タイトルでは断言していますが、三大〜の中身は諸説有り。
そんな関東三大七夕祭りと呼ばれる事も有る茂原の七夕祭りを覗いて来ました。
もちろん公共交通(JR外房線)利用です。
茂原駅は、過去にフォールディングバイクの輪行でも何度か利用しています。
駅構内も七夕っぽい装飾が有り、そして南口駅前から続く通りには、ビッチリと屋台が並び、多くの人が来ていました。
その中でも、駅前から外房線に沿って西へ向かう道よりも、少し先を左折して南西方面に向かう道の方が中心なのでしょうか。
こちらはかなりの人混みとなっています。
途中の広場?駐車場?はメイン会場という事か、ちょっとしたステージのようなものと、テント有る飲食・休憩スペースとなっているよう。
この道を暫く進み、もう少し先で終わりかな?といった辺りで、ビールや揚げたこ焼きで昼食としました。
コレといった催しは特に無さそうでしたが、やはり何年振りかだった事も有るのか、けっこうな人人人…
とは言え、関東三大という程なのか不明ですが( ̄▽ ̄;)
ひょっとしたら!七夕祭りなので、夜が本番なのかも(´・ω・`)?
駅前の屋台でも唐揚げを戴き、外房線にて帰路につきます。
と言いつつ、千葉駅まで行かずに下車したのは鎌取駅。
ここからは徒歩移動で大百池(おおどいけ)公園方面に向かいます。
先ずは八剱神社。
この日は土曜日ですが、その前日金曜日にお祭りが有り、コイチさんがお神輿担いで大活躍されていたよう。
そのお祭りが終わっているのは知っていましたが、喧騒の跡が残っているかと思えば、つい前日にそんな事が有ったとは思えないような静かな佇まいの神社でした。
動画を見させて戴きましたが、あれだけの人が集まるなら、正に鎮守の神様として地区の信仰を集めている神社なのでしょう。
お詣り(。-人-。)
そしてこの地区の主目的、小弓(おゆみ)城跡へ向かいます。
ここは元々千葉氏系の原氏の城でしたが、真里谷武田氏が原氏を追い、古河公方足利高基弟の足利義明を招きました。
義明はここを居城として小弓公方を名乗り、南関東に覇を唱えます。
小弓公方足利義明自身は武勇の人だったと言われているようですが、この時代の関東には古河公方や堀越公方なども乱立しており、鎌倉公方だった頃より公方の権威は大幅に低下しており、その有るか無きかの権威を利用されるのみといったところではないでしょうか。
それでも房総の武士を糾合し、第一次国府台合戦にて北条と戦いますが、あえなく討ち死に。
それでも義明の遺児は喜連川藩の藩祖となるなど、その血脈を後に繋ぐ事が出来ました。
尚、公方(くぼう)とは京都の室町将軍に対する関東の将軍です。
足利尊氏の子である足利基氏に始まり、鎌倉公方と呼ばれておりました。
後に足利成氏が鎌倉を追われ、古河を本拠としたのが古河公方、それを認めなかった室町将軍の義政(銀閣を建てた将軍)が新たに派遣したものの、関東に入れずに伊豆に御所を構えたのが堀越公方です。
更に時代が下り、古河公方が親子兄弟での争いとなり、そこから独立したような形になったのが小弓公方という訳ですが…
些か強引ですが、茂原の七夕祭りにこじつけて、関東の三大公方と呼ぶ事にしましょう( ̄▽ ̄;)
さて
城跡と言っても、その痕跡は殆ど有りません。
この指導標が有る場所は現在墓地となっております。
八剱神社を含めたこの高台全体がほぼ城跡という事でしょうか。
正に芭蕉の
夏草や兵どもが夢の跡…
ところでこの城跡は小弓と書く「おゆみ」ですが、現在残る地名は生実と書いて「おゆみ」と読み、京成千原線の「おゆみ野」という駅名にもなっています。
この生実周辺には前述の小弓城以外にも「おゆみ」城が有り、そちらは義明に追われた原氏が後に建てた生実城、あるいは北小弓城と呼ばれているよう(但し異説有り)。
学校の授業ではまるで無視の関東の戦国時代…
決して平和だった訳ではなく、畿内に勝るとも劣らないほどの大乱が続く時代でした。
先に名前を出した京成千原線おゆみ野駅隣の学園前駅に向かいます。
この学園とは千葉明徳高校で、中学の同級生がいた関係で、大学時代にその同級生含めた仲間数人でクルマでこの辺をウロウロした事が有りました。
そんな事を考えながら歩いていくと、謎の建物…と言うか売家?
なんだか怪しい感じ( ̄▽ ̄;)
そして学園前駅、さすがその名を持つだけあって、駅舎からそのまま学校に入れる通路が有るみたいです(@ ̄□ ̄@;)!!
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