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2024年04月10日09:35

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高遠城址公園さくら祭りと秀畝巡り

4月7日
朝5時半に出発して、9時頃 長野県伊那市の高遠城址公園に行った。
桜は、2〜3分咲きかと思われたが、駐車場は 満車になりつつあった。
「タカトオコヒガンザクラ」は、有名で いつかは見たいものだと思っていたが、まさか
こうして出かけることになるとは 思っていなかった。
3月30日に 練馬区立美術館で「池上秀畝展」を観に行った時に、伊那市でも秀畝の展覧会をやっていて、4つの施設で 展覧会をやっていることを知った。
「行くしかない!」と、思った。
池上秀畝展なんて、こんなに大々的にやることなんて、2度とは無いかもしれない。
この機会に、観ておかないと、もう観れないかもしれない。と、思った。

信州高遠美術館と高遠町歴史博物館は、丁度 さくら祭りの区域内であった。
秀畝を観るついでに 桜も見てしまおう。と、思った。
今年は、「池上秀畝生誕150年」ということで、いろんな美術館で 展覧会が行われている。練馬区立美術館は、その最初の展覧会で、すっかり私は 秀畝に魅了されてしまった。

令和6年(2024年)は、池上秀畝(しゅうほ)が高遠に生まれて150年という節目の年にあたります。
秀畝と言えば、小坂芝田、中村不折と並ぶ伊那の三筆の一人と賞賛され、上伊那地域の代表的な日本画家として知られています。幼少期から父の影響でよく絵を描き、15歳のとき東京の荒木寛畝に弟子入りして画力を高めました。精緻な絵を得意とし、日本美術展覧会(日展)の前身に当たる文部省美術展覧会(文展、新文展)や帝国美術院展覧会(帝展)、日本美術協会展に出品すること多数、幾度も受賞し、帝展の審査員まで務めました。
当館では、収蔵資料のほか、他の施設や個人から借用した作品を展示し、池上家三代の足跡と秀畝の画業を振り返ります。秀畝が日本画家として大成した背景には、絵描きとしての祖父休柳と父秀花の存在、写生や臨写の励行、故郷の風景や様々な古典に基づく独自の画風の形成、故郷の人々との交流による多彩な作品の制作といった様々な要素がありました。秀畝の活動を知りながら作品を鑑賞することで秀畝の作品をもっと身近に感じていただく機会となりましたら幸いです。
なお、今年は秀畝生誕150年を記念して、長野県立美術館、長野県伊那文化会館、練馬区立美術館、信州高遠美術館、伊那市創造館、当館の6館が池上秀畝の展覧会を開催します。これだけ多くの館で同じ人物に注目した展覧会が開催できることは大変喜ばしいことです。ぜひとも、他館の展覧会もお楽しみください。]・・・高遠町歴史博物館ホームページより

今回、4館を巡って、秀畝カードをもらった。
高遠町歴史博物館では「旧高遠城之真景」、信州高遠美術館では「決闘」、伊那市創造館では「富嶽と三保の松原」、伊那文化会館では「紅桃黄り・美姫刺繍・老梅八か」であった。
伊那市創造館では、「まが玉カード」というものまでもらった。

武者絵や 美人画、風景画、花鳥画など どんな絵でも描ける人だな。と、思った。仏画まで描いていた。

この後、長野県立美術館での展覧会も 観に行く予定である。
そこでやっと 念願の 絵に出会うことができる。
長野県立美術館は、日帰りが出来る所ではないので、宿も予約した。

蛇足ではあるが、伊那市創造館の敷地内に植えられていた桜が 満開で、誰も見ていなくて、一番 素晴らしい桜だった。桜の穴場だと思った。




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