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2024年04月29日05:15

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4月29日が誕生日である人々 後篇

1930年、漫画家の横山まさみちが生まれました。代表作は『やる気まんまん』。少年向け劇画作家から成年向けアダルトコミックに転身し成功した一人で、日刊ゲンダイに連載した、男性器をオットセイに、女性器を貝に擬したアダルトコミックで一般にもよく知られていた。主人公は、やや太めガッチリ体型で丸顔のキャラクターに固定されており、コミカルな中に美しい叙情性も織り込んだ作風で根強い人気を誇りました。ヒロインの美女は、横山の絵柄とは異なる少女マンガ風のものであり、アシスタントの松尾啓子が担当したということです。そうしたアダルトコミックを執筆する一方で、硬派な歴史漫画なども執筆していました。2003年10月14日、前立腺癌で死去。享年73。朝日新聞社の雑誌『AERA』では、オットセイの解説付きで死を悼む記事が掲載されました。

1931年、作曲家のすぎやまこういちが生まれました。フジテレビ退社後、1968年から作曲活動に専念。作曲家としてザ・タイガース(デビュー前から関わり、彼らの命名者でもある)やザ・ピーナッツの黄金時代を支えました。1978年には劇場版『科学忍者隊ガッチャマン』のBGM(サウンドトラック)の作曲・編曲・指揮を担当。1986年に『ドラゴンクエスト』の作曲を担当したのをきっかけに「ドラゴンクエストの作曲家」となり、以降ゲーム以外の仕事を自ら減らし、専らゲーム作曲家として活動。生前から噂はありましたが、子供相手の仕事を多くしたのは、極度のロリコンであり、「芸能界に入れるようにしてやるから」と親を口説き、子供たちを食い物にしていたことがネットでは公然の事実として語られています。私にはそういう趣味がないのでよく分からないのですが、12歳以下の女の子は匂いが違うのだそうです。2021年9月30日に敗血症性ショックのため、死去。90歳没。
https://www.youtube.com/watch?v=dyDnpTrcAlk&t=68s

1932年、俳優、コメディアンの海野かつを(うみの かつを)が生まれました。本名は海野 教麿(うんの きょうまろ)。代々浅草区育ちで、実家は仁丹塔の傍のお好み焼き屋。来店する芸人に幼少時より可愛がられ、1944年の大映作品『五重塔』に子役で初出演。戦後コメディアンを志し、日本大学第一高等学校を休学してムーランルージュ新宿座で演出見習として働き始めた途端に閉館の憂き目に遭い、同高に復学して卒業。東京吉本のシミキン一座に入り、浅草花月劇場のストリップの幕間コントで初舞台を踏みました。その後は脱線トリオ一門に移り、浅草フランス座をホームグラウンドに活動しました。1959年には渥美清と入れ替わりにスリーポケッツに加入しましたが、次第に勢いを失い解散。コント斜陽化によりテレビタレントへ転向し、『おはよう!こどもショー』『快獣ブースカ』等で子供達の人気者となります。病気療養中だった1974年頃、東京城東地区の家電量販チェーン新栄電機産業のテレビコマーシャルに起用され人気を博したことから、同社社長の説得を受け入れ、芸能界に見切りを付けて同社に就職。竹の塚店の店長として接客に励む傍ら、系列店で歌手のキャンペーンが行われる際には司会も務めました。現在の芸能活動状況等は不明。
https://www.youtube.com/watch?v=_QKAvlHD2hY

1934年、俳優の宝田明が生まれました。1953年、東京都立豊島高等学校卒業後に東宝ニューフェイス第6期生として俳優生活をスタート。同期には佐原健二、河内桃子、藤木悠、日活に移籍した岡田眞澄がいました。翌年、特撮映画の金字塔である『ゴジラ』で初主演を果たします。長身・美形の二枚目俳優として東宝映画の若手トップスターとなり、数多くの映画に主演。全盛期には連日連夜銀座に繰り出し夜遊びに精を出していました。1959年の日本人初のミス・ユニバースの栄冠に輝いた児島明子と1966年4月29日(32歳の誕生日)に結婚し、二男一女をもうけましたが1984年に離婚。1991年に『ジプシー』がヒットした歌手・女優の児島未散は長女で、明子との最初の子供。1960年代は、東宝と香港のキャセイ・フィルムとの合作映画(『香港の夜』他)で、香港の女優・尤敏(ユーミン)とコンビを組んで、香港、台湾など、アジア地域で絶大な人気を博しました。1961年には小津安二郎監督が東宝で撮った映画『小早川家の秋』にも出演しています。特撮(怪獣)映画には『ゴジラ』の翌年の『獣人雪男』以来疎遠でしたが、1964年の『モスラ対ゴジラ』の主演で復帰。以後も昭和から平成まで多く出演し、日本の特撮映画に欠かせないスターと称されます。2004年には『ゴジラ FINAL WARS』に出演し、東宝でのシリーズ第1作および(『シン・ゴジラ』以前の)最終作に出演した唯一の人物となりました。2014年に公開されたハリウッド版『GODZILLA ゴジラ』への出演は最終的に出演シーンはカットされましたが、カメオ出演の撮影が行われ、エンドクレジットに名を連ねています。明るく華やかな雰囲気であり映画では『100発100中』の、最初からフランス語のセリフで登場し、ヒーローなのか悪人なのか分からないまま終わるキャラクターなど持ち味を存分に発揮しています。また、映画斜陽期以降はミュージカルの世界にも活動の場を広げ、日本におけるミュージカル俳優の草分け的存在としても活動しました。俳優活動以外にも、ミス・ユニバース日本代表選出大会では1991年まで司会を担当しています。2022年3月14日、誤嚥性肺炎のため東京都内の病院で死去。87歳没。
https://www.youtube.com/watch?v=fio3UAV1WeI

1936年、フランス文学者、評論家の蓮實重彦(はすみ しげひこ)が生まれました。1973年7月、翻訳したジル・ドゥルーズ『マゾッホとサド』が刊行されます。1974年、『批評あるいは仮死の祭典』刊行。1978年、代表作となった『反=日本語論』で第29回読売文学賞を受賞。2月、『フーコー・ドゥルーズ・デリダ』刊行。10月、『夏目漱石論』刊行。1979年には1月『蓮實重彦の映画の神話学』、2月『映像の詩学』、5月『シネマの記憶装置』、6月には山田宏一と共訳したフランソワ・トリュフォー『映画の夢 夢の批評』、10月『「私小説」を読む』、11月『表層批評宣言』、12月にも山田と共訳したトリュフォー著『わが人生 わが映画』を刊行。2007年3月、『「赤」の誘惑 フィクション論序説』を発表。秋、『InterCommunication』での連載が終了。3年におよんだ連載は翌年11月に刊行される『ゴダール マネ フーコー―思考と感性とをめぐる断片的な考察』にまとめられます。2008年、7年ぶりとなる批評集『映画崩壊前夜』を発表。2014年、大著『「ボヴァリー夫人」論』が刊行されました。2016年、小説『伯爵夫人』で第29回三島由紀夫賞を受賞しました。三島由紀夫賞受賞の記者会見において不機嫌であったことから、受賞を喜んでいるかと記者から問われると、「はた迷惑な話だと思っております。80歳の人間にこのような賞を与えるという機会が起こってしまったことは、日本の文化にとって非常に嘆かわしいことだと思っております」と答え、いしいしんじのような若手が受賞に相応しいとし、自分を選んだことを「暴挙」とまで言い放ちました。記者から、蓮實自身が80歳の黒田夏子を早稲田文学新人賞に選び、次いで黒田が芥川龍之介賞を受賞したことを問われると、年齢的な若さの話をしてるのではなく、黒田自身も作品も若々しいので一切問題ないと答えました。
https://www.youtube.com/watch?v=VjqemKnzWtA

1940年、アメリカのジャズテナー・サックス、フルート奏者、ジョージ・アダムスが生まれました。チャールス・ミンガス、ギル・エヴァンス、ロイ・ヘインズのグループなどで活動。1974年チャールス・ミンガスのカーネギー・ホールライブではローランド・カークらと共演し注目されました。彼の演奏スタイルはブルースやポピュラー・ミュージックにルーツを持ちローランド・カーク、ジョン・コルトレーン、アルバート・アイラーの影響を大きく受けています。晩年にはピアニストのドン・ピューレンとグループを組んでいました。1992年11月14日、52歳で没。
https://www.youtube.com/watch?v=iLQN_YicV-c

1954年、テレビ番組司会者、TV番組のコメンテーター、ラジオパーソナリティー、(国際系)ジャーナリスト、通訳、国際教養大学客員教授の小西克哉が生まれました。彼の英語はアメリカ人からも「ナチュラルで、日本人の英語としては最も分かりやすい」という高い評価を受けています。その一方で、関西人らしいボケぶりはTBSラジオで放映されていた『ストリーム』で十分に発揮されていました。
https://www.youtube.com/watch?v=zNlGNheMKvY

1955年、女優の田中裕子が生まれました。明治大学在学中の1978年に文学座に入り、女優活動をスタート。1979年(昭和54年)のNHKテレビ小説『マー姉ちゃん』で主役の妹役としてデビュー。1981年(昭和56年)の映画『ええじゃないか』『北斎漫画』で日本アカデミー賞最優秀助演女優賞、新人俳優賞を受賞。1983年(昭和58年)の、連続テレビ小説『おしん』で主役を演じ、アジアやイスラム圏を中心として世界的な有名女優になりました。日本での『おしん』の平均視聴率は52.6%、最高視聴率は1983年11月12日放送(第186回「戦争編・東京の加代」)の62.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)であり、テレビドラマ史上最高視聴率でした。抑制のきいたセリフに情念を込める演技が特徴。1983年(昭和58年)には映画『天城越え』でモントリオール世界映画祭主演女優賞受賞。1985年に文学座を退団。歌手としての活動もあり、1986年8月14日放送のTBS『ザ・ベストテン』スポットライトのコーナーに出演しシングル曲「チャイナ・ドール」(作曲・沢田研二)を披露したことがあります。また1987年6月11日には黒柳徹子の代理で同番組の司会を行ったこともあります。実現しなかった『男はつらいよ』第49作『寅次郎花へんろ』にはマドンナ役で14年ぶりのシリーズ出演が予定されており、そのことが縁で『虹をつかむ男』に出演しています。2005年(平成17年)には映画『いつか読書する日』『火火』でキネマ旬報ベスト・テン主演女優賞受賞。2010年(平成22年)のドラマ『Mother』で第65回ザテレビジョンドラマアカデミー賞助演女優賞受賞。同年11月、紫綬褒章受章。2013年(平成25年)には映画『共喰い』『はじまりのみち』でキネマ旬報ベスト・テン助演女優賞受賞。沢田研二の現在の夫人。
https://www.youtube.com/watch?v=y3CsVuw1bTk

1960年、女優の和由布子が生まれました。1981年のミス着物一になります。1982年知人の紹介で会った演出家の和田勉のすすめで女優の道に進みます。1年間永曽信夫に師事し、演劇を勉強。1983年NHKのドラマ「波の塔」で本格的にデビュー。その後テレビドラマ、映画、舞台に活躍。1989年に五木ひろしと結婚して、引退しました。現在は3児の母。
https://www.youtube.com/watch?v=nsiX1gS_8zY

1970年、アメリカにテニスプレイヤーのアンドレ・アガシ (Andre Kark Agassi)が生まれました。史上唯一のキャリア・グランドスラム・オリンピックシングルス金メダル・ATPツアーファイナルチャンピオンシップ優勝の3冠のスーパースラム達成者。
https://www.youtube.com/watch?v=f_unBOxL3Og

1972年、タレントの相川恵里が生まれました。ご覧のとおりの容姿ですが、アイドル歌手としても女優としても大輪の花が開くことはありませんでした。
https://www.youtube.com/watch?v=m6i_TioUICY

1977年、女優の一色紗英が誕生。東海大学付属望星高等学校卒業。1991年(平成3年)、フジテレビ系『学校へ行こう!』でデビュー。5代目リハウスガール。他に、映画『藏』、テレビドラマ『ふたり』など。2002年(平成14年)5月に、5年間にわたり交際をしていた元モデルで実業家であるサーフェン智との結婚を発表。同年11月、第1子(長女)を出産。2004年(平成16年)7月、第2子(次女)を出産。2006年(平成18年)10月20日、第3子(長男)を出産。現在はロサンゼルス在住。
https://www.youtube.com/watch?v=Ws7RHON33tM


引用・参照したサイト

4月29日は何の日?記念日、出来事、誕生日などのまとめ雑学
4月29日、今日は何の日〜毎日が記念日〜
4月29日は何の日
4月29日の雑学。今日は何の日?記念日、誕生日、カレンダー
トラッドジャパン 4月29日
マイナビウーマン 4月29日
Wikipedia「4月29日」
ほか
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