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2023年11月28日10:28

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新シリーズ・英国思想史 ジョン・スチュアート・ミル 体系序説 その 2  ミルの男女平等論

 ジョン・スチュアート・ミル(1806年5月20日〜1873年5月8日)は19世紀イギリスの哲学者。
 イギリスの思想史の流れのひとつとして、フランシス・ベーコン → ジェレミー・ベンサム(ベンタム) → ミル → トーマス・ヒル・グリーンというものがあります。
 ミルは哲学だけでなく論理学や経済学などの領域でも優れた業績を残しました。『自由論』はミルの代表作としてよく知られています。


 まず初めにミルは、男女が同権でなければならない理由として、いかなる制限も、それが一般的功利に結びつかない限りは不当であるからだとします。

 われわれの先験的な前提によれば、自由と公平とはあたえられたものとして尊重されなければならないからであります。すなわち、それによればいかなる制限といえども、公益のため以外の理由では課してはならない、また法律はけっして特定の人々だけを利してはならない、すべての人を一様に取扱わなくてはいけない、その取扱いに区別をするのはただ正義または政策上のなんらか積極的な理由にもとづいてなす場合に限られるからであります。

 この主張は、基本的には『自由論』で展開された原理論を下敷きにしていると言えます。そこでミルは以下のように論じています ↓

功用とは無関係なものとしての抽象的な正義の観念から、私の議論にとっていかなる利益が引き出されようとも、私はその利益を抛棄するつもりであることをのペておくのが適当であろう。私は、功用を、すべての倫理的問題に関する究極的な人心に対する訴えであると考える。しかし、その功用とは、進歩する存在としての人間の恒久的利益を基礎とする、最も広い意味における功用でなくてはならない。このような恒久的利益に照らして見るときに、 … もしも何びとかが他人に有害な行為を行なうならば、それこそ、あるいは法律により、あるいはまた法律上の刑罰の適用が安全でないときには公衆の非難によって、彼を処罰する、一応の証明ある事件である。

↑ 引用ここまで

 結局のところ、男女の権利不平等を不当とする主張の根拠はここにあるのです。

 行為を制限することは、それが功利(=幸福)を損なう限りにおいて正当であり、正義にかなっています。なぜなら正義とは一般的功利だからです。これがミルの基本的な構えなのです。

 ミルいわく、「近代社会では、男女の従属関係を正当化することはできない。なぜなら近代社会の原理は、生き方を選ぶ自由、特に職業選択の自由にあるからだ」。ミルが言うには、ここにこそ近代社会とそれ以前の社会の分岐点があるのです。

 ミルいわく、「これまでの社会は「強者の法則」のもとにあり、平等の観念が現れてきたのはごく最近のことにすぎないからだ。とりわけ男女の不当な関係については、それがあまりに固定化されて自然に見えるので気づかない」。

 ミルの考えでは、「男女は平等である」と言うだけでは足りない、もしそれで事態が変わるようであれば、他の差別と同様に無くなっていたはずだからだ。男女の平等を支える「徳」が無ければ、因習・慣習は残り続ける。これは単に制度を取り替えるだけでは解決できない問題だ。ーそうミルは考えていたのです。

 さらにミルは男女平等を実現するためには、夫が妻に暴力(当時のイギリスでは日常茶飯事)をふるわないような家庭にこそ「自由の徳の学校」にすることが必要である、と説き、一般的に女性は柔軟かつ迅速に考えることができ、その意味で男性よりも実務の分野に向いていると主張しています。


 続けてミルは、具体的なメリットを示さなければ納得できないひとに向けて、男女の権利的平等がどういうメリットをもたらすのかについて論じます。

 ミルによれば、以下の2点においてメリットがあります。

  1.男女関係が正義によって規制されるようになること
  2.人間全体の精神能力が倍増すること

 自由とは他者とともに幸福追求ゲームを営むための条件であり、これを制限することは、幸福追求ゲームを妨害するひとを罰する限りでなければ、正当とは言えない。そうミルは論じています。

 男女の権利の不平等を、不当な「ねたみ」や偏見によって促進させるようなことがあってはならないー女性の権利、自由を制限することは、人間性そのものを貧しくすることに行き着かざるをえない。ーそのようにミルは言っています。

 注意しておくべきは、ミルは、性差別は不当であり、近代社会においては何ら正当な根拠をもたないと主張したのであって、決して「女性の」権利を主張したわけではないということです。

 ミルの目的は、女性の権利を擁護することにあったわけではありません。ミルにとって、それはひとつの方法にすぎなかったのです。

 各人が性別に関わらず一個の人格として相互に承認することが近代社会の原理であり、近代社会における自由の条件であります。この条件を実質化するために、男女同権という制度と、それを支える「徳」を育てる必要があるー考え方としてはそういう順序になります。

 女性差別を批判したのはミルの生きていた社会の現状がそうだったからで、もし仮に、女性が男性の上に立って性差別をしていたならば、ミルは本書と同様の仕方で批判していたはずです。

「男女同権を唱える=フェミニスト」な図式であれば、近代哲学者は基本的にみなフェミニストということになるでしょう。ホッブズ、ルソー、そして私はまだ未消化な段階ですがヘーゲルもそのようです。
 もし近代哲学は男性中心主義だと考えているようなひとがいるのなら、ぜひ自分で読んで検証してほしいところです。彼らが性差別とは正反対の立ち位置にあったことはすぐに分かるはずです。


参照図書

 『女性の解放』 J.S.ミル(著) 大内兵衛・大内節子(訳) 岩波文庫

https://jshet.net/docs/conference/81st/maehara.pdf経済学史学会
   J.S.ミルのフェミニズム
   前原 鮎美(法政大学大学院経済学研究科博士後期課程) 経済学史学会

https://www.philosophyguides.org/fastphilosophy/mill/
   ミル・哲学早わかり ← ミルの全体像が手っ取り早く読めます


 実はここまでは前説です。いよいよ本題となる次回からはもっと細かくミルについて見ていきます。まずは「ミル思想の初期的形成 〜 (1) ミルの幼少年期の教育」。

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