四天王寺で御朱印を頂いたのであれば、同じく聖徳太子が建立された法隆寺を訪れない訳には行きませんよ。それと実は、1冊目の伊勢神宮の朱印帳なのですが、最後の頁に長弓寺で御朱印を頂こうと思いながらもずっと空白の儘でした。その後に思い直して二見興玉神社で頂こうかと考えていたのですがそれも機会を逸してしまって、果たして何処が相応しいのかと悩んでいました。そして漸く、神武天皇の実在を信じているのであればやはり橿原神宮で頂かなければと決めたのでした。随分と昔に1度だけ参拝した事があったのですが、戦前の皇国史観に基づいた建立とあって、右翼の街宣車が走り回っているイメージが強過ぎて毛嫌いしている所がありました。今でも紀元節の祝日は酷い有り様みたいですけど、普通に考えて、日本国を創始した神武天皇に敬意を表さずして何の為の神社巡りかと思われたのでした。確かに戦前の皇国史観には行き過ぎた点が多々あったとは思うのですが、それにしても戦後の骨抜きにされ歪曲された日本の歴史観は余りにも酷過ぎます。私は単に事実を知りたいだけなのに。
法隆寺の南大門
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�蕁ゞ眛押�中門、五重塔
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法隆寺は地元という事で子供の時分から訪れているのですが、それでも今回で4回目位となります。それこそ手前の道は幾度となく通っているのに、これだけ参拝回数が少ないのは、間違いなく高過ぎる拝観料金にあるのだと思います。まあいつ行っても代わり映えがしないという事もありますが、それでも世界最古の木造建築にして見渡す限り国宝と重文ばかりというのは凄過ぎます。その殆どを目にする事が出来るのですが、聖霊院の本尊である聖徳太子像(とその他)は3月22日のみの開扉、夢殿の本尊である救世観音像は春秋の特別な期間だけの開扉となります。夢殿の方は確実に行くだろうな。
中宮寺の本堂
法隆寺の夢殿を参拝して居れば、自然とその流れで隣接する中宮寺に導かれるのですが、ここからは別料金となっています。中宮寺は「聖徳太子とその母・穴穂部間人皇后ゆかりの尼寺」との事で、本堂は1968年の建立なので特に興味はないのですが、ここに安置されている本尊の菩薩半跏像(伝如意輪観音)は余りにも有名ですね。
「半跏思惟のこの像は、飛鳥時代の最高傑作のひとつであると同時に、わが国美術史上、欠かすことの出来ない存在です」
「また国際美術史学者間では、この像の顔の優しさを評して、数少い『古典的微笑(アルカイックスマイル)』の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで『世界の三つの微笑像』とも呼ばれております」
(中宮寺のホームページより)
見る者に向けられた訳ではないこの満ち足りた表情は、自己完結しているというよりも、見る者をも内包している様で思わず惹き込まれてしまいます。そしてこの半跏思惟像のもう一つの傑作とされているのが広隆寺の弥勒菩薩半跏像(宝冠弥勒)で、Wikipediaには「篠原正瑛によれば、ドイツの哲学者カール・ヤスパースがこの像を『人間実存の最高の姿』を表したものと激賞した」とのエピソードが紹介されています。これも行かねば。
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橿原神宮の違和感、それは由緒ある寺社であれば必ずある筈の門前町が皆無である事で、その余りにも広大で整い過ぎた境内は何処か嘘っぽくて、社殿における外拝殿と内拝殿という新しい形式も豪壮な割にはよそよそしくて、神武天皇という存在が身近には感じられません。まあそれも戦前の皇国史観の上では思惑通りなのでしょうけど、戦後の時代には全くそぐわないですね。御朱印を頂こうと参拝したものの、最後の最後まで躊躇していました。深田池でカモやコイやカメと戯れている時が一番救われていたのかも知れません。それでも、神武天皇陵に赴いた事で漸く敬虔な気持になれました。私にはこの静かな場所が必要ですよ。尤もここを神武天皇陵と比定したのは誤りとして、畝傍山の丸山とする説も有力とされています。確かに本当の所は知りたい所ですが、ただ私にとっては神武天皇が身近に感じられたらそれで良いのです。
�茵ー禳�友苑
�蕁\λ技鎧劃困�らの展望。左手に金剛山、中央に葛城山
�茵\λ技鎧劃困�ら耳成山を望む
�蕁\λ技鎧劃困�ら天香久山を望む
�茵\λ技鎧劃困砲△訐Σ仍蓋�神社社殿跡
�蕁\Σ仍蓋�神社
�茵‘8教楡廚�ら畝傍山を望む。背後に金剛山と葛城山
�蕁‘8教楡廚�ら天香久山を望む
ここまで来たら畝傍山に登りたいと思うのは、登山好きでなくとも当然ですよね。判り易い登山口は若桜友苑からとなるのですが、こうした英霊を弔う施設は私には好ましく映ります。綺麗に整備されており、ここから見上げる畝傍山は美しいです。大和三山が上古の時代に登られていたのかは分かりませんが、山頂からの景色にその当時の姿を思い浮かべていました。これに対して藤原宮跡からの景色は、日の入りの時刻にもよるのか強い郷愁に誘(いざな)われて、これで橿原神宮に対する蟠りが消えて行く様に思われました。
�茵,劼里錣�みやと陽の道しるべ
�蕁^没佳�神宮にある石碑、ひのわかみやと陽の道しるべ
橿原神宮で御朱印を頂いた最大の理由は、この地がお馴染みの伊弉諾神宮の陽の道しるべ関連であったからです。春分・秋分のラインを見て頂ければ、海神神社と伊勢神宮と共に飛鳥・藤原京もその線上にありますね。それと今頃になって気付いたのですが、出雲大社と共に日御碕神社にも訪れるべきではあったかな。うーむ、やはり行かねば。
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