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2023年07月17日07:38

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「ディフィーチズム(敗北主義)」

 昨日の「興亜の大業」(松岡洋右著)の続きです。そこには日本が崩壊していった歴史の分水嶺のような記述があり、その状況が今日の日本と酷似しているのではないか?今回も同じ道をたどるのではないかと懸念させる部分があって、今回は「松岡洋右氏の主張」に追随するのではなく、「この道はいつか来た道」「ホッ ホッ 蛍来い こっちの水は甘いぞ そっちの水は苦いぞ」という歌が聞こえてくるようで、まさに日本人は「危険地帯にいる」ことを自覚しなければならないと思う記述でした。

(引用開始)
とにかく、満州事変前の日本には、思い出してもぞっとするような恐るべきディフィーチズムがあったのである。当時私どもが口を酸っぱくして満蒙の重大性を説き、わが国の払った犠牲を指摘して呼び掛けてみても、国民は満蒙問題に対して一向に乗り気がしなかった。当時朝野の多くの識者の間においては我々の叫びはむしろ頑迷固陋の徒の言の如くさげすまれてさえいた、これは事実である。国民もまた至極呑気であった。二回までも明治大帝の下に戦い、血を流し、十万の同胞をこれがために犠牲としたほどの深い関係のある満蒙についてすら、まったく無関心と言ってよろしいような有様であった。情けないことに我が国の有識者の間に置いては、満蒙放棄論さえも遠慮会釈なく唱えられたのである。

 当時の我が国朝野のデフィーチズムの病は全く膏盲に入っていたのである。デフィーチズムは直訳すれば敗北主義であるが、私はこれをお宗旨と考えている。すなわち「敗北宗」である。敗北宗のお題目たる「平和と国際協調」は誠に美しい。誰が人間として平和を愛し、各国の協調を冀わないものがあろうか。しかし我々は同時に、我が大和民族の使命を考えてみなければならぬ。また我が大和民族の自活自存ということも考えてみなければならぬ。平和と言い、協調と言い、いかに美名麗辞を並べても、結局は我が国の名誉と、利益とを犠牲にして譲り退くのである。朝に一城を割き夕べに一砦を譲る。ただ退却あるを知って進取を欲せない、それが敗北宗の正音である。

(引用終わり)

 今「台湾有事は日本の有事」が合言葉になっています。私たち日本人の弱点は「押してもだめなら引いてみな」が出来ない。「合気道」という「武術?」があります。殆ど自力を使わず相手の動きを利用して相手を倒します。遮二無二相手に向かって行って、大けがをしなくとも、相手の向かう方向に加速度をつけて引き倒せば軽く倒れてくれるのです。つまり「台湾有事はアメリカの利益」です。日本人は無関心でいいのです。国防予算を倍増して喜ぶのはアメリカです。台湾を米中が争ってどちらが勝っても日本の国益には無関係です。

「日中友好」と言って莫大な資金を使って長い間中国に投資してきました。その同じ中国に対して何のためにアメリカの尻馬に乗って日本を危険にさらさなければならないのか?単に「台湾海峡、南シナ海の無料通行権」を話し合いで決めたら済むことではないのか?現在、JALやANAの欧州便がロシア上空を飛べないため、ガソリン代が上がっています。たかがこれと同じ話のために、日本の「国防費を2倍にする」と息巻いているのです。

 現在、中国の最大貿易相手国アメリカが多大な犠牲を払って「デリスキング」という名の「デカップリング」のお陰で中国経済がガタガタになってきました。「台湾進攻」も「一帯一路」もどこへやら、GDPの4割を占めた輸出が極端な停滞を余儀なくされ、同時に長期にわたるロックダウンで家計の資金を使い果たし、国内消費がほぼ全滅し、青息吐息の中国経済になって、富裕者は片っ端から移民している中国が破れかぶれで台湾の資産を手に入れても、その先は見えています。

 それよりもアメリカという「日本に張り付いた猿回し」をどうにかして中国を梃子に引きはがす絶好のチャンスであると認識して、この際「これまでの対米関係の正常化」に乗り出す絶好のチャンスであるとの認識が欲しい」と思います。松岡洋右の立場から見れば「デフィーチズム」に見えて「汝笛吹けども踊らず」と悔しがったかもしれませんが、冷静に世界を見渡せば、国を危険に導いた張本人であり、そこで「無関心であった日本人」と現在の「台湾有事は日本の有事」に無関心な日本人が共に「暴走に走り出す危険性」を憂うるというのが今日の僕の心境です。
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