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2024年05月15日06:50

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ペンディングという「答申」があっていい。仮名遣いの yesterday and today

■ローマ字表記の原則見直しへ 文部科学大臣が文化審議会に諮問 「し」の表記は「si」? それとも「shi」?
(TBS NEWS DIG - 05月14日 18:02)
https://news.mixi.jp/view_news.pl?media_id=266&from=diary&id=7861401

ヘボン式か訓令式かというローマ字問題は、国語の仮名遣いの問題です。
仮名遣いとは、「条理を尽くす」という文を、「でうりをつくす」と書くか、「じょりおつくす」と書くかという仮名の使い方、つまり、表記の仕方の問題です。
藤原定家が作った定家仮名遣いが中世の歌壇で行われましたが、定家が踏まえていなかったことがあります。

1 日本語の音韻は二百年で変化するということ。

だから、当時の発音(やアクセント)にしたがって作った定家仮名遣いは、『万葉集』の仮名遣いとは異なったものでした。
だから、今、発音を踏まえたローマ字表記を作っても、未来永劫に妥当性があるというわけではありません。
定家仮名遣いは契沖が『和字正濫抄』で批判しています。

2 仮名遣いは、二つの考え方があっていい。

契沖と定家。文法的に正しいのは契沖ですが、国語に対する態度は、定家にシンパシーを感じざるを得ません。

腹黒きくちばし青き素人が仮名をたがえて赤恥をかく 
という和歌を詠んだ契沖ですが、定家は、
「只(ただ)愚意分別の極めたる僻事(ひがごと)なり。親疎老少、一人も同心の人無し。尤も道理と謂ふべし。」
ただ自分が考えて勝手に作った仮名遣いである。親しい者も疎遠な者も誰も同じ考えのものはいない。当然だ
としています。二人は違う時代の人間ですから直接論争したわけではありません、しかし、真実は一つしかないという戦闘的な契沖よりも、定家の態度の方が正しいと思います。
契沖は僧侶、定家は公家という本業が影響しているかもしれません。だから定家は温和な態度をとったともいえますが、完全なものを目指すのは難しいからです。たとえば、

3 表音主義なら、ishikawa は、yshikawa と表記するべきだということになる。

という問題にもぶち当たります。ishikawaという英文の名刺を出すと、アメリカ人は「アイシカワ」と読むそうです。

性急な結論を出さないことを祈ります。
自分の功績を誇りたいために、変な結論を出す我欲の塊は文化審議会の委員にはいてほしくないです。「高輪ゲートウェイ」というみょうちきりんな駅名だけでたくさんです。

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