1960年代、米ソは対立の頂点にありました。1961年にはベルリンに壁が築かれ、翌年10月にはキューバ危機が勃発しました。世界はまさに核戦争へ一触即発の状態で、アジアのベトナムでは北の攻勢が強まりつつあったのです。
1950年代の中ごろから、アメリカはインドシナ半島における反共産党の砦として南ベトナムのゴー・ディン・ディエム政権への肩入れを既に始めていました。それは1954年、ディエンビエンフーにおいて、フランス軍が、ホー・チーミン率いる北ベトナム人民軍によって大敗させられた事件に触発されたもので、共産主義の浸透に対する危機感は増大する一方だったのです。
しかし、アメリカの援助は経済援助・間接的軍事援助に限定され、戦場には軍事アドバイザーを派遣する程度に留まっていましたが、1960年代に入って事態が急変します。南ベトナムの仏教指導者が反政府運動に一斉に立ち上がり、南ベトナムの政治的、社会的混乱に一層拍車がかかるようになるのです。
1963年には失策をかさねる政府に不満を持った軍部がクーデターを起こし、アメリカが支援してきた独裁者ゴー・ディン・ディエムが暗殺されるに至ります。これら一連の事件がアメリカを一層不安にさせ、1965年アメリカは陸・空軍をベトナムに投入すると共に、本格的な北爆を開始したのです。
翌年にベトナムに派遣されたアメリカ軍は30万人以上に達するほどのめり込みのです。1961年に大統領になったケネディは、CIAと軍が冷戦を名目に権力を拡大し、大統領でも制御できない状態になりつつあった当時の状態を嫌い、CIAのキューバ侵攻に反対し、ピッグス湾事件が失敗すると、その責任をCIAに負わせることにしようとします。
名目にCIAの解体を試み、ケネディとCIAとの確執が激化し、ベトナム戦争に突入するまえの南ベトナムに対する米軍の支援でも両者は激しく対立していたのです。ベトナム戦争に反対していたケネディ大統領が暗殺されると、アメリカは急速にベトナム戦争の泥沼に突入することになるのです。
戦争における化学物質による環境汚染は酷いものです。枯葉剤で流産、死産が急激に増え、先天異常などが増加しました。自然界に無い物を投棄し焼却した事によって生成され人類は、大量の化学物質を開発製造し使用しました。自然破壊を生み出したベトナム戦争は、人間存在の暗黒が潜んでいます。
大自然の大きな流れは、人間の能力を遥かに超えたものであり、何十億年かけて作り上げて来た地球を愚かな戦争によって破壊しているのです。今、このような戦争はロシアとウクライナの戦争に似ていると思いませんか。愚かな人間はベトナム戦争で犯した過ちを繰り返しているのです。石原莞爾将軍が生きていたのならどのように行動するだろうか。
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