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2023年07月18日08:17

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多様性を認める生き方を貫いた『信念の人』りゅうちぇる氏の死を悼む!

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※画像はりゅうちぇる氏

特に今のような夏になるとよく感じるが、現場で仕事をしていると、いろいろな人の体臭を嗅ぐ。

Aの人が通るとaの匂い。

Bの人が通るとbの匂い。

当然憲さんも自分では感じないが猛烈な“憲さん臭”を放ちながら現場で仕事をしているのであろう。

もちろん全く体臭がしない人もいれば、人によっては季節や日によって体臭を感じたり感じなかったりする場合もある。

いずれにせよ、人間は生き物なのだから体臭がないほうが異常であろう。

現場の人の体臭はほとんど気になるほどの匂いではない。

それはその人の「個性」というものであろう。

cの匂いが漂えば、「あっ、Cさんが近くにいるな」とわかる時さえある。

確かに“ワキガ臭”は不快である。しかし、これはある種の“病気”であるから“治療”すれば治るであろう。

また、電車やスーパーにたまに高齢の男性で猛烈に不快な体臭を放っている方がいるが、これは数日風呂に入らず不潔にしていたか、洗濯の方法の問題であると憲さんは考える。

その場合はその場を離れるしか回避する方法はあるまい。

いずれにせよ、日本人はこと「体臭」には敏感で、体臭があることを“恥”と考え、ことさら身体を清潔に保ちたがるが、それも程度の問題ではないかと憲さんは考える。

昨日の現場で、猛烈な臭いを嗅いだ。 

何の職種か知らないが、若い男性の職人である。

その人の近くを通ると、「プーン」と臭ってくる。

猛烈な香水臭である。

・・・・・・・・・

ゴルゴ13の第75話『スエズの東』に興味深いエピソードがある。

本作では娼婦を装ったPFLP(パレスチナ解放人民戦線)の女戦士からゴルゴが思惑をもって声をかけられたところ、“夜間飛行”の香水と彼女の体臭に混じりが無いことを嗅ぎとったゴルゴは、「媚びを売るはずの女が初めて香水をつけたとはどういうことだ…………?」と鋭く指摘するのだ。
後に、この時点で彼女が生娘であることがわかるが、未経験の女性を娼婦に仕立て上げるのはそれは相当な無理があるだろう・・・

参考

ゴルゴ13:第75話『スエズの東』のみどころ
https://onihei-fan.com/?p=2522

きよの漫画考察日記1052 ゴルゴ13第18巻
https://ameblo.jp/yoshiki-0722/entry-11572171195.html

このゴルゴほど、憲さんは鼻も効かなければ香水に詳しくないが、今日の現場で嗅いだその職人の香水はおそらく女性ものではないのだろうか?

よく、電車で隣に座る高齢の派手な女性から漂ってくる臭いである。

猛烈に臭い!

はっきり言って「不快」である。

そもそも、“香水”とは16世紀から19世紀までのヨーロッパ(特にフランス)では、風呂に入ると梅毒などの病気になりやすいと信じられたため、国王ですら一生に3回しか入浴しなかったという記録があるほど入浴という行為が一般的ではなかったため、香水は体臭消しとして発達していったのである。

参考

【香水】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99%E6%B0%B4

なので高温多湿で、特に近世以降入浴文化の発達した日本においては「香水文化」はあまり発達しなかったのである。

また日本において、入浴文化の発達していなかった平安時代などは“香水”ではなく煙をたく“お香”文化であった。

参考

【香】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%A6%99

“香水”、“お香”、いずれにせよ異臭に匂いのきつい他の香りを被せて誤魔化すという“対症療法”的な消臭方法に違いはない。

そして、現場の香水の臭いを漂わせた職人である。

はっきりいって、そばに近づいてきただけで頭がくらくらするような臭いである。

ここで、若い頃の憲さんならこう言ったであろう。

「お前、男の癖に香水してるのか?臭いんだよ!あっち行け!」と。

しかし、歳も相当重ねてきた現在の憲さんは、その言葉が喉まででかかったが、“ゴクリ”と飲み込んで、ふと考えた。

「あー、この人は相当体臭がきついのか、もしくは“自己臭恐怖症”なのかもしれない。前者なら他者に対する配慮で香水をつけているかもしれないし、後者なら“心のケア”の対象かもしれない。だったらこちらが臭いを少し我慢すればいいだけだ。」

参考

【自臭症】
https://kateinoigaku.jp/disease/575

憲さん、偉い!

今の憲さんは昔と違い、少しは他者を尊重し、他者に対する思いやりをもつようになっていた。

伊達に長くは生きていない。

そして、これが他者の「多様性」を尊重することなのであろうか?

そんなエピソードである。

・・・・・・・・・

タレントのりゅうちぇる氏が亡くなられた。

自死であったようだ。

参考

ryuchellさん死亡 東京都内で、タレント
https://www.tokyo-np.co.jp/article/262730

彼をテレビなどで見かけるようになったとき、憲さんは特に気にも止めなかった。

派手なメイクと服装で、女性的な仕草で手と体を激しく動かすハイテンションなキャラクターが特徴であり、いわゆるオネエキャラである。
参考

【ryuchell】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Ryuchell

さすがにこのような「オネエキャラ」は憲さんの周りにはいないが、テレビなどでは今や“普通”のキャラクターとしてことさら「異様」な存在ではない。

「はは〜、また“オネエキャラ”の“おバカ”タレントが一人増えたのか・・・」くらいしか思っていなかった。

しかし、憲さんある時この認識を変えることになる。

それは何の番組か失念してしまったが、彼が出演して自身の生い立ちや考えをスピーチしている番組だったと思う。

いま、ググって捜したが、以下のような内容であったと記憶している。

りゅうちぇる伝説のスピーチ 「起き上がれるチカラ、それは自己肯定感」
https://youtu.be/bLE7yOkB6sI

この時、はじめて彼は憲さんに意識化された。

「こいつ、すごいな。ただのオネエキャラ、おバカキャラのタレントではないな」と。

話し方は“オネエ”なのであるが、その内容は一本筋が通っており、まさに「自身に偽ってきた半生」を総括し、「自己肯定」することにより自分を肯定すると共に、他者に対する「多様性」を認めるという生きざまを貫く決意表明であった。

憲さん、これをみてから彼に対しては「一目置く」ようになっていた。

そして、今回のこの訃報である。

ネットニュースを見たときは少なからずショックを受けた。

原因は今の段階では軽々には語れないが、おそらくそれでも「生きずらさ」を感じていたのであろう。

そして、今回彼の訃報に接していろいろ調べていたら、憲さんがよくみているLiteraというサイトが彼に関する記事を再掲載していた。

それがこちらである

りゅうちぇるの激論番組での意見が真っ当すぎる! 空気を読んだ保守的主張だらけの中で多様性を肯定し続ける勇気
https://lite-ra.com/i/2017/02/post-2897.html

この記事は是非とも読んでいただきたいが、主要な部分を引用しておく。

以下、引用。

りゅうちぇるの意見は、説教オヤジ・坂上や、『そこまで言って委員会』脳に染まったブラマヨ吉田と、ことごとく対立し、坂上・吉田に支配されるスタジオ全体の空気のなかでも孤立している。いじめ加害者実名報道問題のときなどは、スタジオ全体から激しく反論されていた。そうした空気になったとき、この番組に限らず、その反論に抗えず意見を変えてしまったり、あいまいに終わらせたり、黙ってしまうコメンテーターも多い。しかし、りゅうちぇるは違う。かなりキツい調子で反論されても、孤立しても、意見がブレることはない。しかも、一方的に自分の主張を繰り返すだけでなく、反対派に自分の意見が届くように角度を変えたり、枠組みをずらしたりしながら、さらに丁寧に再反論してみせるのだ。

・・・・・・

こうしたりゅうちぇるの姿勢を形作っているのは、多様性へのまなざしだ。

・・・・・・

りゅちぇるは、社会一般が考えるスタンダードなイケメンや、男らしさ、夫、父親などというものに、まったく興味をもっていない。自分らしくあり続けること、異物であり続けることで、「ふつう」を押しつけ異物を排除しようという空気に、自身の身を呈して、抵抗しているのだ。

・・・・・・

そういう意味では、りゅうちぇるには覚悟があると言ってもいいだろう。リアクションの良さを買われ、あっという間に売れっ子になったりゅうちぇるだけに、当然ながらバラエティの空気は十分に読めているはずだ。空気を読んだうえで、でも空気に乗っかるのでなく、自分の意見を表明する。空気を読み予定調和を崩さないことに汲々とするお笑い芸人たちとは大違いだ。多様性に対する信念と覚悟があるからこそ、自分の知識のなさを怖れて中途半端な知識や権威に安易に迎合することもない。りゅうちぇるは、いまの閉塞しきったテレビのなかで、本当に貴重な存在だ。

以上、引用おわり。

りゅうちぇる氏はその外見や物腰は「なよなよ」しているが、その芯はしっかりと持った人であった。

それはテレビのなかに転がっている並みの「お笑い芸人」とは一線を画していた。

そして、自身の「異端」と称される生きざまを「正」とし、そして他者に対する「多様性」を認めるという生き方を貫いていったまさに「信念の人」「覚悟の人で」であった。

それは、おそらく相当しんどい戦いでもあったのだろう。

誰が読むともしれない“随筆”を書き散らかして気炎をあげるだけの憲さんなどとは比べ物にならなかったであろう。

彼は日々戦っていたのかもしれない。

残されたバートナーと遺児の心痛はいかばかりであろうか。

大変胸が痛む。

彼の自死は私たちに何を突き付けているのであろうか?

残された私たちはそれを真剣に考えねばならないであろう。

「信念の人」に対して心より哀悼の意を表すと共に、彼の魂の安らかなることを祈るばかりである。

合掌。

どーよっ!

どーなのよっ?
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