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2024年05月22日14:05

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【映画叙景】ウェルメイドな作品とは?

『野のユリ』('63/94分/米)…5/21(配信Amazon)

本作も昔テレビの洋画劇場で見て凄く印象に残った作品であり、もう一度見直したかったのだけど見る機会に中々恵まれず、安値では無かったのですがDVDでも購入しようかと思っていたら、Amazonで配信されていたので早速鑑賞しました。
そして今回見直しても中々に興味深い作品だったので映画叙景で取り上げました。

まず上記タイトルの“ウェルメイドな作品”って映画関係(映画雑誌?)でよく使われる言葉だと思うのですが、他の人達はどんな作品に対してこの言葉を使っているのかがよく分かりせんし、人によっての使い方や解釈がかなり違っている様な気がしています。
なので、今回は私の“ウェルメイドな作品”のイメージをお話したいと思うのですが、本作の様な作品が私にとってまさに“ウェルメイドな作品”という言葉にピッタリと当てはまる作品なのだろうと思います。
私の中で良く出来た作品と“傑作”“名作”“怪作”とか“歴史に残る作品”と重なる意味があっても使い方は若干違います。
あと、アート作品やカルト作品や実験的な作品とかSF・ホラー・ファンタジー系のジャンル映画でも殆ど使いません。
私が使う条件として強いてジャンル分けすると人間ドラマを主体とする作品であれば、コメディーでもミュージカルでもサスペンススリラーでも使います。
まずは老若男女誰が見ても物語が理解できる“大衆映画”である事が第一条件で、その中に人間の本質が描かれた優れた作品、というイメージだと思います。
なので私の思う“ウェルメイドな作品”としてはアメリカ映画の古典的な作品に多く、例えば『アパートの鍵貸します』とか『ペーパームーン』などは代表例であり、日本映画だと私は真っ先に『男はつらいよ』シリーズが思い浮かびます。

で、今回見直した本作も「実にウェルメイドな作品だなぁ〜」という印象が強く残りましたが、更には昨今よく使われる言葉である“ポリコレ映画”という側面も感じられました。
しかし今使われる“ポリコレ映画”は本来のポリコレの意味から外れた、ただの設定のための設定という言葉に成り下がってしまい、悪い意味でしか使われなくなったのですが、本作は非常に良く出来た本来あるべき“ポリコレ映画”の、まるでサンプル作品の様な一面までも感じてしまいました。
理由を簡単に説明すると、主人公が黒人(当時のアメリカで主役が黒人と言うのは殆ど無かった頃)で更にスマートでハンサムで人情味があり優秀でという(当時なら絶対に白人が演じる)キャラクターであり、修道女達は東ドイツ(敗戦国)から渡って来た人(移住?)であり、シスターが彼に教会建設を強引に依頼するのだが、その教会建設を手伝うのがメキシコ人(移民?)で、登場人物の白人は建設会社の社長一人だけという、区別ではなく本物の差別が根強くあった60年前の当時のアメリカでは画期的な配役だった筈です。
役柄的にも、人間の善性の体現した本来白人が演じる役を黒人に演じさせ、「言い方がまるでヒトラーのように高圧的だ」と言われるシスターの宗教観を東ドイツ出身という設定にしたり、信心深いが教会建設に最初は全く協力しなかったメキシコ移民達や、優秀な人材欲しさにレンガを提供する(何処か可愛げのある)白人社長だとか、この人種と配役設定を当時のアメリカ人(白人)はどんな気持ちで本作を鑑賞していたのか?という想像を掻き立て、今見ても非常に興味深い作品であり本物のポリコレ作品でもありました。
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