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2024年04月16日05:51

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誇りを持つこと


誇りを持つことは大切です。
ですが、「誇り」について、
勘違いしている方が多いようです。
 
 
 
 
誇りは、
神様と向き合った時に発揮される必要があります。
と言えば、誇りの意味が分かるるでしょうか?
たぶん、ほとんどの日本人には分かります。
 
自分がしていること、
してきたことを、
神様に晒された時に、
胸を張っていられるかどうか?が
誇りを持っているか、
持っていないかの違いになります。
 
誰も見ていないように見えても、
お天道様が見ている。
そのように日本人なら、
教わったことがあるでしょう。
 
そのようにして、
日本人はお天道様に恥じない生き方をすることを意識します。
 
 
 
ところが、
多くの人々は、「誇り」の意味を履き違えていて、
他の人と比較して、
自分の立場が上だ。という意味に於いて、
大切にしてしまっっているようです。
 
それは、プライドとか、自尊心と言われています。
そして、プライドや、自尊心が傷つけられた時、
決まって、誇りを傷つけられたと主張します。
 
 
その場合の、誇りとは、
見栄であり、
他者より尊大で、優勢なんだと思いたい願望が、
プライドとか自尊心を満足させたがるのです。
 
 
そういう人たちは、
きっと、
神様の前に引き出されても、
私は、神に選ばれた人だから、
そのように振る舞ってよい特権が与えられている。
とでも主張するでしょう。
 
ですが、
実際に神様の前に引き出され、
全てを晒されてしまったら、
そんなことは言っていられず、
自分自身を見る羽目になるのです。
 
自分は特別でありながら、
特別ではないことに
気付かされてしまうからです。
 
 
私は、私の視点でこの世界を見て感じている。
という意味において、特別です。
唯一無二に特別です。
 
宇宙の中心の神様は、
私の身体を通して、この世界を体験しています。
ですから、
とても、とっても特別なのです。
 
 
と同時に、
この世界のあらゆるものが、
宇宙の中心の神様の分身で、
分け御霊であり、自分自身なのです。
 
自分を特別扱いさせて、
他の宇宙の神様の分け御霊を蔑ろにするということは、
自分自身を蔑ろにするということになってしまうのです。
 
だって、蔑ろにしたそれも、
私なんだから、
私が特別扱いしてもらうために、
誰か、何者かを蔑ろにしていたら、
私は私を蔑ろにしてしまうことになり、
特別な私は遠のいてしまうのです。
 
 
自分が、〇〇民族の、家柄の血を引いているから、
特別に扱われるのは当たり前、
自分が、〇〇宗教の信徒だから、
特別なんだという思い込み。
自分の地位が、、、
自分の能力が、、、
と、自分を特別にしている限り、
それと比較された他者を見下すことになり、
他者を見下した分だけ自分を見下す誰かを創造し、
自分を不幸にすることになるのです。
 
誰かと、自分を比較している限り、
私に安寧はないのです。
どちらが優位になっても、
幸せでいられないのです。
 
 
自分が尊敬されたいなら、
尊敬されている自分を手放し、
他者を尊敬するしない限り、
尊敬される自分には成れません。
 
自分が敬愛されたいなら、
敬愛されている自分を手放し、
他者を敬愛しない限り、
敬愛される自分には成れません。
 
 
それぞれの命には
人生のテーマがあって、
そのテーマを巡ってのゲームをするために、
私たちは今、ここを生きています。
 
そのことに気づいて、
神様に誇れる生き方をしていく
必要があります。
 
誰かより上になろうとしている限り、
上になっても、成れなくても
自分を不幸にします。
 
いつもどこかで見ていて、私を愛し、
私の総てを知っている神様に
誇れる生き方を目指しましょう。
 
そうしていれば、
いつでも、何があっても、
スッと、胸を張って、
堂々と生きていくことができ、
 
自分の人生を、神様に、
応援してもらえるようになるでしょう。
 
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