鬱になってしばらく日記を書いてない間、自分は案外、文章を書くのに慣れてきたかもしれないと思った。
今思えば、それは単に書く苦しみを忘れていただけに過ぎない。
週に一回でも、自分の頭の中身を文書として産み出すという作業はそれなりに労力を要するのだが、そこからの解放されたゆとりと文章を書く技能向上を勘違いしてしまったようだ。
恥ずかしい。
意識が回復してから改めて日記を再開する時に、自分自身へのプレッシャーは良くないかもしれないと考えた。
ライティングのペースを少し緩め、書きたいときに書きたいことをつづるというスタイルに短期間だが移行してみた。
うっすら予想はしていたが、あまり意味は無かった。
当たり前か、部活の練習サボったやつが大会で勝てるわけもない。
日記を書くコツというものを動画で見た。
そのなかで面白かったのが、その日その時にあった事象をそのまま書くというアドバイスだ。
自分の感想やその時の感情なんかは一切書かない、単純に出来事の記録をすると良いらしい。
その理由は割愛するが、自分の頭の中身を文書として産み出す一つの方法論として展開されていたのがとても興味深かった。
面白そう、そのままのスタイルはちょっと難しいけれど、ちょっと意識して取り入れていきたい。
AIが作詞作曲をした歌を楽しむ、AIが執筆した小説を楽しむ、AIが判断した状況判断が最も正しいと信じる、そんな時代が来るかも。
それでも私の感じる面白いを頭の中から取り出す作業は、AIでなくて自分自身じゃないとできない。
そうであってくれ。
だから書く。
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