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2023年04月26日07:04

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憲さん文芸論 安政七年三月三日の江戸に降る雪はいつ止んだのか? 作家吉村昭氏の歴史小説の執筆作法から学ぶ! 前編

フォト


※画像は作家の吉村昭氏

※本文中「桜田門外の変」と「桜田門外ノ変」の表記があるが、基本的に「桜田門外の変」とし、「桜田門外ノ変」は出典に準拠した。

安政7年3月3日というから上巳の節句である。

参考

【上巳】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B7%B3

当然旧暦なので、これを現在の西暦に直すと1860年3月24日となる。

温暖化が進んだ現在において、3月24日といえば桜が咲いている時季でもある。

しかし今から160年以上前のこの日は季節外れの大雪だったそうである。

運命の悪戯か、この大雪がまた歴史を大きく動かすことになったのも事実である。

この日、当時日本の中枢江戸のど真ん中、江戸城桜田門外において、驚天動地の大事件が起こった。

桜田門外の変である。

参考

【桜田門外の変】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80%E5%A4%96%E3%81%AE%E5%A4%89

江戸城桜田門外で大老・井伊直弼が水戸浪士らに襲われ文字通り首級を掻かれて暗殺された事件である。

奇しくも先日、岸田文雄が遊説先の和歌山県の演説会場で筒状のものが投げ込まれ爆発したが、事なきを得た事件が発生した。

安政7年の桜田門外の変とは当時の行政のトップ、今で言う首相が白昼堂々襲撃され、首をとられて暗殺されたという大変ショッキングな事件であった。

参考

首相演説直前に爆発 筒投げた兵庫24歳男逮捕
https://www.tokyo-np.co.jp/article/244323

憲さん随筆
言論機関の「暴力反対」の翼賛社説は健全なのか?岸田文雄爆発物襲撃事件について考える
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2023/04/post-810ac5.html

憲さん、この事件(桜田門外の変)は水戸藩の狂気じみたテロリストの反動的暴挙であると確信しているが、世間の評判はそうでもないらしい。

かの「智の巨人」ともてはやされる司馬遼太郎氏はこの事件をどう評価しているかというと、こうである。

彼の小説『幕末』の中の小編『桜田門外の変』でこう書いている。

参考

【司馬遼太郎『幕末』】
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-9975044859

「暗殺という政治行為は、史上前進的な結局を生んだことは絶無といっていいが、この変だけは例外といえる。明治維新を肯定するとすれば、それはこの桜田門外からはじまる。斬られた井伊直弼は、その最も重大な歴史的役割を、斬られたことによって果たした。三百年幕軍の最精鋭といわれた彦根藩は、十数人の浪士に斬り込まれて惨敗したことによって、倒幕の推進者を躍動させ、そのエネルギーが維新の招来を早めたといえる。この事件のどの死者にも、歴史は犬死をさせていない」と。

なんとも「坂の上の雲」史観の作家が言いそうなことである。

参考

【司馬遼太郎『坂の上の雲』】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E9%9B%B2

それにしてもこの言いぶりは殺された大藩の藩主である井伊掃部に対して極めて礼を失しているのではなかろうか?

また、その単行本『幕末』の“あとがき”にこうある。

「暗殺だけは、きらいだ」「(暗殺者は)人間のかざかみにもおけぬ」と冒頭書いておきながら・・・

しかし、続けてこうも書いている・・・

「このましくないが、暗殺者も、その兇手に斃れた死骸も、ともにわれわれの歴史的遺産である。」

と。

そして・・・

「書きおわって、暗殺者という者が歴史に寄与したかどうかを考えてみた。
ない。」

としているが・・・

そんな暗殺事件の中で・・・

「桜田門外ノ変だけは、歴史を躍進させた、という点で例外である。これは世界史的にみてもめずらしい例外であろう」

と結論付けている。

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

司馬遼太郎、正気か?

司馬遼太郎はその短編『桜田門外の変』でその暗殺場面をこう描写しているにも関わらずである。

それは井伊掃部の首を斬った薩摩藩脱藩浪士有村次左衛門の最期である。

「喉から襟にかけて痛むので指を入れてみると、ずぶと入った。他に左の目の上下にわたって長さ三寸、骨に達する傷があり、ほかに右の手の甲、さらに左手の人差し指が斬り落とされている」

その後、有村次左衛門は彦根藩士の小河原秀之丞に後頭部を刀で斬り付けられ、直後に切腹して果てる。

それは直視するに耐えないものである。

これが、司馬遼太郎言うところの「歴史を躍進させた」事件のありのままの実態である。

・・・・・・・・・

幕末における大老井伊直弼の評価は毀誉褒貶が著しい。

横浜では横浜港開港の父として装束を纏った銅像まで建っている。

参考

【掃部山公園】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%8E%83%E9%83%A8%E5%B1%B1%E5%85%AC%E5%9C%92

また地元彦根ではいまだに名君としての誉れが高い。

いわゆる「安政の大獄」については誉められたものではないが、直弼の進めた開国路線は決して間違っているものではなかった。(あくまでも“路線”だが・・・)

参考

【安政の大獄】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%89%E6%94%BF%E3%81%AE%E5%A4%A7%E7%8D%84

日本の開国についての詳細は憲さん、幕末の開国について随筆を書いているのでそれを参照していただきたい。

参考

憲さん随筆
教科書の定説を疑え!日米修好通商条約は不平等条約ではなかった!−『日本を開国させた男、松平忠固 近代日本の礎を築いた老中』を読んで
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-5f7ab1.html

ここでは井伊直弼についても簡単に触れている。

上述した通り、この変については司馬遼太郎が小編を書いている。

その内容は井伊直弼の首級を搔き絶命した薩摩藩脱藩浪士有村次左衛門を主人公に、安政の大獄で獄死した水戸藩士(さらにはそれ以前には薩摩藩士)の日下部伊三治の次女まつとの淡いロマンスを織り交ぜて書かれており、それはそれで“ホロリ”とする内容でもあった。

参考

【日下部伊三治】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E4%B8%8B%E9%83%A8%E4%BC%8A%E4%B8%89%E6%B2%BB

【司馬遼太郎『桜田門外の変』】
http://takesanwind.g2.xrea.com/book/siba/sakuradamongai2.html

しかし、この変で圧巻な小説はやはり吉村昭氏の小説『桜田門外ノ変』であろう。

実はこの小説、憲さんの手許にあるがまだ読んでない。

しかし、この小説を原作とした映画『桜田門外ノ変』は憲さんは封切り時に映画館で観ている。

参考

【桜田門外ノ変】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%9C%E7%94%B0%E9%96%80%E5%A4%96%E3%83%8E%E5%A4%89

映画の予告編
https://youtu.be/YRc5ZDO6zng

正直行ってこの主人公である暗殺グループのリーダーである大沢たかお演じる関鉄之介には一片たりとも感情移入することはできなかったのを覚えている。

参考

【関鉄之介】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%96%A2%E9%89%84%E4%B9%8B%E4%BB%8B

憲さんの記憶にあるのは、この映画を鑑賞した後日、水戸の梅を観に行ったついでに千波湖畔の千波公園内にある桜田門外を再現した映画のオープンセットを見に行ったときである。

参考

映画『桜田門外ノ変』オープンロケセット・記念展示館
https://www.aplus-design.jp/arc/sakuradamonn-open/

このとき、多くの水戸市民も来ていたが憲さん何人かの水戸市民に「桜田門外の変についてどう思います?」と尋ねたところ、ほとんどが「あれは暗殺行為だからね〜!」と否定的にこたえていたのが大変印象に残っている。

幕末とは遠い昔の話なのだろうか?

どーよっ!

どーなのよっ?

後編へ続く!
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