ロシアがウクライナに軍事侵攻する前、1968年に「プラハの春」がありました。東欧のチェコスロバキア(現在はチェコとスロバキアに分離)で起きた民主化運動です。第2次世界大戦後、チェコスロバキアはソ連の衛星国でした。
しかし共産党第一書記に就任したアレクサンデル・ドプチェクは、言論の自由を保障したり、経済の自由化を進めたり、西側諸国と交流しようとしたりして改革を始めました。社会主義陣営の崩壊を危惧したソ連は、社会主義国は連帯すべきと一方的に軍事介入します。
ソ連と東ヨーロッパ4カ国の軍が2000両の戦車でチェコに侵攻したのです。当時の東ヨーロッパの国々はソ連の仲間ですから、チェコスロバキア軍もまったく同じソ連製の戦車を持っていました。
ソ連・東ヨーロッパ軍にチェコスロバキア軍が対抗して戦争になったとしたら、敵か味方かの区別がつきません。そのためソ連軍はチェコスロバキアに侵攻する前、戦車に白い線を塗りました。ひと目でソ連の戦車か、チェコの戦車か見分けがつくようにしたのです。
ウクライナももともとソ連を構成する国の1つでしたから、戦車、装甲車、トラックに至るまで、いまもソ連と同じものを使っています。結局、ロシア戦車や装甲車、トラックなどすべての軍用車に「Z」のマークをつけて侵攻しました。
Zのマークがついていたらロシア軍、ついていなければウクライナ軍。敵と味方を区別できるというわけです。今回のロシアによるウクライナ軍事侵攻には前段がありました。2014年、ウクライナに親欧米派の政権が誕生すると、プーチン大統領は、ウクライナのクリミア半島にロシア軍の特殊部隊を送り込み、電撃的に占領しました。
特殊部隊は、何の標識もつけておらず、ロシア軍である証拠は一切消し去っていて、プーチン大統領は、この特殊部隊のことを「クリミア半島の自警団ではないか」などととぼけていました。しかし、この電撃的な行動に、ウクライナ軍は手も足も出ませんでした。
クリミア半島のウクライナ海軍基地の将兵の多くは、ロシア軍に投降しました。そのまま親ロシア派に寝返ったために、ウクライナ海軍は事実上壊滅しました。このときウクライナは激しいサイバー攻撃を受け、ウクライナ軍は連絡がとれずに大混乱したのです。なすすべがありませんでした。しかしプーチンにとっては、この2014年の成功体験がかえって仇になったのかもしれません。
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