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2023年11月17日07:05

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クルマ0402 作るしか(MIERSCH PORSCHE)

第二次世界大戦(ヨーロッパ戦線)で敗戦したドイツは、エルベ川の東側をソビエト連邦、西側をアメリカ合衆国が占領したことにより東西に分断されました。
東側のドレスデン市に住んでいたがために、期せずして自国が社会主義国家(東ドイツ)になってしまったHans Miersch(ハンス・ミエッシュ)は、大戦中に負った重傷のため右脚を切断していましたが、逆境にめげること無くドレスデン東方のノッセンという街(ライプツィヒの南東80km)で婦人靴工場を営んでいました。

ポルシェ356が西側のマーケットを席巻し始めた1953年(日本に正規輸入が始まった年です)に、彼はこのクルマを雑誌で見て一目惚れ。しかし、私有財産が禁止されていた社会主義国家の東ドイツにあっては購入(輸入)することなど叶わぬ夢です。
ならば自分で作ってやろう、と血気盛んな32歳のハンスは考えました。

東ドイツでは商用車や実用車の所有は認められていましたが、スポーツカーは禁止されていました。そもそも市販されていません。だからポルシェに拘ったハンスが入手できたのは、大戦中に使われたポルシェ82、所謂キューベルワーゲン(本稿0367)でした。
古い4座の軍用車輌であるこのクルマのボディを下ろすと、ポルシェ356と同じくリヤに空冷水平対向4気筒OHVエンジンを搭載するプラットフォーム・シャシーが現れます。
ボディを下ろしたキューベルワーゲン、ハンスが入手したクルマそのものです↓

https://images.app.goo.gl/m86vutHXCGmV8v9JA

これに356を模したボディを被せることを画策し、Arno Lindner(アルノ・リンドナー)という、ドレスデン近郊のモホルンという街の鈑金職人にボディを作らせました。

https://images.app.goo.gl/8YwshwjJt7KRdZRQ7

https://images.app.goo.gl/EMQ6L2N25GLWZjev7

しかし、キューベルワーゲンのシャシーは356のそれよりもずっと大きく、リンドナーが仕上げたボディはオリジナルよりかなり大きくなってしまいました。

シャシー面でもキューベルワーゲンは4座の軍用車輌でしたから、各部をスポーティに改良する必要がありました。
しかし、すぐに壁にぶち当たります。Falk & Knut Reimann(ファルク&クヌート・ライマン兄弟)の協力を得て作業を進めようとしましたが、ブレーキなどポルシェの純正部品を用いる必要があったのです。でも、スポーツカーの部品の輸入許可が下りることは決してありませんでした。

ポルシェ社は、創業者Ferdinand Porsche(フェルディナント・ポルシェ)博士が1951年に死去してからは、Ferry(フェリー)の愛称で知られた息子のFerdinand Anton Ernst Porsche(フェルディナント・アントン・エルンスト・ポルシェ)が会社を率いていましたか、フェリーはハンスのこの窮状を耳にして救いの手を差しのべます。

ハンスの婦人靴は評判が良く、近隣の西ドイツやハンガリー、ポーランド、チェコスロバキアへ配達することが常態化していました。このことを利用しようと思ったフェリーは、ポルシェ純正部品をブリーフケースに忍ばせてハンスに手渡しました。ハンスは何食わぬ顔をして何度も国境を越えたのです。密輸です。

こうして、約7ヶ月という意外と短い製作期間でハンス独自の「ミエッシュ・ポルシェ」は、 1954 年11月に完成しました。

https://images.app.goo.gl/hyHA25dXn2oRjkUz5

https://images.app.goo.gl/n4jS1Q8tXjKd2phbA

写真から外観は再現できましたが(細かいところは別にして)、内装の写真は乏しかったのでしょう、オリジナルとは異なる点が多いです。仕方ありません。

https://images.app.goo.gl/pQX7ZaYo9wPctPco6

ミエッシュ・ポルシェの走りはスポツカーからは程遠いものでした。オリジナルより30cm以上長く車重も倍の約1600kgになってしまった車体に、985cc(23.5馬力)もしくは1131cc(24.5馬力)のキューベルワーゲンのエンジンは非力過ぎたのです(当時の356は40〜70馬力でした)。
どうしてもポルシェ製の高性能ユニットが必要でした。

このエンジンの問題が解決するのは、それから14年も経ってからです。辛抱強い税関との交渉の結果、1968年になってようやくエンジン単体の輸入許可が出たのです。型式は不明ですが、ポルシェ純正の1.6リットル(75馬力)ユニットと言われています。

ポルシェのエンジンを搭載しホワイトに塗り替えられたミエッシュ・ポルシェ。大きさにさえ目をつぶれば356そのものと言えます。

https://images.app.goo.gl/bQwx9m988zx2LiGq5

1990年10月1日、長い年月を経て東西ドイツは統一しました。1970年代初頭に靴工場か国有化されるなど、苦しい生活を余儀なくされたハンスにとって長過ぎた45年でした。疲れ果てた表情が印象的です。

https://images.app.goo.gl/sDU18NTaDnJb4QyG6

ミエッシュ・ポルシェの前では思わず顔をほころばせてしまうハンス、1993年の写真です。フォグランプなどで着飾った完成形です。

https://images.app.goo.gl/eRpvdbYBCvUditi8A

それから暫くして大きな変化が。1994 年(73歳)にMichael Dünninger(ミヒャエル・ドゥニンガー)に売却したのです。

https://images.app.goo.gl/qHo37ey5VDqiE76S9

1954年に完成してから40年間大切にしてきた愛車を若い人に譲ったハンスの気持ちは推し量ることしかできませんが、生き存(ながら)えて欲しい、と願ったからではないかと思います。でも断腸の思いだったことは想像に難くありません。
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