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2024年05月23日23:23

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オーディオ三昧・・・II

先日記でMagnepanスピーカーの事を書いたが(https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987569617&owner_id=5691043)、その珍しいスピーカーのある喫茶店と言うのはネット情報で知ったのだった。その際同じ記事中にもう一軒気になる喫茶店があったので今日はそこに行ってみた。その「ムジーク」と言う喫茶店は衣笠の立命館大学キャンパスの近くにあって恐れ多くもかのTANNOYオートグラフが置いてあるんだそうである。このスピーカは私が”オーディオ”に手を染めた頃既に”名器”の誉れも高かったスピーカーで、私も何度か聞いたことは有るが、さてこの店のオートグラフ様はどんな音がするんだろうか?
閑静な住宅街の一角にあるその店は至って飾らない入り口で、ぼんやり外から見ているだけでは本当に喫茶店なのかどうかも定かではない様な雰囲気だが、”営業中”・・・とあるのでソッと戸を開けて入店すると・・・ある、あるオートグラフ様が何やら厳かにオーケストラ曲をやっている。こちらは、先のキャピキャピ娘どものたむろしていたMagnepanの店とは打って変わって”おじ様”どもばかりである。席に座って飲み物を注文して改めて音楽を聴くとブルックナーの交響曲で皆さん神妙な顔つきで聴いておられて、如何にも伝統的な”音楽喫茶”の雰囲気である。行儀の悪い私など一寸尻の端っこがむず痒くなりそうな気分もあるが、静かに音楽は聴ける・・・・と思っていたら、ブルックナーが終わると何やらおじ様方がアレコレ雑談し始めて、しばらくすると誰かのリクエストがあったらしく突然80-90年代頃と思しき日本人男性歌手のポップ音楽がオートグラフ様から流れ出した。どうやら店のおじ様方の大半は、常連らしくお互いアレやコレや肩ひじ張らずに色々聴きましょ・・・と言うことらしい。
・・・で、その後音楽もクラシックに戻ってしばらく聞いていたのだけれど、このオートグラフと言うのはソノ鳴らし方によっても色々変化はあるけれど、基本的にやはり良くも悪くも現代的なHi-Res音とは一線画す”一昔前”の音ではあるなー・・・と再確認。ただし、オートグラフはそのバカでかい図体にも拘わらづ同軸2Way独特の定位の良さは今もやはり一聴の価値はあって(意外なことに??)私はオーケストラよりピアノやヴァイオリンのソロの再生音が好きである。
まあ、この店はアクセスに少し難はあるが、1時間でも2時間でも好きなだけ本でも読みながら居てもよさそうな雰囲気だし、また機会があれば行ってみることがあるかもしれない。

先日購入したA3スキャナを使ってLPのライナーノートをPDFファイル化してHDに順次追加してく作業をやり始めているが、その過程でLPのデータ化に伴う思わぬミスが見つかったりして、その修正にも追われる羽目になってもいる。
そんなこんなで、手持ちのLPで私がデジタル化した音源を聴きなおしてみることにもなって、LPの音についても色々考える切っ掛けにもなっている。
近頃は河原町の電気屋のオーディオ・コーナーにレコード・プレーヤーが其れなりに展示されているのを見ても分かるのだが、最近はLP復古の風潮もある一定水準には定着しているようである。ただ、私はhigh-fidelity・・・と言う意味合いでは断然デジタル支持派であってLPの方がCDより”音が良い”と言う説は全く信じてはいない。勿論、レコードと言う繊細な媒体の持つ雰囲気・・・袋から出し埃を払いターンテーブルの上に置きカートリッジの針をソッと盤面に下す・・・と言った一連の”音盤”特有の(優雅な??)取り扱い動作とか、針が盤面を“擦る”レコード特有の音とか・・・の持つ雰囲気を”愛好”する趣味性の魅力は解からないことも無いが、こと音源の物理特性としての比較ではデジタル技術は事実上アナログLPのそれを包含している・・・と言ってよいと思う。
・・・・が、・・・である、ソウ言う私でも古い録音などでは、時々(結構よく??)CD復刻より古いLPの音の方が好きなことがある。・・・まあ、色々理由は考えられるが、その最大の理由(の一つ)は、デジタル技術そのもの・・・と言うより、アナログからデジタルへの移行と共に変化してきた録音エンジニアリングのフィロソフィーの違いが大きかったように思う。特にSTEREO録音の黎明期は各録音機器特性の向上と共に音の明晰さが何より尊ばれる風潮が強く、マルチ・マイク、マルチ・トラック録音の技術が追求され、音盤作成のためのソノ”マルチ音源”の人為的ミキシングは当然の”処理”として行われていた。これは、場合によっては実際の演奏の場で聴かれる音よりも更に”明晰”な再生音をも可能にする・・・とさえ考えられてもいたが、現在では(特にクラシックでは)ソウいった”人工”的な処理音よりは”自然”な音の追求が基本になっている(・・・とは言っても何をもって”自然さ”とするか?・・・は曖昧かつ微妙ではあるけれど・・・・^_^;;)。ソウいったこともあってか、1960-70年代のアナログ録音のCD復刻リマスターの際に、よりバランスの良い(・・・と、リマスター技術者が考える)”自然な音”に整音されて復刻されたものも多い・・・それは、それで悪いとは言わないが、その分、野放図(下品?・・^_^;;)・・・とも言えた元気のよい生々しいLPの音がCDで失われることともなった場合がある様に思う。
・・・先日も、久しぶりにクレンペラーによるマーラーの第2交響曲をLPからデジタル・トランスファーしたものとEMIの復刻CDで聞き比べた時も、良くも悪くもソウ言った録音・再生フィロソフィーの変遷を考えずにはいられなかった。

読書
「ユダヤ人の歴史」(R.P. シェイドリン著、入江規夫訳、河出文庫、2022)読了。

ユダヤ人の書いたユダヤ通史として、バランスの取れた良書・・・として評価の高い本だそうであるが、確かに変にイデオロギー的な頑なさも無く、紀元前から現代イスラエル建国(とそれに伴うパレスチナ紛争)までの歴史が記述されていて、私の様なユダヤ史初心者には良い読書だった。勿論本書を読んだからと言って”ユダヤ・・・そは何者ぞ?”と言う疑問に答えが出る訳ではないし、本書執筆時が1998年と言うこともあって本書の最後に書かれている”いまほどユダヤ人の歴史にとって良き時代はない・・・”と言う認識は2024年現在では早くも破綻しているとも言えるが、それは止むを得ないのだろう。
この後、続いて
「ユダヤ人の起源」(シュロモー・サンド著、高橋武智監訳、他、ちくま学芸文庫、2017)
を読み始める。
こちらは副題に”歴史はどのように創作されたのか”と言う意味深長な副題がついていて、実際”イスラエル建国の根拠(正当性)”を吟味する・・・と言ういささか挑発的でイスラエル本国でも物議を醸した内容の本らしく、読み始めたところでも”イスラエル軍国主義”などと言う記述が出てきて一寸ギョッとするが、現在のガザ問題などを見ていると内容に同意出来るにせよ出来ないにせよ今読むのにタイムリーな本だと思える。

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