1900年頃のロシアの対中国政策とは、一体どんなものだったのか? これが明確に述べられているのが、旅順において、清国奉天将軍増祺と仮調印した軍事暫定協定です。すでに「義和団」の暴動が満州にまで拡大しており、ロシアは義和団による鉄道破壊に対応するために、満州を軍事占領していました。
そのロシア軍に対して、清国軍から停戦交渉の申し入れがあり、その交渉の結果結ばれた協定が旅順協定です。ロシアが望むものはただ一つ、満州を横断する東清鉄道の保護です。この為にロシア軍の駐留および、清国軍の武器・火薬一切を没収する事を要求しました。
しかしそれは、実質的にはロシアの満州支配を意味するものであったため、清朝政府(李鴻章)は、旅順協定として正式調印されたその協定の批准を拒否しました。この協定の内容が、翌1901年1月3日のロンドン「タイムズ」紙に報道されました。
ランスダウンはすぐにこれを清朝政府に確認しました。一方、この報道に接した日本政府は、イギリスの旅順協定に対する見解を確認するよう林公使に命じ、これにしたがって林はイギリスに対して、反ロシアの立場で日本と一致するように要請しました。
しかしイギリスの返答は、 “nochoice but to wait and see” と旅順協定の傍観を告げるものでした。これがスコット=ムラヴィヨフ協定以降続く、イギリスの基本的な東アジアにおける対ロシア政策だったからです。
イギリスにとっては、ロシアとの関係において、より重要なのは満州ではなく天津の鉄道についてであり、ソールズベリもこれを承知していました。この時、林はバーティ外務事官補から明確に、「満州は揚子江協定の範囲外である」と告げられています。同29日に林と会談したランスダウンは、再度イギリスの旅順協定の傍観を日本に通告しました。
しかし翌2月5日の会談で、日本政府からの「日英共同で清国政府に対して『警告』を発する」という提案は受諾しました。これは義和団の戦後処理に関し、一国のみと協定をしないという原則の下、清国政府に旅順協定の調印拒否を迫るものであした。
ランスダウンは、ドイツもこれに参加するよう要請しました。ドイツはこれを受諾し、同17日、両国の対清国警告が実施されました。揚子江協定以後、イギリスとドイツ間の初めての一致でした。とは言うものの、イギリスにとって日本との協力の限界は明確に存在しました。根本的な対ロシア政策が、両国では異なるからです。
イギリスは、決して反ロシア政策を採ることはなかったのです。日本政府から出された、ロシアのさらなる侵入に対して清国に具体的援助を与えようという要請に対し、ランスダウンは明確にこれを拒否しました。なぜならイギリスは、ロシアに敵対してまでも清国を保障することはないからでした。
しかし、将来の朝鮮半島支配を視野に入れる日本にとっては、東アジアにおけるロシアの南下をただただ傍観しているわけにはいかなかったのです。そのためには、イギリスのこの決定は、「傍観するのみにて断固たる処置をとるべき気色なし」としか映らなかったのです。ところが2月19日、ロシアが新たなロシア=清協約案を公表しました。
ランスダウンはすでに同6日、ロシアが清国との新協定を準備しているという報告を、駐ロシア大使スコット (Sir C. Scott, 大使1898〜1904年)から受けていました。スコットはロシア外相ラムズドルフ (Lamsdorff, 外相1901~1906年)と会談し、ロシアが満州から撤退する条件として、その鉄道の保護と暴動再発防止の保障を得るために新たな協約を必要としていることを告げられました。
ランスダウンは、この新協約を危惧していました。それは、旅順協定と比較してその範囲が拡大し、かつ永久的なロシア軍の満州駐屯の可能性を示唆するものだったからです。そこでランスダウンが林に要請して会談を持ち(3月1日)、新協約に関して意見交換をおこないました。
清国は新協約に調印するだろうと予測されており、そしてイギリスは南アフリカ戦争に従事しているために、この満州の情勢に対し、何も具体的な行動を採れないからでした。事実、彼の危惧するとおりロシアは、「北京を占領した連合軍が北京から撤退し、清国に中央政府が再建されるまでは、ロシア軍隊を満州に駐屯させる」と宣言しました。
ロシアにとっては、これが自軍を満州から撤退させる条件であったのですが、しかし現実には、連合軍の北京からの撤退は、ロシアの満州支配をいっそう容易にすると考えられました。したがってこのロシアの宣言は、そもそも実現不可能であり、逆にロシアの満州占領を永久化すると考えられたのです。
ランスダウンはロシアに対して同4日、旅順協定と新協約との間の矛盾点を指摘し、その説明を求めました。こうしてロシアに対して公式質問を実施するという形で、イギリスの対ロシア直接交渉の第一歩が踏み出されたのです。
ランスダウンは、ロシアによる満州占領永久化の危惧に対して、ドイツとの協議の可能性を探りました。ところがドイツは、この新協約問題に対してまったく無関心でした。そもそもドイツは、東アジアでロシアと敵対してまでイギリスを支持する意思など持ち合わせていなかったため、満州問題を日本とイギリス両国にゆだねると通告してきたのです。
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