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2024年05月21日14:34

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【復刻】 30 第二部 第一章 T・H・グリーンの思想とその継承者   ー 主権理論を中心として 一

五 理想主義的主権理論の意義と適応性

 以上検討してきた理想主義的主権理論に共通に認められる性格は、人間の社会関係を国家よりも前に置き、社会的諸価値を最大限に尊重して行こうとする姿勢であります。グリーンによって哲学的に深められたこの行き方が、今世紀における国家社会の大変動期に、新しい主権理論への重要な刺激剤となった点に注目しなければなりません。すなわち既にみてきたように、今世紀初頭以来の管理国家の出現に対しても、第一次世界大戦に際して感じられた国家権力の増大に対しても、あるいは第二次世界大戦を生み出したファシズム勢力の勃興に対しても、グリーン的な考え方が、常に有力な批判勢力を形成してきたのでした。この自発的な社会価値を重要視する考え方は、おそらく今後も、国家絶対主義的な、あるいは全体主義的な考え方が伸長する時には、常にそれに対する抵抗思想の核心を提供し続けて行くことは間違いないことでしょう。

 しかし、具体的に主権がどのように活動することが社会的諸価値を尊重することになるのでしょうか。主権が社会的諸価値を尊重しなければならないということは、道徳的要請としてしかいえないのでしょうか。こうした問題点に関しては、理想主義的主権理論はいずれも未整理な分野を残しているといわざるを得ません。
 主権あるいは強制力を国家の本質的な要素とみなさない点は、理想主義的主権理論の共通の特色であります。例えばグリーンは、国家の本質を強制力に求める見方は、「国家を作っているのが国家であるということを忘れ」た議論であるといい、マキヴァーは、「力は共同の意志に奉仕しなければ常に瓦解する」といって、強制力の過大視を戒めています。また既に指摘したように、バーカーは憲法や社会的正義の観念に究極的主権を認めて、主権の観念から極力、力の要素を排除しようとしています。

 しかしどのように国家の力を限定しようとも、国家意志の実行を阻む少数者を排除する力は、国家に残しておかなくてはなりません。そうでなければ、ホブハウスやマキヴァーが明芽的な形で示した政治的共同体は、崩壊せざるを得ません。既に述べたように、この政治的共同体は、人間生活のなかで外的・外的一般的統一を要する一面からのみなる社会であります。しかしこの一面が崩壊すると、ホブハウスやマキヴァーのいう感情的統一体としての共同体も、ひいてはその上に成り立つ結社や集団や一切の文化も崩壊してしまいます。主権という言葉で、他の権力にはみられない国家権力のの特性を意味するとすれば、政治的共同体を維持するための強い力こそ、まさに主権なのです。この強い力を正確に認識しながら、なお共同善や共同意志を尊重し、社会的諸価値に敬意を払うためには、どのような工夫が必要なのでしょうか。

 理想主義的主権理論の持ち味を生かすためには、国家意志を形成過程に分ける必要があります。そして、主権という他の意志を排除する強い力は、専ら後者に適用し、前者においては、できる限り多くの共同善や共同意志に考慮を払い、多様な社会価値や利害を尊重して意志決定を行わなければなりません。グリーンは主権を定義して、「法律を作成し、執行する最高の力が法的に帰属している人、あるいは人々の決定」と述べ、バーカーは前述の通り、議会と大統領、あるいは議会と内閣から成る立法機関に直接的主権を認めていますが、「法律を作成する力」は同じではありません。前者は、主権に具体的な内容や方向を指示する権力ではあっても、主権そのものと解すべきではありません。法律を作成する過程は、まさにラスキのいう「諸力の巨大な複合」であるべきであって、特定の意志のみが排他的に貫かれる場であってはなりません。主権は後者にこそ帰属させるべきものなのです。

 立法の段階で、主権という排他的な強制意志を介入させずに、諸力を考慮した意志決定を行なえば、その結果当然そうでない場合よりも、行政段階での強制力の使用も少なくてすむのです。そのように考えることで始めて、「強制力を国家の本質とはみない」理想主義の趣旨を生かすことができます。

 主権が行使されるのは、国家意志が実行される過程に対してであって、それが形成される過程に対してではない、という一線を明らかにすることによって、理想主義的主権理論は、政治的共同体の拡大という今日の事態に最も適合する主権理論となります。現代の政治は、国家のサーヴィス機能の増大に伴って、従来からの取り締まり機能に加えて、衣、食、住の問題から、健康、便利さ、快適さの問題に至るまで、人間生活の殆ど全ての面と密接な関係を持つに至ったのです。政治はあくまでも、多様な人間生活の一面であっても、その一面は著しく拡大し過密になったのだといえるのです。こういう状況下では、例えば政府や官僚の力だけでは、政策立案も、政策決定も行なうことはできなくなります。どうしても、専門家や利害関係の積極的な協力を仰がなければなりません。あるいはグリーン流にいえば、社会の共同善を積極的に吸い上げる努力が不可欠となります。

 そうした状況の下では、治者(ruler)と被治者(ruled)の区別が不鮮明にならざるを得ません。といっているのはルーカス(John Randolph Lucas)であります。従来治者とされてきた政府は、自己の独断的な意志を貫くことができなくなっていますが、さりとて政府から相談を受けた専門家や利害関係者は、法律を作ったり、軍隊や警察を指揮したりするという意味での治者とは呼べないからなのです。ルーカスはこう言います。「政府の多種多様な目的は、政府の方策だけでは達成されない。それを達成するためには、政府は政府以外の人達の協力をー−最も良いのは心からの積極的支持をー−確保できなくてはならない。そしてそうした大勢の人達というのは、政府への協力以外の点では、被治者というよりも当然被治者とみなされる人達である」。

 国家意志の決定過程で治者と被治者の区別をなくし、できる限り多くの意見を国家意志の決定に反映させるということは、まさに理想主義的主権理論の含んでいる意味合いであり、今日の政治に要求されていることでもあります。種々の欠陥を含んでいるにもかかわらず、理想主義的主権理論からこうしたいわば「協力国家」の方式が引き出せるところが、その最大の長所なのです。道徳上の要請からばかりではなく、先に示したように事実上の要請からも、現代国家は、この協力国家的な方式の確立を迫られているといえるでしょう。

 以上のような意味合いが理想主義的主権理論から引き出せるとすれば、それは要するに民主主義的主権理論に他ならないということができます。何故なら民主政治とは、立法段階に民意を正しく反映させることであり、正しい民意とは、理想主義者が意図したように、多様な自発的意見を考慮することによってしか生み出されないからなのです。ここでグリーンの主権理論が形成された時代について考えてみると、その頃のイギリスは、まさに国民各層の多様な意見が、政治の場に反映され始めた時期に当たっています。振興市民層に選挙権を与えた1867年の選挙法改正と、腐敗行為の除去に役立った1872年の秘密投票制度の採用は、グリーンの生きた時代になされていたのです。そしてグリーンの亡くなった翌年1883年には、腐敗行為防止法が制定され、さらにその翌年には第三次選挙法改正が行われて、成人男子の大多数に選挙権が与えられるに至りました。

 今まで述べてきたようなこの時期の一連の政治制度の発達は、政治的権利が、財産と教養のある少数者の特権ではなくなったことを示している点で、特筆すべき意味を持っています。確かにこの時期の変化は、戦争や革命のような人目を引く変化ではありませんでしたが、内発的で漸進的な、政治社会の大変動であったといえます。今世紀に入ってからも、イギリスでは引き続き様々な政治制度の変革がなされました。しかしそうした変革は、19世紀に設定された、以上のような民主主義的な方向のなかに含まれていた理論を、ただ展開したものに過ぎないとみることもできるのです。

 以上のような時代背景を考慮すると、グリーンの主権理論の持つ意味は明確になります。グリーンの前提にしていた社会は、政治的権利の拡張に伴って政治的要求が増大し、利害関係が幅湊(ふくそう=さまざまな物が1箇所に集中する状態)するようになった新しい社会、すなわち現代社会の原型なのです。そうした社会の共同善を主権の基礎に据えることで、従来の強権一点張りの主権理論を改め、そこに現代民主主義に必要な視点を導入したところに、グリーンの主権理論の画期的な意味が認められます。グリーンの理論が、新しい社会を前提にした民主主義的主権理論であったからこそ、今世紀の理想主義に絶えず影響を与え、民主主義がゆさぶられる時には、常に顧みられる理論ともなり得たのであります。

※ 2023年2月21日・23日・25日・28日の投稿文をup to date.



参考文献

 『イギリス政治思想(4)H・スペンサーから1914年まで』
   アーネスト・バーカー(著) 堀豊彦・杣正夫(訳) 岩波書店
 『現代政治の考察――討論による政治』
   アーネスト・バーカー(著) 足立忠夫(訳) 勁草書房
 『政治学原理』
   アーネスト・バーカー(著) 堀豊彦・藤原保信・小笠原弘親(訳) 勁草書房

 『民主主義の本質―イギリス・デモクラシーとピュウリタニズム (増補)』
   A.D.リンゼイ(著) 永岡薫(訳) 未来社
 『わたしはデモクラシーを信じる』
   A.D.リンゼイ(著) 山本俊樹・佐野正子(訳) 聖学院大学出版会

 『トーマス・ヒル・グリーンの思想体系』河合栄治郎全集第1巻、第2巻
     河合栄治郎(著) 社会思想社
 『グリーンの倫理学』 行安茂(著) 明玄書房
 『トマス・ヒル・グリーン研究』 行安茂(著) 理想社
 『T・H・グリーン研究』
     行安茂・藤原保信(著) イギリス思想研究叢書 御茶の水書房
 『近代イギリスの政治思想研究――T・H・グリーンを中心にして』
     萬田悦生(著) 慶応通信


 次回からは「第二章 T・H・グリーンと社会主義」
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