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2024年03月04日00:20

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【映画】『リトル・リチャード:アイ・アム・エヴリシング』

 
3月1日(金)、シネマート心斎橋にて初日鑑賞。背もたれが硬くて低いのは難点。

観客はざっと23人ほど。ほぼシニア層で、男性が多数。
ひときわ若かったのは30代?男性、他の男性は服装から見て洋楽好きのお爺さん。
逆立てた髪、シルバーの鋲が目立つ黒い革ジャン、グレーのロックT、黒のスキニーデニムでバリバリに決めた、筋金入りのロックBBA2人組が目を引いた。


公式 https://little-richard.com



 
映画『ELVIS』を観た時、リトル・リチャードの強烈な「Tutti-frutti」パフォーマンスを観て衝撃を受けた。
と同時に(これは、1986年ウエンブリーライブで、フレディ・マーキュリーが熱演していた曲だ!)と気づいた。それで本作を観に行った次第。




「Tutti-frutti」は、エルヴィスがリトル・リチャードから大きな影響を受けたことを示唆するシーンだった。
『ELVIS』は使用楽曲が非常に多く見どころ満載の作品だったが、中でも「Tutti-frutti」は屈指の名場面だった。リトル・リチャードに対するバズ・ラーマン監督の深いリスペクトを感じた。そして、(フレディは絶対、彼が大好きだったはず!)と確信もした。笑

 Elvis | Club Handy on Beale Street
  https://youtu.be/jlDgRwfSx0k&t=188



さて。『Little Richard: I Am Everything』本編を観てまず驚いたのは「学者の解説」が非常に多かったこと。本作は単に「1人のアーティストの生涯を語る」だけではなく、「アメリカ文化史」および「欧米のロック音楽史」を概観できる作品だった! ピーター・バラカンの字幕も良かった。

次に驚いたのは、非常に豊富な資料映像と、その内容。

アイラインばっちりメイクで髪をポンパドールにした若いリトル・リチャードが、ピアノの上で飛び跳ね、バルコニーから飛び降り、脱いだシャツをぶん回しながらピタピタパンツ一丁でステージを駆け回るライブシーンを見て、「1980年代のプリンス!」と思わず声が出そうになった。まんまクリソツ(笑)だった。

『アンダー・ザ・チェリームーン』のプリンスそっくりな、リトル・リチャード。
フォト




「Tutti-frutti」に続くヒット作、「Long Tall Sally」のパフォーマンスを聴いた時は、(はて、この歌い方には聞き覚えが…)と感じた。
その後、リトル・リチャードがエプスタインに招かれて駆け出しのビートルズに会ったこと、4人はめちゃくちゃ感激していたこと(エルヴィスに不遜な態度をとったジョンさえ乙女状態)、ポールが舞台袖からリトル・リチャードの歌い方を食い入るように見ていたことなどが紹介されて、私は思い出した。
(そうだ、ポールの「Long Tall Sally」は、歌い方が本家そっくりなんだ…)




映画『Don't Knock The Rock(女はそれを我慢できない)』(1956)は、リトル・リチャードを一躍スターダムに押し上げた。
トム・ジョーンズが「当時観て、俺もあれをやりたい!と思った」と語っていた。



リトル・リチャードの英国ツアーに前座として半年間同行した、ローリング・ストーンズのミック・ジャガーも当時を振り返った。
「リトル・リチャードはステージの隅々まで使って常に客を盛り上げていた。当時のミュージシャンは皆立ちんぼで動き回ることはなかった」「毎晩、彼の動きをじっと見ていた。観客をどう楽しませて巻き込むのか、勉強させてもらっていた。それに、彼はいつも本当に親切にいろいろアドバイスしてくれた」
ミックのフットワーク軽いステージングは、リトル・リチャードから学んだものだったのか。





名プロデューサーのナイル・ロジャースは、デヴィッド・ボウイのエピソードを語った。『JPゴルチエ』のドキュメンタリーでは超派手派手だっだロジャースだが、本作では全身グレー系でまとめインテリ風。お洒落な人だ。
「ボウイがリトル・リチャードのアルバムを持ってきて『新作はこんな感じにしたい』と依頼した。他人の音楽風にしたいと希望したアーティストは、後にも先にも彼以外いない」と。
なるほど、「Modern Love」はそうやってできたのか!と得心した。
今MVを確認したら、ボウイもポンパドールヘアだ!笑





残念ながら他界したプリンスは写真登場のみだったが、リトル・リチャードの決め台詞が「Shut Up!」だったと聞いた瞬間、私の頭の中で「Housequake」が再生された。
「Shut up already, damn!」で始まる、殿下の代表曲。シャッカラッカ♪ブーン!笑





美川憲一のおっかない「お黙り!」とは違い、リトル・リチャードの「Shut Up!」は、大阪人のような「1人ノリツッコミ」だった。ボケておいて観客が笑うのを確認してから「Shut Up!」とツッコミ、ガハハと豪快に笑ってみせるのだ。すると観客はさらに沸く。
見事だなと思った。彼の(人から愛されたい)思いを、強く感じた。

「シャラップ!と叫んで人から嫌われないのはリトル・リチャードだけだ」と誰かが指摘していた。




リトル・リチャードは、父親から愛されない子供だった。

彼の家はキリスト教だったが、父は静かに礼拝するバプチスト系の牧師、母はゴスペルを歌いまくるメソジスト信者。家庭内で宗派が分裂していた。
男前の父は、リチャードが派手にゴスペルを歌うのを嫌った。「手足の長さが左右で違う」身体的特徴も嫌われたそうだ。とにかく、父は「クイア」な息子をめちゃくちゃ嫌っていたらしい。当時を述懐するリチャードは悲しそうだった。
優しい母親には愛されていたそうだが、リチャード少年は辛かったろう。
愛されたくて、自分を見て欲しくて、ますます目立ちたがり屋になったのも理解できる。


余談だが、アメリカ南部は「クイア」な傑物を輩出している土地だそう。
なお、クイアとは性的マイノリティに限らず、「既存の枠にはまらない人」を指すと学者は言っていた。「クイア達がアメリカの文化を牽引してきた」とも。

また、リチャード少年が育った1930年代のジョージア州メイコンには、ギターを抱えてフラフラしている男が街にゴロゴロいたそうだ。映画『カラーパープル』のミスターは、南部によくいるタイプだった。

そんな中でリチャードは皿洗いをしながら、粘り強くレコード会社に売り込み活動を続けていた。初めはクイーン・ラヴォンと名乗る、美しいドラァグ・クイーン歌手だった。


1955年、リチャードはスペシャルティ・レコードからデビュー。初めは当時の主流だった「退屈なブルース」を歌うよう指示されたが、昼休憩中に「Tutti-frutti」を歌っていたらプロデューサーが「このノリは売れる!」と急遽曲変更。ただし、元の歌詞はアナルセックスの話だったため女性ライターが歌詞をリライト。当時の南部では黒人女性歌手が「とんでもなく露骨な下ネタソング」を歌うのが流行していたという。

左手でブギウギを、右手はパーカッシヴな打鍵で強烈なリズムを叩き出すリチャードの演奏スタイルは非常に独特で、その派手なパフォーマンスと相まって唯一無二だった。

リトル・リチャードは、スペシャルティ・レコードと3年契約を交わし(契約書の中身は読まずにサイン)、「Tutti-frutti」「Long Tall Sally」「Lucille」「Rip It Up」「Jenny Jenny」「Good Golly, Miss Molly」と快調にヒットを飛ばし続けた。
彼はまるで彗星のようなロックンローラーだった。



黒人差別が激しかった当時、人気の黒人音楽はホワイトウォッシングされた。
まさに映画『ヘアスプレー』で描かれていた通りだ。
いろんな映画で聞いたセリフだが「黒人音楽は白人に盗まれ続けていた」。




「Tutti-frutti」はエルヴィスやパット・ブーンにカバーされ、彼らの方が売れた。
「黒んぼのヒーローは若い白人のお手本にならない」と考えられていた。
ライブハウスでも白人客と黒人客は厳然と分けられていた。

こうした社会に対抗し、リトル・リチャードは「パット・ブーンには歌えないテンポの曲」を作った。笑 それが「Long Tall Sally」。

白人社会が黒人を排除しようとしても、ラジオ局が紹介するリトル・リチャードの曲は、カーラジオ経由で白人ティーンエイジャーに広まった。ついには、リトル・リチャードのライブを、ティーンエイジャー達が人種入り乱れて楽しんでいた。
当時のアメリカ社会ではティーンエイジに特別な意味があり、「(二十歳過ぎたら大人しく従う)大人社会への反抗」や「ハチャメチャ楽しむ自由」が許されたそう。

リトル・リチャードは1950年代からゲイをカミングアウトしていた。
そのため、支配階級である白人男性から「人気者でも(我々から女を奪う)脅威にはならない」と目こぼしされたのは皮肉な話。これに対し、ストレートのセクシーな黒人男性シンガーは攻撃されたらしい。




1957年10月、搭乗した飛行機の翼が燃えているように見えたリトル・リチャードは、スプートニク打ち上げも相まって「世界が終わる」恐怖を感じ、神に祈りたいと決心、慌ただしく引退して神学校に入った。人気歌手になった息子を自慢し、親友に射殺されたリチャードの父親も、実は「闇酒場を経営する牧師」だった。彼は「良き息子」になろうとしていたのか? ありのままの自分を否定する親や宗教なんて、いっそキッパリ見限った方が幸せになれるのに…。リチャードの複雑な屈折を象徴する話だった。

在学中、リチャードは「後輩女性と結婚」し、子供も儲けた。歌手時代は乱行パーティーしまくりだったそうなので、実はバイだったのかも知れない。


牧師になったリチャードは「ロックは悪魔の音楽」としてゴスペルだけを歌っていたが、全く売れなかった。
1962年、サム・クックとのツアーで触発され、ロック歌手に復帰。この復帰コンサートの前座が無名時代のビートルズで、この時期のサポート・ギタリストの一人がジミ・ヘンドリックスだったという。

昔の大ヒット曲の印税は、リトル・リチャードに入らなかった。
3年未満で引退したため、著作権をスペシャルティ・レコードに奪われたからだ。

彼の曲を後から出てきた白人ミュージシャンたちが次々とカバーし、ヒットさせ、自分を追い越してビッグになっていく。リトル・リチャードの人生は報われなかった。彼はさぞ傷ついていただろう。妻とは離婚、弟とは死別、多忙からドラッグに溺れた時期も。

ある日、楽屋にエルヴィスがやってきて「何を焦っているんだ。真のキング・オブ・ロックンロールは、間違いなくあなただよ」と言った。エルヴィスは良い奴だ。


1960年代末のフェスで、ジャニス・ジョプリンが失神するほどの力演を見せて会場の熱狂が収まらなかった時、次の出番だったリトル・リチャードが機転をきかせたエピソードは面白かった。全身にタイルのようなミラーを貼ったスーツを用意させ、場内を一瞬暗転させた後、スポットを浴びて登場したら、さらに会場が盛り上がったという。
フレディやプリンスは、こういう客の喜ばせ方を大いに学んだと感じる。

 ミラースーツの例 https://youtu.be/O4qejZpZY1Y




1986年、リトル・リチャードはロックの殿堂入りを果たすも、授賞式会場へ向かう途中で自動車事故を起こし重傷、栄えあるステージに立てなかった。また、「殿堂入り」とは「過去の遺物」扱いを意味する。彼の心中は複雑だったろう。

1988年、グラミー賞でプレゼンターを務めたリトル・リチャードは「今年のグラミー最優秀新人賞は……私だ!」「何年も歌ってきたのに、何の賞ももらったことがない」「私はロックンロールの創始者なのに!」と、冗談めかしながら切ない本音を吐きまくっていた。




1989年のロックの殿堂では、盟友オーティス・レディングに捧げるステージを務めた。歌も凄いが喋りも上手い。ただ、ちょっと躁状態っぽい。なお、オーティスの代表曲は、映画『Blues Brothers』の出囃子で有名な「I Can't Turn You Loose」。





1997年のアメリカン・ミュージック・アワードで、リトル・リチャードは功労賞を贈られた。万雷の拍手に迎えられて登壇した彼は、しばし涙で言葉が出なかった。
(見つけた動画では絶句しているシーンがカットされている)




64歳。半世紀近く歌ってきて、やっと正当な評価を受ける時が来たのだ。
その瞬間を見守る方も、感動して思わず涙がこみ上げた。

「ずいぶん長くかかった。待っていたんだ」とかみしめるように素直な心境を語り始めたリトル・リチャードは、やがて誇らかに宣言した。

「俺はイノヴェイターだ。俺はオリジネイターだ。俺はエマンシペイターだ。
 俺はロックンロールのアーキテクトだ」


彼のスピーチを見届けた瞬間、当時の観客達と一緒に、私も心からの喝采を送った。
生きているうちに報われて本当に良かったな、と胸が熱くなった。


音楽好きの人には、ぜひぜひ観てほしいドキュメンタリー!!



https://mixi.jp/view_item.pl?reviewer_id=1833905&id=5682378


映画.com https://eiga.com/movie/100823/
Filmarks https://filmarks.com/movies/109498

hayamiさんの感想日記
https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1987085091&owner_id=2399973



【リサ・コルテス監督インタビュー】

・KING RECORDS編集部  これが各社に転載されているが、地味で宣伝ペタな印象
 https://news.kingrecords.co.jp/2024/02/25364/

・MUSIC LIFE CLUB  自前の情報も織り込み、アピールする記事に
 https://www.musiclifeclub.com/news/20240207_04.html



【 ROLLING STONE 】

 「リトル・リチャードが生前に語った、
  ロックンロールの夜明けと過小評価されてきた生涯」
 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33826

 「リトル・リチャードはなぜ偉大なのか?
  レノン、ディラン、ボウイも愛した反逆児の功績」
  https://rollingstonejapan.com/articles/detail/33836



【2020年の逝去時に書かれた追悼記事】

・BBC ロックンロールの先駆者、リトル・リチャードさん死去 ビートルズにも影響
 https://www.bbc.com/japanese/52603528

・discover music 「“美しかった”彼を振り返る」
 https://www.udiscovermusic.jp/columns/maruya-045

・Yahoo!
 ロックの「創造者」リトル・リチャード逝去。
 ビートルズら後進から崇拝された「オリジナルのすごさ」とは?
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/75c6512ade1b3b88af41d76437d177cc0101678c



【作品解説】

・YAMAHA
 https://jp.yamaha.com/sp/myujin/76247.html

・MNE JAPAN
 https://nme-jp.com/news/139090/

・HILLS CLUB 試写会レポ  とても詳しい!
 https://www.ehills.co.jp/rp/dfw/EHILLS/event/cinema/240226/index.php


【その他】

・TAP THE POP
 なぜリトル・リチャードは牧師になり、ロックの世界に復帰したのか
 https://www.tapthepop.net/day/57143

・彼は幼い頃に背が低かったため家庭内で「リトル・リチャード」と呼ばれていた。
 このエピソードは、プリンスに刺さっただろうなぁ…。
 https://note.com/ebs/n/n82d842ce58df



【INDEX】映画/舞台 関連日記(4)2024〜
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1986794975&owner_id=1833905

【INDEX】音楽関連日記 / 2011〜
 https://mixi.jp/view_diary.pl?id=1668576988&owner_id=1833905


 
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