mixiユーザー(id:14438782)

2023年05月21日10:03

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『グッドフェローズ』

 いくつかのシーンを鮮明に思い出したので、すでに見ているのは間違いないのだけど、今度は逆にこんなにおもしろいのになぜ忘れていたのだろうか不思議になってきたのだった。

 とはいえ、とにかくおもしろいけれど、どこがどうおもしろいのかはとらえにくいので、なんとなくすっぽり抜け落ちてしまいがちなのも、納得といえば納得である。

 アメリカのマフィアのお話だけれど、舞台はその黄金時代である戦前の禁酒法あたりではなくて、戦後である。ざっくり現代のことと思って差し支えない。
 主人公はまっとうな仕事についてふつうに働くことを軽蔑している。マフィアでいっぱしの顔になれば、実入りもいいし街の連中には下にも置かない扱いを受けるし、長い行列の店にも顔パスで招き入れられる。この冒頭のくだりは、観客に「そういう生活もいいな」とちゃんと思わせるようになっている。そうすることで、この後の裏稼業のキツさとの対比が際立つし、映画がただ説教くさくならないよう仕上がっている。

 あえてぞんざいな物言いをすることで、親密さをアピールするというやり方は全世界共通のスタイルといえる。当然、マフィアの世界も例に漏れないし、むしろ、バカ丁寧な物言いなどするようなヤツは、相手にされない。
 一方で、ちょっとでも舐められるようなことにでもなれば、界隈では途端にやっていけなくなる。相手のなにげなさそうな一言でも、そこにわずかな侮蔑の響きがあればやりあって撤回させなければ、構成員同士の微妙な序列に影響がある。そして、彼らにとってはほぼそれがすべてなのである。

 親密さを演出しようにも、根本的に彼らは同じパイを分け合う利害の対立する存在だし、基本的な関係はマウントの取り合いである。根本的に破綻せざるをえない関係なのであって、平穏無事に共存できていることのほうが奇跡に近い。ヤクザの世界も礼儀作法に厳しいらしいけれど、実際にはそうやって型にはめこまないとしょっちゅう揉めごとばかり起こって成り立たなくなるのだと思われる。

 劇中、ありがちな「よう、兄弟」のやりとりがあって、一方の些細な失言から(あるいは故意に忍びこませる場合もある)、「取り消せ」と「突っかかってくんな」の応酬へとエスカレートし、どうしようもなくなるパターンが何度もくり返される。
 ただし、「またか」とはならずに、むしろ、「待ってました」なのである。歌舞伎や古典落語のおいしいところへ歩みをよせていく感じに近い。この映画はとにかく語られるエピソードと役者たちの佇まい、そして映像の語り口の兼ね合いが絶妙なのだけれど、その良さがぐっと凝縮されて盛り上がるのが、こうしたシーンといえる。
 他人にはどうでもいいような一言をあげつらって双方がエスカレートし、見ているこっちもきついししんどいし、「また同じことやってるよ」と思いながら、目が離せない。お互いどうにもひっこみのつかないことになって、どう考えてもバカバカしいとしか思えない結末へとなだれこんでいくのだけれど、本来的にそういう関係性を折りこんで成立している界隈なのだから、当然の帰結ともいえてしまうわけである。

 社会の一部として組みこまれ、あくせく働くことを拒否して飛びこんだ世界の方が、よほど抑圧的で理不尽だという皮肉がきいている。もちろん、映画自体はどちらがいいなどという野暮なスタンスはとっていないけれど、あれはあれで特殊な人間でないとやっていけないだろうし、それにしたって常に破滅と隣り合わせにあるということを理屈でなくて、ほぼ自分のこととして体験できてしまう映画といえる。

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