長野県上高井郡小布施町。
小布施は日本最長の川、千曲川に沿うように広がる自治体です。
https://www.youtube.com/watch?v=nykXUb1mFrw
…あれっ ? 日本最長の川って、信濃川じゃなかったっけ ?
いえいえ、千曲川と信濃川は同じ川の異称なのでした…。
甲武信ヶ岳(こぶしがたけ)を源流とする千曲川は、新潟県へ入ると「信濃川」へと、名を変えます。
日本最長とされる全長367kmのうち、半分以上の214kmの千曲川であると、"信濃川"の部分よりも"千曲川"としてのエリアのほうが長いのです。
千曲川同様、小布施の地形をかたち作るうえで重要な役割を果たしたのが「松川」です。
現在は町の南側、隣接する須坂市との境を流れ、千曲川へとそそぐ松川ですが、以前は町の中心部を流れていた川で、たびたび氾濫しては甚大な被害をもたらしていた"暴れ川"でした。
江戸時代初期の元和(げんな)年間、ある武将が大規模な工事に着手します。
…福島正則です。
福島正則は松川の川筋を瀬変えし、さらに長さ2kmにわたって堤防を築きます。
これは信玄堤(武田信玄の行った築堤方式と同じであることにより)、あるいは霞堤と称されたものでした。
福島正則がこの堤の建築費用に千両を投じたとされ、いつしか"千両堤"と称されるようになります。
https://db.go-nagano.net/topics_detail6/id=6381
福島正則公千両堤
そして千両堤の完成によって、松川の反乱は激減された、と伝えられているのです。
…それにしても、ひとつ疑問があります。
なぜ、信州の小布施の河川工事を福島正則が行なったのでしょうか ?
福島正則は賤ケ岳七本槍の一人として知られた、豊臣秀吉の重臣で、関が原の合戦では「石田三成、憎し」と、徳川家康の東軍に身を投じ、先鋒を名乗り出た猛将でした。
その功績により、安芸の国と備後の国との二国を合わせ、49万8000石の大大名となります。
ところが幕府に無断で広島城の修築工事を行なったことから「武家諸法度」に反したとされ、領地を没収、4万5000石に減俸され、当地に流されて来たのでした。
…ここちよい水音が響き渡る水面(みなも)、松川を訪ねると、川のほとりの公園の解説板には、この堤を築いた福島正則の功績が讃(たた)えられていました。
福島正則は当地にやってきた5年後に、64歳の生涯を終えます。
その際にも、幕府からの使者の到着を待たず、遺体を火葬したとして、領地を没収されました。
ルールなき戦国の世を生き抜いた福島正則らしい、そんな言い伝えが残っているのです。
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