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2024年05月16日08:24

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木曜日のメインコンテンツ「哲学」 第一弾 → ジョン・スチュアート・ミル 51 ミルの価値観 (三) 政治体制の価値

(1) 価値定立の視点 2

 ミルは、この政治制度の価値の設定にあたって、当時オーギュスト・コントやサミュエル・コールリッヂらによって提起されていた問題、すなわち統治の本来の機能は、「進歩」の志向か、「秩序あるいは持続」の維持か、のいずれにあるかの吟味からはじめています。そして、この両者のうち、秩序は「既存のすべての種類と量の利益の保持」を目指すという意味で、現在あるものを維持することであり、「それらの利益の増大」を志向するものが進歩にほかならないとみなすのであります。またここから、秩序は「進歩を含こうなると、まない」が、しかし進歩は「秩序を含む」ところの「大きな程度の秩序」とみて、次のような帰結を導きだすのです。

「最良の統治は、もっとも進歩に役立つ統治であるというほうが、哲学的により正確であろう。なぜならば、進歩は秩序を含むが、秩序は進歩を含まないからである。進歩は大きな程度の秩序であり、秩序は小さな程度の進歩である。その他の意味での秩序は、良い統治の前提条件の一部を意味しているにすぎず、その理念と本質を意味するものではない」

 こうして、ミルは、進歩と秩序との関連を論理的に整合することによって、政治体制の人類社会にたいして果たすべき方向性を明確にするのですが、その場合に、この進歩をもって政治体制の価値とみなしうるかについては、なお検討の余地をもつものとしています。つまり、秩序はすぐれた統治の一部をなすにすぎないからして、価値基準たりえないとして、進歩についても、それは「前方への運動」とともに、「悪化に向かう流れ」もあるのであり、しかもそれが、運動の過程では必ずしも判別しえないところに困難性があるというのです。こうなると、政治制度が進歩を目指すところにひとつの存在価値を見出すとしても、その進歩がどのような内実と方向性をもつものであるかが重要となり、むしろそれは、そうした政治体制をになう「人びとり性格のさまざまな類型」に依存しているということができることになるのであります。このことをミルは次のように表現しています。

「もしわれわれが、最下級のものから最上級のものまでの、あらゆる意味における良い統治が依存している原因と条件は何かと自問するならば、それらのうちでも主要なもの、すなわち他のすべての原因や条件にまさっているものは、その統治が行なわれている社会を構成する人びとの資質であることが知られる」

 いわば、政治は人間によって操作されるさまざまな行為からなっているのであって、いかにそこに制度的な整備がなされていたとしても、そのなかの人間の徳性や知性に欠陥があれば政治的によい効果を期待することができません。たとえば、ミルが例証するような、証人がいつでも虚偽の証言をし、判事やその属官が賄賂をとるような状態だと、司法の目的を確保するための完全な手続上の規則も役立たないことになります。また選挙民が議会の最良の議員を選ぶのに意を用いず、選挙されるために最も多額の金銭を使う人を選ぶのであれば、広汎に民衆の参加できる代議制度も役立たないものとなってしまうことになるでしょう。したがって、政治的な制度や法律的な規則に要請されることがらは、人間の徳性や知性といった資質を促進する機能をもつということでありましょう。というのは、これによってはじめて、そうした制度や規則が社会の進歩をもたらすということになるからなのです。

 この続きはまた土曜日に。この章の最終回になります。


参考文献

 『経済学原理』 ジョン・スチュアート・ミル(著)  末永茂喜(訳) 岩波文庫
 『功利主義論 Utilitarianism』
         ジョン・スチュアート・ミル(著)  関口正司(訳) 岩波文庫
 『代議制統治論』 ジョン・スチュアート・ミル(著) 関口正司(訳) 岩波書店


 『ミル自伝 大人の本棚』
   ジョン・スチュアート・ミル(著) 村井章子(訳) みすず書房
 『新装版 人と思想 18 J・S・ミル』 著者・編者 菊川忠夫 清水書院
 『J・S・ミル 自由を探究した思想家』 関口正司(著) 中央公論社
 『世界の名著38 ベンサム/ミル』 早坂忠(訳)  中央公論社
 『J・S・ミル 自由を探究した思想家』 関口正司(著) 中公新書
 『福祉国家を越えて――福祉国家での経済計画とその国際的意味関連』
    カール・グンナー・ミュルダール(著) 北川一雄(訳) ダイヤモンド社
 『社会科学と価値判断』
    カール・グンナー・ミュルダール(著) 丸尾直美(訳) 竹内書店

 『言語と人間』 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(著) 岡田隆平(訳) ゆまに書房
 『人間形成と言語』 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト(著)
     クラウス・ルーメル・小笠原道雄・江島正子(訳) 以文社
 『言葉と世界 ヴィルヘルム・フォン・フンボルト研究』 亀山健吉(著) 法政大学出版局
 『フンボルトの言語研究―有機体としての言語』 斉藤渉(著) 京都大学学術出版会,


https://www.youtube.com/watch?v=eiKBDCP6ojk
   【10分で解説】『功利主義』まとめ(ベンサム、JSミル)



 参照として、前回投稿したもの ↓


(1) 価値定立の視点

 すくなくとも統治形態は、人間の生活に深いかかわりをもつものであるがゆえに、歴史上いかなる時代においても、きわめてカレンとな学問的課題とされました。すでにふれたベンサムにしても、またロックやルソーにしても、それぞれの程度の差はみられますが、個人を基調とした社会把握に立脚しながら、統治への人民参加の有効性を主張して、民主的統治を志向したのでありました。そして客観的には、これらの巨人の最も忠実なエピゴーネンともみられるミルは、民主的統治形態に絶大の信頼をおくとともに、それを真に最良の形態にするための施策の探求にあらゆる努力を傾倒したといえるのです。

 たしかに民主主義は、原子論的な社会把握において、その内的論理上からみる限り、無矛盾的なものとして構想されるでしょうし、かりに諸社会の発展段階や適用地域の相違によって、民主的統治の個々の内容に変異がみられるとしても、それがつねに専制政治なり独裁政治なりの対立物として定立されるものである限り、その内的論理においては同一のものであるということができます。してみると、われわれにとってのひとつの課題は、この民主主義の論理が最良の形態をもって現実に機能できる政治体制とはどのようなものか、についての模索であるといってよいでしょう。たしかに、原子論的な社会把握は、近代資本主義のもとでは非現実的な形態といわざるをえないのです。いみじくも、ジョン・フィーラーが、資本主義をもって「資本に基礎をおく専制主義」と表現したように、近代民主主義の危機は、資本主義的階級社会のもとで、民主主義がその論理にしたがって有効に機能できる政治体制をとりえない、ことを示唆するものであります。

 ところで、ミルはその労作『代表制統治論』の第一章において、「統治形態はどの程度まで自由に選択できるか」という点を最初の解明課題としています。このことは、代議制民主統治を理想的に最良の形態としているミルが、この課題を彼の政治学体系の出発点としていることを意味するものであります。そして同時に、このことが、彼が政治体系の考察にあたって、たんに代議制統治の有効性を論証するというにとどまらず、もっと体制そのものについての根本的な問いかけを何よりも重視していることの証左でもあります。この点は、さらに第二章において、
「すぐれた統治形態の基準」について究明しているところからしても明らかに知りうるのです。民主制度は人間によってつくりだされたものであって、その起源もその存在も人間の意志に負っているというのが、ミルの政治思想を支える基調点でありました。してみると、政治制度は人間によって選択されううるものであって、そのためには、それがいかなる基準において選択されねばならないか、が明示的に提示されることが必要となってくることでしょう。そればかりでなく、かりに選びだされた政治制度といえども、それは依然として人間によって運営されるものなのです。してみると、その政治体制の性格はそけがいかなる階層の人びとによって運営されるかで規定されることにもなるでしょう。政治権力が君主の手中に握られているか、特定の少数者のもとにあるか、あるいは人民の代表者達の合議形態のもとにあるか、によって制度的メカニズムに相当のちがいがみられてくるのです。したがって、これらの政治制度をめぐっての判断評価は、きするところ政治体制の価値観の設定のされ方いかんにかかってくるということができるでしょう。
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