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2024年05月18日04:32

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2022年度のNHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』第35回「苦い盃(さかずき)」に寄せて  歩き巫女(みこ)

 この回では北条時政(坂東彌十郎)と畠山重忠(中川大志)の対立が浮上することがメインストーリーですが、もうひとつが三代目・鎌倉殿の源実朝(柿澤勇人)の結婚生活での悩み。

 後鳥羽上皇(尾上松也)の従姉妹・千世(加藤小夏)と結婚した実朝(柿澤勇人)ですが、表情は浮かないままでした。
 実朝は気晴らしのため、北条義時(小栗旬)の息子・泰時(坂口健太郎)をお供に、楽しく過ごした記憶のある和田っちこと和田義盛(横田栄司)と巴御前(秋元才加)の館を再訪しました。
 史実では木曽義仲の最期の時にそのまま行方不明になったとされる巴御前、ひさびさの登場です。

 義盛の家では普段口にしない鹿汁を頬張ったり、皆で酒盛りをしたりと楽しい時間を過ごせている実朝。
 義盛はそんな鎌倉殿に「少しは羽目をはずしたほうがいい。面白いところへお連れしましょう」と声をかけ、一行を白髪の老婆の元へ連れて行きました。白髪の老婆は“オババ”と呼ばれる歩き巫女(大竹しのぶ)。

オババ「この中にひと月、身体を洗っていない者がいる」
義盛は「俺だ。よく分かったな」
他の者「(匂いに顔をしかめて)これって占いですか」
歩き巫女「(義盛に)おまえ、もっと後ろに下がれ。(泰時を指し)双六。苦手だろ」
泰時「苦手というか、子どもの頃から双六をすると、どういうわけか具合が悪くなってしまうんです」
歩き巫女「さもありなん。(鶴丸を指したかと思うと、実朝を指し)雪の日」
実朝「雪の日」
歩き巫女「雪の日は出歩くな。災いが待っている」
実朝「災い」
義盛「雪の日は滑るから、だいたい皆、出歩かない方がいいんだ」
歩き巫女「うるさい」

やがてこの不吉な予言は現実のものとなるのですが…。伏線。

大竹しのぶは、「100歳くらいのおばばの役。すっごく面白かった」と語っています。


 怪しく占い続けるオババは泰時が「双六を苦手なこと」を言い当てました。
「双六の最中に斬られた上総介(佐藤浩市)とのつながりを感じざるを得ない…」
「上総介の死んだとき、ブエイ、ブエイと産声をあげたのが赤ん坊だった泰時ではなかったか」など、亡き上総介を思い出す声が当時のSNSにはあふれました。

 また、オババは2人きりになった実朝から「妻をめとった」「私の思いとは関わりないところで、すべてが決まった」という話を聞くなり「悩みは、誰にもある」と受け止めました。
オババ「お前の悩みはどんなものであってもそれはお前一人の悩みではない。遥か昔から、同じことで悩んできた者がいることを忘れるな。お前ひとりではないんだ、決して」
 その慈(いつく)しみの言葉に、実朝は目に涙を浮かべるのでした。


 この「歩き巫女」という言葉は、大杉ゆきひろの『歩き巫女九尾』という漫画で知った人もいるかもしれません。

 『どうする家康』にも出てくる"歩き巫女"とは ↓
https://reki-historia.com/2022/12/03/arukimiko/

 すでに平安時代前期にはこの歩き巫女は存在していました。
 この時代に小野小町(おののこまち)という女性がいたというのはご存知の通りです。クレオパトラ・楊貴妃とともに世界三大美女の一人と称され、「花の色はうつりにけりにいたづらにわが身世にふるながめせし間に」という百人一首でも知られています。その美貌のあまり、彼女の肖像画は後ろ姿ばかりで顔は描かれていません。多くの男性を虜(とりこ)にしてきた小町ですが、晩年は落ちぶれて、歩き巫女になったという説があります。腰に梓の弓を差して各地を放浪し、占いをしていたので、「梓みこ」と呼ばれていたそうです。梓の木は神の依り代とされていました。梓巫女はその梓の木で弓を作り、ビンビーンと鳴らしながらいろいろな神や霊魂を降ろして口寄せをしていたのです。シャーマニズム。

 現在、鎌倉には「小町通り」という飲食店や土産物店がひしめいているストリートがありますが、三谷幸喜氏はここにヒントを得ていたのかもしれません。

(2022年9月11日放映)


参考文献

『鎌倉殿の13人 後編』 NHK出版〈NHK大河ドラマ・ガイド〉
『現代語訳吾妻鏡』 五味文彦・本郷和人 (編) 吉川弘文館
『愚管抄 全現代語訳』 慈円(著) 大隅 和雄 (訳) 講談社学術文庫
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