思うところあり、改題いたします。
「ジョン・スチュアート・ミル 体系序説」
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「ジョン・スチュアート・ミル その思想研究」
ミル思想の初期的形成
(一) ミルの幼少年期の教育 1
ジョン・スチュアート・ミル(以下、ミル)は1806年にロンドンのベントヴィル・ロドネー街13番地に生まれました。ミルの父親(以下、父ミル)はベンサムやリカードとの関係で有名なジェームズ・ミルであります。
ジェームズ・ミル:James Mill、1773年4月6日 - 1836年6月23日 スコットランドのノースウォーター・ブリッジに生まれ、エディンバラ大学を卒業。1819年以降東インド会社に職を得た。歴史家、経済学者、政治思想家で、ジョン・ステュアート・ミルの父であり、ベンサムの友人として知られる。功利主義の代表者の一人である。著作に『商業擁護論』1808年、『英領インド史』1817年、『経済学要綱』1821年などがある。
関西学院大学図書館 『経済思想家の手稿と自筆書簡』より
ベンサム:Jeremy Bentham 1748年2月15日 - 1832年6月6日 イギリスの哲学者・経済学者・法学者。功利主義の創始者として著名。ロンドンに生まれ、ウェストミンスター校、オックスフォード大学に学ぶ。法廷弁護士の職に飽き足らず、ロック以降のイギリス思想家やフランス啓蒙(けいもう)家の著作に親しみ、早くから利己心と慈愛の精神とを一致させる普遍的原理に思いを巡らす。ヒュームの『人性論』第3巻を読了して開眼、ハチソンらにみられた「最大多数の最大幸福」をモットーとする功利主義の原理に到達する。すなわち、行動の義務や正邪の判定は、社会全体の善への効用utilityにあるという目的論の立場をとり、しかも、善を快楽または幸福と同一視し、快楽が七つの基準によって計量可能とする快楽計算を主張して量的快楽主義を唱えたのが特色である。彼は功利の原理により英国法の改正に努力し、政治的にはのちに急進主義に接近した。主著に『政府論断章』(1776)、『道徳と立法の原理序説』(1789)など。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』より
リカード:デヴィッド・リカード(David Ricardo、1772年4月18日/19日 - 1823年9月11日)。イギリスの経済学者。アダム=スミスと並ぶ古典学派の代表者。労働価値説・分配論・差額地代論・国際貿易に関する比較生産費説など創見が多く、マルクスにも大きな影響を与えた。主著「経済学及び課税の原理」。
『精選版 日本国語大辞典』より
ミルは一生を通じて正規の学校教育を受けることなく、父ミルによる一定の教育計画に基づいて、常に父の膝下で個人教育を受けたのです。したがってそのためにミルはすでにに三歳のときからギリシャ語、算術、歴史などの学習を始めています。当時の父ミルはすでにその前々年ににベンサムと相識ることとなり、そのため、ベンサム思想の熱狂的ともいえる支持者となり、また普及者でもありました。
このことからしても、父ミルの個人教育を受けたミルが、その学問修行の当所からベンサム思想から非常に大きな受けることになり、したがって彼の一生は濃淡の差はありましょうが、ベンサム思想と深い関わりをもって自説を展開することになるのは当然のこととして理解されるのであります。ちなみに、このベンサム思想との関わり、およびその超克と自説の展開については、かなり後になりますが、触れることといたします。
この続きは別稿で。
参照
『ミル自伝 大人の本棚』
ジョン・スチュアート・ミル(著) 村井章子(訳) みすず書房
『新装版 人と思想 18 J・S・ミル』 著者・編者 菊川忠夫 清水書院
『J・S・ミル 自由を探究した思想家』 関口正司(著) 中央公論社
『世界の名著38 ベンサム/ミル』 早坂忠(訳) 中央公論社
『J・S・ミル 自由を探究した思想家』 関口正司(著) 中公新書
https://www.youtube.com/watch?v=iPrWROoKY4U
【ミル自伝】J.S.ミル
ひとりの人間の限界を遥かに超えた業績を残せたのはなぜ?
ミルが受けた教育方法とは?
https://www.philosophyguides.org/fastphilosophy/mill/
ミル・哲学早わかり ← ミルの全体像が手っ取り早く読めます
次回は「(一) ミルの幼少年期の教育 2」。
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