松原照子の「本日の世見」
2024年6月06日(木曜日)
『呼称、あだ名』
今日は大安、いいことがありますように〜。
私ね、世界の歴史を見ていると、今とは違い世界の動きが即わからない時代なのに、よく似た出来事が起きている気がします。
あなたは、どの国のどのような歴史が好きですか?
日本の歴史を見ていて疑問が湧くことがあります。
秀吉って、本当に信長から「猿」と呼ばれていたのかなぁ、なんて思っていたら、「猿並み」「猿眼」と言った文章は残っているようです。
ただ「はげねずみ」とは言ったみたいです。
信長は、光秀を「金柑(きんかん)頭」と言っていたとも言われます。
このことが本当なら、光秀の頭の髪の状態がわかります。
でもね、秀吉ってかなり浮気者だったみたいです。
男は顔で勝負するのではないのがわかります。
秀吉は木下藤吉郎から始まって、羽柴秀吉、平秀吉、藤原秀吉、そして豊臣秀吉と5回も名前を変えています。
私もね、娘時代、色紙に絵を描いた時、「笹錦」と書いていました。
芸名と言って本名と違う名を持つ人もいますが、名前って、本当に深いこの世での自分自身でもあるように思います。
この秀吉のあだ名については、以前にも書いたかもしれませんが、不思議な世界の方に教えてもらいました。とても面白いですものね。
次のような楽しいことも教えてもらいました。
第八代将軍徳川吉宗について、子供達に「徳川吉宗とは何将軍と呼ばれたでしょうか」と問題を出したところ、「暴れん坊将軍」と答えた子供達が多くいたことがあったといいます(笑)。
𠮷宗は町火消し組合を創設し、目安箱を設置しました。
先ほどの答なのですが、吉宗は幕府の財政を立て直し、「米将軍」と言われていました。
享年68歳、死因は再発性脳卒中でした。
徳川に於いて一番長生きだったのが家康で、一番短い生涯だったのが8歳で亡くなった7代将軍の家継です。
あなたは、いつの時代の日本史に興味を持たれますか?
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