教皇グレゴリウス9世に支援を要請した。ローマ教皇はカトリック、正教の国々に対しての介入は最小限にとどまった。周囲はモンゴルに屈服した国々、一人で戦うには、無謀すぎた。ルスダンは、西暦1243年にモンゴルに臣従した。3万の軍勢がグルジア領内に駐留し、睨みをきかす。モンゴルは、王としての地位を奪ったものの、一定程度権限を与えた。新たに行政単位において「グルジスタン州」と名づけ、グルジアと南カフカス全域を管掌させる。かつての王様は、現代的にいえば州長のような存在である。グルジアの領主たちを通じて間接統治を行った。次回はタタールの頸木と呼ばれるモンゴルの影響下でのグルジアの独立運動を中心に紹介する。
<ジョージア 対 ポルトガル戦レポート>
前回6月21日ジョージア関連日記 UEFA EURO2024企画(2)初出場ジョージアのサッカー熱、初戦ジョージア 対 トルコ戦レポート
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日本時間6月27日午前4時 グループF最終節 ジョージア 対 ポルトガル戦が行われる。ジョージアは、初戦のトルコ戦を1対3で落とし、続くチェコ戦は1対1で引き分けた。一方ポルトガルは初戦のチェコ戦を1対0、2節目のトルコ戦を3対0で快勝し、2連勝で既に一位通過を決めている。ジョージアのGKママンダシュヴィリは、チェコ戦にて、1失点しながら、大会史上2番目の数値となる枠内シュート11本をセーブした。ポルトガルは、前節から大幅にメンバーを代えながら、ワントップのクリスチアーノ・ロナウドは3戦連続スタメン起用している。大会通産ゴール14、通産アシスト数はトップタイとなる8、通産試合数28の数値を残す。
右エンドにポルトガル、左エンドにジョージアが付き、ポルトガルのキックオフで試合が始まった。
立ち上がり1分、ハーフウェー・ラインを若干超えたところでポルトガルの右サイドバックを勤めるアントニオ・シルヴァが、ゆったりとしたテンポから高く保った3バック(右アントニオ・シルヴァ、中央ダニーロ・ペレイラ、左ゴンサロ・イグナシオ)にボールを下げようとする。パスの受け手になるはずのゴンサロ・イグナシオが、前に上がったことにより、流れてしまう。ワントップのミカウターゼが、ボールを拾って、急いで駆け上がる。ドリブルするミカウターゼを、左斜めからサポートするようにクワラツヘリアが走り込む。エリアの若干外からクワラツヘリアはボールを受け取り、GKディオゴ・コスタの位置を見ながら、左足でシュートした。GKディオゴ・コスタの肘の下を抜けていくボールは、ネットに突き刺さった。1対0.今大会ジョージアの2ゴールを全て決めているミカウターゼは、初アシストを記録した。先取点を奪ったクワラツヘリアは、長い距離を走りながら、狙い通りのコースにシュートを決めた。
写真=先制ゴール 掲載元 THE NEWS INDIAN EXPLESS
https://www.newindianexpress.com/sport/football/2024/Jun/27/kvaratskhelias-georgia-upsets-ronaldos-portugal-2-0-to-reach-the-last-16-at-euro-2024
写真=雄たけびを上げるクワラツヘリア 版元 Getty Images
早くも先取点を失ったポルトガルは15分、ゴールから役30mの位置でFKを得た。キッカーのクリスチアーノ・ロナウドが、助走しながら、右足でシュートを打った。縦回転がかかったボールを、重心を左側に移しながらGKママンダシュヴィリが両手ではじき出した。後に球の速度が130kmと表示された。微妙に回転がかかった球をキャッチミスして、リバウンドを出すリスクを踏まえ、無難にパンチングで外に出したのである。
写真=クリスチアーノ・ロナウド 掲載元 IRISH Mirror
https://www.irishmirror.ie/sport/soccer/soccer-news/everyone-asks-same-question-cristiano-33116882
続いてポルトガルは22分、左から中央へドリブルしたパリーニャが右足でシュートを打った。微妙にカーブがかかったボールが、落ちていく。しっかりと腰を落として身構えたGKママンダシュヴィリが、両手の平でボールをキャッチした。ボール支配率はポルトガルの74%に対してジョージアは26%。数値が示すとおり、ポルトガルは、サイドから中央まで幅広くパスを繋ぎながら、崩しを図る。ジョージアは、3バックで中央を固め、右ハーフのカカバーゼ、左ハーフのロチュシュヴィリが、守備に回り、強固なブロックを築く。
45分、ポルトガルはジョアン・フェリックスが右から中央へドリブルしながら、左足を振りぬいた。グラウダーのボールを、左に体を倒したママンダシュヴィリが抑え込んだ。ジョアン・フェリックスは、ドリブラーとして、小刻みにスピードを変えながら、交わす技術を持つ。対戦するジョージアの方は、開始2分に先制ゴールを奪い、守備に専念する分、2人がかりで抑え込んだ。ジョージアの3バックは、中央のカシアがどっしりと構え、左側のトヴァリ、右側のクヴェレシアニは、ポルトガルの2列目(右フランシスコ・コンセイソン、左ジョアン・フェリックス)のドリブルに対応する。前半はジョージアがリードして折り返した。
エンドが代わり、後半5分ポルトガルはディオゴ・ダロが、右足でシュートを打った。カーブがかかったボールは、しっかりと右ネットに飛び込む。横飛びしたママダシェヴィリが、右手で外に出した。瞬時に横とびしたママンダシェヴィリは、シュートへのタイミングがぴったりと決まり、枠を捉えたシュートをセーブする。
写真=セーブシーン UEFA .com
https://www.uefa.com/euro2024/match/2036196--georgia-vs-portugal/
主審の方に動きがあった。ディオゴ・ダロのシュート前に、ポルトガルのボックス内で、PKが疑わしいシーンがあった。ジョージアの左ハーフのロチュシュヴィリがエリアに切り込んだ際、右足を伸ばしたポルトガルのゴンサロ・イグナシオと接触して倒れたのである。ゴンサロ・イグナシオは、ファウルを避けて、確かに足を引いていた。主審は、プレーを流したものの、映像を確認したヴィデオ・アシスタント・レフェリーは、異なる判断をする。主審は、助言に従い、ピッチの外に設置された映像を確認する。一連のプレーをファウルと判断し、ジョージアにPKを与えた。
後半10分に、VARによって、獲得したPKのキッカーは、前回チェコ戦でもPKを決めたワントップのミカウターゼ、助走をつけながら、右足を振りぬいた。GKディオゴ・コスタはしっかり読みきり、左手を伸ばしたものの、ボールに届かなかった。2対0.ミカウターゼは、大会トップとなる3試合連続3ゴール目である。ミカウターゼは、キーパーの動きに合わせて蹴ったものの、コースがよかった分、ネットを揺らした。
写真=PKシーン 掲載元 2024年6月26日 SPORTS STAR
https://sportstar.thehindu.com/football/georgia-vs-portugal-euro-2024-live-pictures-geo-v-por-real-time-updates-ronaldo-photo-gallery/article68337645.ece
2点リードのジョージアは、一つカウンターの形を作った。ミカウターゼがセンターサークルでポストプレーヤーとして、最終ラインからのボールを、右足で落とす。フォローしたボランチの1枚キアイシュヴィリが、右サイドを走るチャクヴェターゼにスルーパスを送った。チェクヴェターゼは、ドリブルで駆け上がり、エリアの外から右足でシュートを打った。微妙にアウト回転がかかったボールは、枠の右上に外れた。ミカウターゼは、ボールタッチが柔らかく、チャクセターゼが走ることを予測して、パスを出した。
2点のリードを許したポルトガルは、一貫してボールを支配する。28分に右サイドのフランシスコ・コンセイソンが、左足でゴール前にクロスを送った。カーブがかかったボールを、前に体を投げ出したGKママンダシュヴィリが、両手でしっかりキャッチして、ピッチの上で抑え込んだ。ママンダシェヴィリは、勘の良さと共に、キャッチングにも安定感があり、前節に続き好セーブを続けている。
写真=キャッチングするGKママンダシェヴィリ 掲載元 Diariro de Burgos
https://www.diariodeburgos.es/galeriavisor.aspx?g=z602822cc-be71-7f2c-dee736cbb1fb6a60&f=602b183b-e2df-532a-33b8bafb364deb85
ポルトガルは45分、エリアすぐ外中央やや左からジョアン・フェリックスが左足で代わって入ったセメドにクロスを送った。浮いたボールが落ちていくと、ターゲットののセメドは、GKママンダシェヴィリを前にして、右足のインサイドで合わせた。ピッチにショートバウンドしたボールを、即座に体を右に倒したママンダシェヴィリが、右手に当てる。すぐ前に弾かれたボールは、味方の交代出場のツィタイシュヴィリの膝に当たって、とまった。態勢をすぐに立て直したママンダシェヴィリは、両手でボールを抱え込むようにキャッチした。
写真=セメドのシュートをセーブする 掲載元
https://www.fox16.com/sports/ap-georgia-upsets-portugal-2-0-to-reach-the-last-16-at-euro-2024/
確かにセメドのシュートは、ミートしなかったとはいえ、枠内をとらえていた。ママンダシェヴィリは、腰を落としながらしっかりと身構え、即座に腕を伸ばして、セーブしたのである。続いても48分、交代出場のダロトがミドルシュートを打った。アウト回転がかかったボールを、左方向に飛んだママンダシェヴィリがセーブした。ママンダシェヴィリは、重心の位置が安定し、無難に弾き出す。ミドルレンジから再三放たれたシュートを、全て跳ね返した。ゲームは2対0で、ジョージアが、ポルトガルを下し、初出場ながらベスト16入りを決めた。ジョージアは、耐える時間が長かったものの、随所に個の力を発揮した。2点目のPKを決めたミカウターゼは、ボールタッチが柔らかく、ポジショニングの良さと共に、ポストプレーヤーとしても見せ場を作った。体は大きくないものの、テクニックがある分、ワントップでの期待に応える活躍をした。一方クワラツヘリアは、2試合を通して影を潜めていたものの、この試合前半2分に先取点を奪い、ドリブラーとしてアピールした。彼の幸先の良い先制点をあげたことにより、守備に専念して、カウンターを狙う戦法がはまった。後半に追加点を奪い、理想通りの展開に持ち込めた。
写真=チーム2点目となるPKを決めたミタウカーゼ Image: AFP 掲載元 Mirror
https://www.mirror.co.uk/sport/football/news/euro-2024-georgia-spain-billionaire-33129645
一方控え組みで望んだポルトガルは、ミスも多く、前半の頭の失点により、ゲームプランが崩れた。確かにミドルレンジからシュートは多く打った。GKママンダシェヴィリが当たっていたとはいえ、90分を通してディフェンスラインを崩すプレーがなかったのである。2列目右のフランシスコ・コンセイソン、左のジョアン・フェリックスは、ドリブラーとして中へ切れ込んだ際、ブロックされた。90分を通して68%のボール支配率を保ちながら、前線のコンビネーション不足により、迫力に欠けた。大会初勝利を挙げたジョージアのメンバーは、サポーターの前に駆け寄り、喜びを分かち合った。
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