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2024年05月22日08:24

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水曜日のメインコンテンツは日本中世史 → 鎌倉時代と北条氏 54 「十三人の合議制」 下

 前回にも書きましたが、比企氏は一族である比企尼が源頼朝の乳母を務めた関係により、早い時期から頼朝を支えた御家人となっていました。
 さらに比企尼の甥でその猶子となった能員(よしかず)が比企尼の縁から鎌倉幕府二代将軍・源頼家の乳母父となり、娘の若狭局が頼家の妾となって嫡子一幡を産んだ事から権勢を強めたのです。

 そういうことで、たんに初代将軍頼朝の妻・政子の実家に過ぎなかった伊豆北条氏とは御家人としてのランクに大きな差がありました。

 大河ドラマでの描かれた人物像とは違い、北条時政は頼朝の死後、野心の塊(かたまり)となり、御家人ヒエラルキーをひっくり返すために比企氏一族を滅ぼしたのでした。
 そのあたりは北条氏マンセーの『吾妻鏡』よりも『愚管抄』の方が公正に描かれています。

 
 北条氏の派閥としてはその一族の他には、三浦義澄・和田義盛・安達盛長らがいました。和田氏は大きな勢力でしたが、比企氏一族に比すればやはり二枚も三枚も勢力としては格下。三浦氏もまたしかり。

 比企氏の側にいたのは、御家人勢力としては比企氏に次ぐ梶原景時とその一族。それに足立遠元に八田知家らでした。北条一派とは比較になりません。



参考文献

 『国史大辞典』11巻「比企能員」
          菊池紳一(著) 国史大辞典編集委員会(編) 吉川弘文館

 『日本の中世国家』  佐藤進一 (著) 岩波現代文庫
 『源頼家とその時代 二代目鎌倉殿と宿老たち』
           藤本頼人(著) 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉
 『鎌倉源氏三代記 一門・重臣と源家将軍』
           永井晋(著) 吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉 
 『頼朝と義時 武家政権の誕生』 呉座勇一(著) 講談社〈講談社現代新書〉
 『鎌倉幕府の転換点 「吾妻鏡」を読みなおす』 永井晋(著) 日本放送出版協会

 『現代語訳吾妻鏡』 五味文彦・本郷和人 (編) 吉川弘文館
 『愚管抄 全現代語訳』 慈円(著) 大隅和雄(訳) 講談社学術文庫


 次回金曜日は「北条政子と鎌倉幕府」
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