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2023年03月19日11:08

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東郷平八郎は愚将か名将か? 百発百中の砲一門は百発一中の砲百門と対抗することができるか?

フォト


※画像はくだんの貼紙

一時その高層団地が「自殺の名所」として有名となった板橋区の“高島平”の地名は江戸時代の砲術家高島秋帆からとられたことはよく知られている。

参考

東京屈指の自殺スポット「高島平団地」
https://news.livedoor.com/lite/article_detail/17598541/

江戸時代はその土地は徳丸ヶ原と呼ばれていた。

1841年(天保12年)、長崎出身の高島秋帆とその弟子99人は、幕命により徳丸原(現、高島平一帯)で西洋式砲術調練を披露し、幕末〜明治期の軍制改革のきっかけをつくったとされる。

参考

【高島秋帆】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%B3%B6%E7%A7%8B%E5%B8%86

高島平の地名の由来は高島秋帆
https://www.city.itabashi.tokyo.jp/kyodoshiryokan/oshirase/3000460/3000469.html

昭和40年頃、今の徳丸ケ原一帯を開発して団地を造成する際、新しい町名をつけることになり当初は「赤塚平」、「徳丸平」など町名が出されたか、結局高島秋帆から名をとって「高島平」と決まったのである。

高島平団地近くの松月院は砲術調練の際に秋帆が本陣とした寺があり、その境内には秋帆の調練を記念した大砲をかたどったユニークな「火技中興洋兵開祖」の碑が建っている。

参考

高島秋帆 独自の高島流砲術(西洋流砲術)築く 「高島平」の地名残す
https://www.tojoshinbun.com/takashima/

その高島秋帆が広めた高島流砲術とは西洋砲術であり、鉄砲から大筒(大砲)にいたる火器の戦術に関するものであった。

そして、その大砲についてはその調練において弾丸の軌道を計算する高度な算術を使用していたと考えられるのだ。

参考

弾道学
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%BE%E9%81%93%E5%AD%A6

今回の随筆はこの算術が基礎となる大筒(大砲)についての随筆である!

一昨日行った現場の詰所に以下のような内容を書いた貼紙が貼ってあった。(画像参照・全文は文末に採録)  

以下、引用。

時は金なり

昔ある海軍学校における授業で、教官が学生たちに質問をしました。「100発100中の砲1門と、100発1中の砲100門。 さて、どちらが勝つか?」

つまり、100発100中の大砲1門と、100発1中の大砲100門が砲撃戦を行うと、どちらが勝つかとこれは、計算をすると結果がはっきりします。

以上、引用おわり。

「100発100中の砲1門と、100発1中の砲100門」とは明治時代の日本帝国海軍連合艦隊司令官東郷平八郎が「連合艦隊解散ノ辞」で述べた言葉の引用である。

東郷はこう述べている。

原文
「而シテ武力ナル物ハ艦船兵器等ノミニアラズシテ、之ヲ活用スル無形ノ實力ニアリ、百發百中ノ一砲能ク百發一中ノ敵砲百門ニ對抗シ得ルヲ覺ラバ、我等軍人ハ主トシテ武力ヲ形而上ニ求メザルベカラズ。」

現代語訳
「戦力というものは、ただ艦船兵器等有形のものや数だけで定まるものではなく、これを活用する能力すなわち無形の実力にも左右される。百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができるのであって、この理に気づくなら、われわれ軍人は無形の実力の充実すなわち訓練に主点を置かなければならない。」

参考

【東郷平八郎】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E9%83%B7%E5%B9%B3%E5%85%AB%E9%83%8E

【聯合艦隊解散之辞】
https://ja.m.wikisource.org/wiki/%E8%81%AF%E5%90%88%E8%89%A6%E9%9A%8A%E8%A7%A3%E6%95%A3%E4%B9%8B%E8%BE%9E

ここで、東郷平八郎はこう言っている・・・

「百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することができる」

と・・・。

さて、この東郷平八郎の言説は数学的に正しいか間違っているか証明せよ!

というのが今回の問題である。

・・・・・・・・・。

回答っ!





東郷平八郎の言説はデタラメである!

証明っ!

ここでは、百発百中の砲一門が生き残る確率を考え・・・

百発一中の砲一門が1度の砲撃で相手を撃破できる確率は1%である

当たる確率1%の砲を百門用意して一斉に撃ったら、どれだけの確率で当たるか?

百の弾が全て外れる確率を計算し、その反対を考える。

1つの弾は99%の確率で外れる。率で言えば0.99だ。2つの弾が外れる確率は、0.99 × 0.99 = 0.9801である。100の弾が外れる確率は、0.99の100乗=0.366であるから、当たる確率は、0.634 つまり63.4%ということになる。

すなわち、6割強の確率で、百発百中の砲は撃破されてしまうのである。

さらに、双方の射撃は1回だけではないだろう。相手の砲全てを撃破した方が勝ちとなれば、ますます百発百中の砲一門の分が悪い。1回戦目で百発百中の砲が生き残っても、2回戦目は百発一中の砲九十九門を相手にすることになる(一門は確実に撃破している)。

2回戦に生き残っても3回戦は九十八門が相手である。

要するに、百発百中の砲一門は、100+99+98+…+3+2+1 = 5050発の弾をかいくぐらなければ勝ったことにならない。

そこで、百発百中の砲一門が最後まで生き残る確率を考えれば、0.99の5050乗 ≒ 9.07×10-23 つまり、0.000000000000000000009%

となる。

すなわち、限りなく0に近い。

よって・・・

「百発百中の砲一門は百発一中、いうなれば百発打っても一発しか当たらないような砲の百門と対抗することはできない」!のである。

実はこの解答にはあんちょこがある。

こちら!

百発百中の砲一門と百発一中の砲百門
連合艦隊解散ノ辞
http://axion.world.coocan.jp/contents/analysis/001.html

ここでサイトの筆者はこう述べている。

以下、引用。

もっとも、東郷平八郎がそのことに気付かない筈はない。この一文が登場する『連合艦隊解散ノ辞』の全文を読めば分かるのであるが、東郷平八郎が言わんしているのは、形ある武器が沢山あったとしても、それを操る軍人の(無形の)実力が無ければ役に立たんから、何時如何なるときでも鍛錬を怠るなということであって、本当の意味で“対抗し得る”などとは思っていまい。
(中略)
連合艦隊参謀長の加藤友三郎が「百発一中の大砲の弾が1つでも当たれば終わりだ」と言ったそうであるから、東郷平八郎自身がこのことに気付いていない筈は無く、この表現はあくまでも比喩として見るべきであろう。

以上、引用終わり。

この筆者は「この表現はあくまでも比喩として見るべきであろう」と寛大に東郷平八郎を擁護しているがそうだろうか?

何故なら「形ある武器が沢山あったとしても、それを操る軍人の(無形の)実力が無ければ役に立たない」ことを「比喩的に表現したいのであれば「百発百中の砲一門」と対決するのは「百発一中」ではなく「百発零中」にすればいい。

そうすれば「百発百中」の大砲が勝つのは自明なのであるから。

あるサイトではこの東郷平八郎の言説をこう批判している。

以下、引用。

東郷は日露戦争後、神がかり的になって、「百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る」と言いだします。大砲が1門しかなくても命中率100%ならば、命中率1%の大砲100門の敵に負けないという意味ですが、合理的に考えればこれが間違いであることがわかります。こちらが一発必中で敵の大砲1門を壊しても、残りの99門から弾が飛んでくる計算ですから。

ところが、東郷はこうした精神訓話をずっと言い続け、それが軍の中で大東亜戦争にも引き継がれていく。

以上。

参考

大和魂を批判した戦術家、秋山真之
https://president.jp/articles/-/539?page=2

その通り!

東郷平八郎は日露戦争においては、連合艦隊を率いて日本海海戦で当時世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破って世界の注目を集め、その名を広く世界に知られることとなった人物だと言われているが、なんのことはない、その人物像は「神がかり的」で、非合理的な「大和魂」を振りかざす「精神主義者」に他ならなかったのである。

そして、その「神がかり的」な東郷による日本海海戦勝利が、日本の軍隊の「精神主義」を増長させ、それが軍のなかで1945年の敗戦まで引き継がれ日本と日本人を奈落の底に落とし込めたのである。

(´Д`)=*ハァ〜

結論。

東郷平八郎は国語も数学も無知無能であり、「百発一中の大砲の弾が1つでも当たれば終わりだ」と言った加藤友三郎の方が圧倒的に正しい!

もし、「相手を確実にやっつけたいなら、ゴルゴ13を一人雇うよりは、天才バカボンに出てくる本官さん百人の方がよいということである」

これで、いいのだ!


前出、あんちょこサイトより。

(´艸`)くすくす

どーよっ!

どーなのよっ?

以下、詰所に貼られていた貼紙全文

2023年3月7日
安全通信
建築事業部

時は金なり

昔ある海軍学校における授業で、教官が学生たちに質問をしました。「100発100中の砲1門と、100発1中の砲100門。 さて、どちらが勝つか?」

つまり、100発100中の大砲1門と、100発1中の大砲100門が砲撃戦を行うと、どちらが勝つかとこれは、計算をすると結果がはっきりします。

いう問題です。

100発100中の大砲1門は、敵の大砲を全滅させるためには砲弾を100回発射しなければなりません。

その間に、100発1中の大砲100門は 5,050 回発射することができます。 なぜなら、100門の大砲は1門ずつ減っていくわけですが、1射目が100発2射目が99発 3射目が98発・・・と、生き残った大砲が次々と砲撃を行うので、100+99+98++2+1で、その合計が5,050 発となります。 100発で 1発当たるのですから、単純計算では50.5回の命中弾があるわけです。

つまり、100発1中の大砲部隊が発射している間に、100発100中の大砲1門は50回以上の命中弾 を受けることになり、当たればその時点で終わりとなります。 結果的に、100発1中の大砲部隊の圧勝となるわけです。

さて、 そこで教官が言うには、

金(カネ)の経済を知る人は多いが、時(トキ)の経済を知る人は少ない。」と説明しました。つまり、100発100中の大砲1門と砲弾にかけるお金は安く済むので、 「金の経済」としては勝っていることを意味します。しかし、1門の大砲が発射する間に、100門の大砲は1回の一斉射撃で100発〜1発まで発射できます。つまり「時の経済」としては、こちらの方が勝っており、最終的には「時の経済」が時間的には圧勝するという結果になります。

我々の世界でも、「時は金なり」という言葉があるにもかかわらず、勝つためには、お金に比べ時間が経済価値から除外されがちなのは確かです。 もっと時間の価値というものを、 我々は再認識した方がよさそうです。

我々プロの現場でも、トラブル防止には多くの防止策の発射が有効であることは間違いありません。

年度末の繁忙な時期に向けては、 安全に限らず、事前にトラブル防止策を多く発射し、事故・災害の抑止に心がけねばなりませんね。

(おわり)

年度末労働災害 防止強調月間 |2023 3月1日~3月31日)

以上。

以下、あんちょこ全文

百発百中の砲一門と百発一中の砲百門
連合艦隊解散ノ辞
http://axion.world.coocan.jp/contents/analysis/001.html

百発百中の砲一門と
百発一中の砲百門
百発撃って百発当たる砲一門は、百発撃って一発しか当たらない砲百門と互角という精神論が、如何におかしいかという話。
どんなに頑張っても物量には勝てません。

百発百中の砲一門と百発一中の砲百門
連合艦隊解散ノ辞

このネタを知ったのは、Niftyのパソコン通信時代だから、かれこれ15年程前だったように記憶している。日本海海戦でロシアのバルチック艦隊を破った連合艦隊の司令長官、東郷平八郎が述べた言葉の一説の中に、

“百発百中の一砲能く百発一中の敵砲百門に対抗し得る”

という一文がある。簡単に言えば、百発撃って百発当たる大砲一門は、百発撃って一発しか当たらない大砲百門と互角であるということである。
もちろん、これは確率論的に見ればおかしいのであって、後で述べるが、明らかに百発百中の砲一門の方が不利である。

もっとも、東郷平八郎がそのことに気付かない筈はない。この一文が登場する『連合艦隊解散ノ辞』の全文を読めば分かるのであるが、東郷平八郎が言わんしているのは、形ある武器が沢山あったとしても、それを操る軍人の(無形の)実力が無ければ役に立たんから、何時如何なるときでも鍛錬を怠るなということであって、本当の意味で“対抗し得る”などとは思っていまい。

この一文は、色々と誤解されていることが多いようで、例えば“百発百中の一砲は百発一中の敵砲百門に勝る”になっていたり(対抗できるという間違いは有りがちだが、勝っちゃいかんだろう)する。
それに、この原文を作ったのは東郷平八郎ではなく、連合艦隊参謀、秋山真之中佐だと言われているし、連合艦隊参謀長の加藤友三郎が「百発一中の大砲の弾が1つでも当たれば終わりだ」と言ったそうであるから、東郷平八郎自身がこのことに気付いていない筈は無く、この表現はあくまでも比喩として見るべきであろう。

もっとも簡単な(ひねくれていない)考察

で、実際はどうなの? と問われた場合、百発百中の砲一門が生き残る確率を答えるのが定番である。
百発一中の砲一門が1度の砲撃で相手を撃破できる確率は1%である。もちろん、百発百中の砲は1度の砲撃で相手を100%撃破できるのであるから、一対一の対戦ならば、圧倒的に百発百中の砲が有利である。

問題は、当たる確率1%の砲を百門用意して一斉に撃ったら、どれだけの確率で当たるかということだ。昔から下手な鉄砲も数撃ちゃ当たると言われているのであるから、結構大きくなるに違いない。計算方法は、百の弾が全て外れる確率を計算し、その反対を考えればよい。1つの弾は99%の確率で外れる。率で言えば0.99だ。2つの弾が外れる確率は、0.99 × 0.99 = 0.9801である。100の弾が外れる確率は、
0.99100 ≒ 0.366
であるから、当たる確率は、
1 - 0.99100 ≒ 0.634 つまり、63.4%
ということになる。すなわち、6割強の確率で、百発百中の砲は撃破されてしまうのである。

さらに、双方の射撃は1回だけではないだろう。相手の砲全てを撃破した方が勝ちとなれば、ますます百発百中の砲一門の分が悪い。1回戦目で百発百中の砲が生き残っても、2回戦目は百発一中の砲九十九門を相手にすることになる(一門は確実に撃破している)。2回戦に生き残っても3回戦は九十八門が相手である。
要するに、百発百中の砲一門は、100+99+98+…+3+2+1 = 5050発の弾をかいくぐらなければ勝ったことにならない。最後まで生き残る確率を考えれば、
0.995050 ≒ 9.07×10-23 つまり、0.000000000000000000009%
となる。こんなもん大和魂で何とかなる問題ではない。

この数字が如何に小さいかは言うまでもないかも知れないが、反対に巨大な数としてポピュラーなアボガドロ数が6.02×1023とオーダー的に合っている(乗数が±逆なので本当は2桁近くずれているのだけど)ということを考えると、とんでもない数字だということでイメージが湧く(もちろん、全然湧かない人もいるだろうが)。

誤答を弁護する考察
ここで、百発一中の砲百門が1度の砲撃で相手を撃破できる確率が100%でなく63.4%であることに疑念を挟む人がいることに留意しなければならない。
要するに、サイコロで1が出る確率が1/6だとして、「じゃあ、6回振れば1回は1が出るね」と誤解する人が少なからずいる。実際には、1 - (5/6)6 ≒ 0.665であるから、66.5%の確率しかなく、6回振っても1回は1が出るとは言えない。ただし、後で統計を取れば、平均して6回振れば1回は1が出ていると言える。この2つの概念は混同しやすいため、話がややこしくなっていると考えられる。

もしも、「6回振れば1回は1が出る」と思っていた場合、百発一中の砲百門が百発百中の砲一門と同等だと誤解するのもうなづける。「100発撃てば1回は当たる」と思い込んでいるのであるから、一度に100発撃てば必ず当たるという理屈である。

これは、ロシアンルーレットに例えると分かりやすいかも知れない。6連の回転弾倉がある銃でロシアンルーレットをする。弾が1発のみならば、当たる確率は1/6である。通常は、1回引き金を引いて外れたら、改めて弾倉をカラカラと回すので、常に当たる確率は1/6だ。
ところが、弾倉を最初の1回だけしか回さないとしたなら、最初の試行が外れれば、次の当たる確率は1/5になる。そして、6回の試行のどこかで必ず当たることになる。100連の回転弾倉がある銃に1発だけ弾が入っていた場合も同様で、100回の試行で必ずどこかで当たることになろう。
TVのバラエティ番組を見ていると、ロシアンルーレットになぞらえるゲームは、どちらかというと後者の方式(最初だけ回して、後は回さない)となっている。寿司に1つだけワサビが大量に入っているとかいうのがそれだ。食べたら無くなってしまうので、そうならざるを得ない。その他、商店街の福引きも、確率が決まっているのではなく、当たり数が決まっている場合がほとんどなので、誰かが必ず当たるシステムとなっている。

よって、百発一中の砲百門が1度の砲撃で相手を撃破できる確率が100%だと勘違いする人が少なからずいると仮定すれば、その人に、「実は確率は100%でなく63.4%である」と告げれば、「じゃあ、百発百中の一砲は百発一中の敵砲百門に勝るのか?」と思う人も少なからずいるということである。この誤解を解くのは結構難しい。

expな考察
ところで、百発一中の砲百門という設定は、百という数字に必然性が無いと感じないだろうか? 強いて言えば、百という数字は区切りがいいから出された数字であって、別に、九十九発一中の砲九十九門でもいい筈だ。
そもそも百が区切りがいいと思うのは、両手合わせて10本の指を持つ人間の数学だからであって、世界一有名なネズミの国ならば、64(=8×8)が区切りのいい数字となっていた筈である。

そうすると、この逸話は、一般解にすることができる。すなわち、『n発n中の一砲能くn発一中の敵砲n門に対抗し得る(ただし、n>1)』である。

この場合、nの弾が外れる確率p(n)は、
p(n) = (1 - n-1)n
である。もちろん、p(100) ≒ 0.366だと言うことだ。

何でも一般化しようと試みるのは数学屋や物理屋の悪い(?)癖である(私は数学屋でも物理屋でもないけど^^;)。アインシュタインが特殊相対論を一般化したように。そして、それにワイルが一般座標の線素まで一般化し、内山がゲージ化したように…である。これに対して、工学屋さんは、むしろその逆で、なるべく人がやらない特殊な状況下での現象を欲するような気がする(物理屋の中でも実験屋はそうかな?)。

ここで、nを100からもっと増やして1000とか10000にしてみたらどうか?
千発一中の砲千門、さらに、万発一中の砲万門という具合。計算すれば分かるが、p(100) ≒ 0.366とほとんど変化がないことが分かる。そして、最終的に、

p(∞) = e-1 ≒ 0.368

が出る。確認は二項定理とか使って頑張ってみてね。

そういうわけで、百砲が千砲になろうが万砲になろうが、p(n) = (1 - n-1)nという条件を満たしている限り、当たる確率はそれほど変わりがない。ただし、この確率は、1度の砲撃でn発n中の砲一門が生き残る確率である。これを忘れてはならない。
もしも、n砲の相手を殲滅するまでの確率を求めるとした場合、百砲より千砲、千砲より万砲を相手にする方が分が悪い。n発n中の砲一門は、いくら頑張っても1回の攻撃で敵一門しか破壊出来ないからである。いやまあ、百砲相手でも生き残る確率は0.000000000000000000009%なのだから、それ以下の確率を云々言っても話にはならないであろう。

相手を確実にやっつけたいなら、ゴルゴ13を一人雇うよりは、天才バカボンに出てくる本官さん百人の方がよいということである。決してコマンドーのようにはいかないのが現実だ。

常識的な兵法の考察

1度の砲撃でn発n中の砲一門が生き残る確率とn砲の相手を殲滅するまでの確率の歴然とした差を考えると、「攻めるには、兵力を分断し、個別に撃破するのが良い」ということが実によく分かる。

例えば、百発一中の砲百門が、平安朝の戦のように、「やぁやぁ、我こそは…」と、百発百中の砲一門に対して常に1対1で戦いを挑んできたとすれば、百発百中の砲一門が最後まで生き残る確率は36.6%であって0.000000000000000000009%では無いのである。
ちなみに、百発一中の砲が一斉に撃ってきた場合、百発百中の砲一門の生き残る確率が50%程度になるには、百発一中の砲十一門が精々であるが、常に1対1の場合は、百発一中の砲六十九門程度まで相手にできる。
そう考えると剣道の10人抜きはそれほど凄いわけではなく(凄いんだけど…)、本当の合戦で10人相手に戦って勝った方がとてつもなく強いということになるだろう。

で、結論めいたことを述べると、「仮面ライダーに出てくる怪人は、なんで1人ずつやねん。アホちゃうか」ということになろうか? 何か違う気もするが、まぁいいか。

以上
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