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2023年05月14日14:25

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『シン・仮面ライダー』のドキュメンタリー

 『シン・仮面ライダー』が公開になってしばらくしてから、その制作現場に密着したドキュメンタリーがNHKで放送された。NHKは本当に庵野秀明が好きだと思う。公共放送としての建前など、さほど取り繕うつもりもなさそうに見えるほど。

 この番組が放送されてから、現場の雰囲気がギスギスしているとちょっとネットで話題になったけど、まだ映画を見ていなくて、不要な予断を入れたくなかった自分としてはできるだけそのあたりの話題には触れないようにしていた。
 やっとこさ映画を見て、個人的にとてもおもしろかった。これで現場の様子を見て、庵野秀明が蜷川幸雄ばりに俳優を罵倒したり、灰皿を投げつけたりしていたら(今の現場は禁煙だろうけど)、なんかしんどいなと思ったのだけど、あらためて録画も見てみたら別にそんなことはなかった。

 冒頭、主要キャストの一人、森山未來の呼びかけで池松壮亮や柄本佑が庵野秀明と話をするところから番組は始まる。作品のトーンとして、従来のヒーローものを踏襲するのか、リアル路線によせるのか、当然、それによって演技の方向性もかなり変わってくる。

 しかし、庵野秀明の返答はそのいずれでもなかった。いずれでもないどころか、その質問に対する明確な回答は提示されなかった。曰く、すでにあるイメージを映像化するのならアニメでよくて、実写にする以上は俳優から出てきたものをこちらで取捨選択して作品としてまとめたいとか、そんな感じのコメントだった。
 それを聞いた池松壮亮と柄本佑は不得要領な表情ををしていて、森山未來だけは、こりゃ厄介なことになりそうだという顔に見えた。そして、実際の撮影はこの庵野秀明の最初の言葉による呪縛や軋轢・葛藤をめぐって進んでいくことになる。そういう意味では、きわめて優れた構成を有するドキュメンタリーといえる。

 たしかに、『シン・ゴジラ』の宣伝ポスターはごくシンプルだった。『シン・仮面ライダー』のそれも情報量はひどく少ない。ありもしない要素まで盛りこんで、とりあえず観客を映画館まで足を運ばせ、チケットを売りつけてしまえば後は野となれ山となれという、焼き畑農法的発想が主流の興行界にあっては(今やその傾向はかなりうすれている。昔は本当にひどかった)、ほぼ真逆といっていい広報の手法といえる。

 庵野秀明という人は名うてのオタク出身クリエイターであり、アニメや映画についての膨大な知識の持ち主で、作品を創るにあたってもそこから導き出されるファースト・チョイスはあるのだろうけれど、それに飽き足らず常にまだ見ぬ選択肢を模索するタイプであるらしい。
 番組でインタビューで山下いくとはそれに類したことを答えていたし、別のところで『シン・ゴジラ』主演の長谷川博己も、やはり、同じようにこの監督の印象を語っていた。

 一方、そこに同席していたアクション監督の田渕景也は、大野剣友会(1971年の『仮面ライダー』を担当していたアクション・スタントチーム)をベースにそこから発展させると盛り上がり、彼だけはひどく昂揚しているように見えた。『仮面ライダー』のころのジャンプといえばもっぱらトランポリンだったようだけれども、当然、このジャンルも長足の進歩を遂げている。ワイヤーを駆使して、よりダイナミックなアクションを目指すとかなり前向きに抱負を語っていた。

 しかし、最初のアクション・シーンの撮影を終え、仕上がった分を確認した監督はすべて破棄し、撮り直すことに決める。曰く、アクションの精度を上げれば上げるほど、段取りになるというのである。
 しかし、殺陣のアクロバティックな動きとは、双方がタイミングを合わせることによって成立するものであり、そういう意味で殺陣とは段取りそのものなのである。そこを否定されると、アクション監督は仕事のやりようがない。
 さらに、ワイヤーも不自然に見えるということで、使わないことになった。

 庵野秀明はことあるごとに、「相手を殺そうとしているように見えない」と口にする。派手なアクションではなく、戦う者同士の感情・殺意が伝わることを目指しているようだった。五社英雄が演出した『陽暉楼』の浅野温子と池上季実子の取っ組み合いや、崔洋一による一連の作品の群れつつ駆けまわるような乱闘を指すのだろうか。『仮面ライダー』って、そんなんだっけと思うのだけれども。

 ただし、主演の池松壮亮はさすがにもうベテランの域であって、監督の意図をきちんと汲みとっている。最初の蜘蛛男との戦いのダムの上の長回しでは、ちょっとよたるような足どり、ぶっちゃけ北野武っぽい歩き方で蜘蛛男を追っている(この映画では変身後のアクションもほぼ本人が演じている。事故が起きて藤岡弘。が現場を一時離脱する前の方式に戻している)。静かながら、底なしの暴力の弾ける予兆がみなぎるシーンとなっている。

 別の日の撮影では、その日の最後ぎりぎりに場所を変え、ほぼ即興でアクションを組み立てたが、準備が不足して戦闘員たちが最後の詰めを間違え、ライダーが困惑してほぼ棒立ちになったようなシーンの幕切れとなっており、一般的にはNGテイクのはずだけれど、その日の撮影で本編に使われたのはそこだけだったらしい。
 あるいは、間合いを見誤ってライダーのパンチが思いっきり戦闘員の顔に入った事故っぽいカットも本編に入っているという。

 つまるところ、監督は精緻に組み上げられたアクションには興味がなく、感情の暴走に焦点を当て、さらにそれが空まわることによるタイミングのずれや逡巡なども、映りこんでしまうものを取りこむことで、ひりつくようなリアリズムを映像にしたいようなのだった。

 特にそれが顕著なのは、池松壮亮・柄本佑・森山未來がそろって戦うラストバトルである。およそキレのない、3人でくんずほぐれつの塊になってもみあうような闘いになっていて、劇場でこのシーンを見た時には、ここだけスタントを使わず、準備なしで役者にスーツを着せてアドリブで演じさせたのかと思った。
 さすがにそれはなかったけれども、ここではアクションの組み立てを俳優たちが3人で考えていた。それだけだと、技術的に詰めきれないところが残ったので、そこをアクション・チームが補完して、最終的にはキャストとスタッフが力を結集したものとして仕上がり、ドキュメンタリーとしてもきれいにそこで終わっているのだけど、観たこちらの印象としては、そういう作り方をしたことによる特別な効果があったようにも思えず、「そうだったんだ」というところに落ち着いてしまう。というか、このドキュメンタリーでアクションがそういう特別な作られ方をしたのを知ったけれど、たしかに日曜の朝に放送している東映の仮面ライダーや戦隊ものとは違うなと思いつつ、こんなに手間のかかったアクションだとは思いもよらなかった。

 もちろん、それはそれで構わない。見る方がいちいち制作サイドの細かい事情を読みとる必要はないし、楽しく見れたのだから、それでなんの問題もない。しかし、監督が作品のアクションにこめようとした意図は、やや空回りに終わってしまった気がする。

 庵野秀明はとにかく新しいことを試みようとしたし、そのためにはできるだけ予断を排して撮影に臨もうとした。俳優やスタッフにもそれを要求した。ドキュメンタリーの印象的なシーンの一つに、ヒロインの浜辺美波がスマホに囲まれて演技をするシーンがある。監督が自ら「貧乏マトリクス」と自嘲していたけれど、そうすることで多数のアングルからのいっせいに撮影して、後でその中から選ぶ。
「絵コンテを作ると、それに沿った作業だけになりがちなので」
 ということで、アクションが段取りになってしまうのを忌避するのに似た発想で、あくまでアングルを固定しない撮影なのだった。とはいえ、これはけっこう俳優には負担になるらしい。伊丹十三監督の作品に出演した伊集院光は、津川雅彦や六平直政といったベテラン俳優がいかにカメラと自分との位置関係を測ることに優れた感覚をもち、それを撮影に際してどう使いこなしているのか、かつて話していたことがある。浜辺美波はまだ若いけれど、場数は十分に踏んでいる俳優なので、そのシーンの後のインタビューでは、すごく慎重に言葉を選びながら、「大変ですね」と苦笑いしていた。
 ちなみに本編でヒロインの彼女のドキュメンタリーにおける登場シーンは、それだけだった。あと、現在のスマホは本当に映画レベルの撮影ができるのだと感心もしたくだりだった。利用者の0.001%ぐらいしか、そんな性能は必要としないだろうけれども。スマホも順調にガラケーと同じルートをたどりつつある。

 すでにある構想をなぞるような撮影をできるだけ避けるために、監督も事前にできるだけディレクションをしたくなかったという事情はわからなくもないけれど、さすがになにも言わなさすぎて現場に不必要な軋轢が生じた可能性がなくはない。それぞれの認識のずれが新しい発想への道を拓くこともあるのだから、そうしたストレスを取り去るだけが能でもないけれど、もうちょっと事前の話し合いでアイディアを交換し、それこそブレーンストーミングのようなことも試みて、チームが目指す方向をある程度までは絞るべきだったような気はする。
 しかし、あらためて見てみると、庵野秀明という人は本当に口の重い、しゃべらない人なのである。感性は鋭いけれど、言葉を操るのはあまり得意ではないタイプのようでもある。

 ドキュメンタリーの終盤、ラストバトルが終わった後の森山未來を映していたが、なんとも不思議な表情をしていた。別に不満というわけでもなく、さりとてやりきって充実した疲労感に浸っているようでもなかった。嵐の通過した後を、呆然と見送っているようとでもいうべきか。どうにもはっきりした着地点をみつけかねた番組そのもののような表情でもあった。
 思い返してみれば、ドキュメンタリーの冒頭の会合も彼がきっかけで設けられている。ラスボスなので出番は終盤に集中しており、前半の監督とアクションチームのやりとりには居合わせていない。途中から合流して、ちょっと距離のあるまま撮影を終えたと思う。その感じはなんとなく本編に出てきたロボット刑事Kを彷彿とさせた。

 この映画、実はロボット刑事Kが登場するのである。厳密には刑事ではないのだけれど名前はKだし、造形はまんまロボット刑事Kである。単純に庵野秀明の趣味なのだろう。
 役割はAI直属の観察者であって、ショッカーとも距離をとってひたすら起きている出来事を見守っているのだった。ショッカーと敵対している緑川ルリ子ともふつうに話しているので、そのあたりからすると、ショッカーはAIがいくつか並行して進めている試みの一つであるのかもしれなかった。だから、シリーズ化が可能ではある。V3とかも。

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