「狼たちへの伝言」って本の中で、ネオナチス思想の若者を弁護し、無罪を勝ち取ったユダヤ人弁護士の話しが有ります。
記者会見でネオナチスの若者が「オレはこいつお陰で無罪を勝ち取ったが、今でもこいつも含めて世界中のユダヤ人がガス室に送られて殺されれば良いと思っているぜ」と言うと、弁護士は「わたしは人間として彼の思想には猛反対する。しかし法律家として彼がそれを大衆の前で述べる自由は命懸けで守る」と答えたそうです。
今でも性的マイノリティの権利や性別の変更に対して反対する人達がいます。また選挙のポスターに「侮辱的だ」と言われた絵を描いた人がいます。
大切なのはその人達に自由に言わせて自由に描かせて上げることだとわたしは思います。
何故なら言葉や表現は人を傷付け無いし、もし傷付けられてもわたし達は表現者たちの表現に対して受忍する義務が有ると信じているからです。どうか心行くまで自由を満喫して欲しいものです。
しかし一番心配なのは、そう言う自由を謳歌しようとする人達を取り囲み拡声器で大声で怒鳴ってその人達の声を無理やり封じようとしたり、最もその人物を知るのに都合の良い選挙ポスターを、選挙管理委員会さえ同じ理由で認可した絵の描いて有るポスターを「侮蔑的だ」と言うたったそれだけの理由で回収させてしまおうとする人達が存在し、それが罷り通ってしまっている風潮です。
もちろん「反対に反対する」のも大切な権利です。大いに反対し合えば良いと思います。でも反対するには先ずはお互いに相手に言いたいことを言わせて上げないとそれは出来ません。言わせないと反対する対象が無いからです。
だからラップのバトルみたいに代り番こに邪魔し無いで、熱く激しく言い争って欲しいものです
自由とは、とても厳しい一面も有ることを、わたし達は受け入れなくては成りません。
あ、雪だ! ヽ(´▽`)/
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