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2024年05月24日11:11

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もう一つのメインコンテンツ → 《復刻》 中世史私論 その150 「民衆の動きと経済の発展 品川湊の繁栄」

 関東地方の商人活動を全体的にみとおすことのできる材料は乏しいのですが、一つの手がかりとして、品川湊の繁栄ぶりをとりあげることができます。品川湊が文献上に初めて姿をあらわすのは、南北朝内乱期の永和四年(1378)のことです。このとき武蔵の守護上杉憲春が、品川・神奈川以下この国の浦々に出入りする船から、帆一反(ほいったん)当たり300文の帆別銭(ほべつせん)を徴収し、三年間にわたりこれを鎌倉円覚寺の塔頭仏日庵(たっちゅうぶつにちあん)の造営費用にあてることにしました。

 その後、明徳三年(1392)の「港船帳」によって、この年正月から八月までこの湊を母港として船30隻の船名・船主名・問(とい)名がわかります。間はそれによると品川に三軒ありました。またその年の品川の帆別銭は2、4、7、10月の四か月で16貫文でありました。これは仏日庵でなく、称名寺が金堂造営費として徴収権を与えられた分です。称名寺は明徳二年〜応永三年(1392〜96年)の五年間で、品川・神奈川の二港から、計339貫余の帆別銭をとりました。

 これらのデータから、当時品川や神奈川が、港としてかなりのにぎわいをみせだしていたことは十分に推定できます。それらの船が、すべて東京湾内の沿岸廻船(かいせん)程度の小型のものか、外洋に出て東海・畿内や東北地方とも往復するような大型船もふくまれているのかは、考えてみる必要があります。

※ 2023年5月10日の投稿文をup to date.


参考文献

 『品川区史 通史 下巻』 品川区

 『世界大百科事典』 加藤周一(編) 平凡社
 『国史大辞典』 瀬野精一郎(担当編集)  吉川弘文館
 『日本中世の世界1 中世社会の成り立ち』 木村茂光(著) 吉川弘文館
 『日本の時代史』 全30巻 吉川弘文館
 『日本史大事典』 全7巻 平凡社
 『室町時代』 脇田 晴子(著) 中公新書


 次回は「東国経済の発展」
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