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2022年12月21日21:33

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あなたは“垣見五郎兵衛”派? “立花左近”派? 『忠臣蔵』の名エピソード『大石東下り』での対決相手はどちらが好き?

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※画像は映画『赤穂浪士』で大石内蔵助演じる片岡千恵蔵。顔が大きい!

今日は12月21日。

暮れも押し迫っている。

12月と言えば・・・

やはり、忠臣蔵である!

最近は暮れにテレビドラマで忠臣蔵をあまり演(や)らなくなってしまったがどうしたことだろうか?

寂しい限りである!

今日、何気なくYouTubeをみていたら、忠臣蔵の「大石東下り」が目に留まった。

参考

『赤穂義士伝 大石東下り』あらすじ
http://koudanfan.web.fc2.com/arasuji/91-02_ooisiazuma.htm

これである

忠臣蔵 (1985年のテレビドラマ)
https://youtu.be/dIa8V5Wm7_g

これは、1985年に日本テレビ系列で放送された放映された『年末時代劇スペシャル忠臣蔵』である。

参考

『忠臣蔵』
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%BF%A0%E8%87%A3%E8%94%B5_(1985%E5%B9%B4%E3%81%AE%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%83%89%E3%83%A9%E3%83%9E)

大石内蔵助を里見浩太朗が演じ、「大石東下り」では、日野家用人垣見五郎兵衛を西田敏行が演じている。

西田敏行演じる 垣見五郎兵衛が帰り際に「上品な方が本物にきまっておろうが!」という台詞が少しコメディチックで面白い。

と、これをみていて「大石東下り」では、“日野家用人垣見五郎兵衛バージョン”ともうひとつあったよな?と思い捜してみた。

するとあった!

それがこちらである。

赤穂浪士「大石東下り」
https://sp.nicovideo.jp/watch/sm28287551

この映画は1961年(昭和36年)3月28日公開(東映創立記念日)の『赤穂浪士』で監督は松田定次、主演の大石内蔵助は片岡千恵蔵である。

参考

【赤穂浪士 (映画)】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E7%A9%82%E6%B5%AA%E5%A3%AB_(%E6%98%A0%E7%94%BB)

そして、この東映映画『赤穂浪士』の「大石東下り」がまた圧巻である。

参考

【片岡千恵蔵】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%89%87%E5%B2%A1%E5%8D%83%E6%81%B5%E8%94%B5

片岡千恵蔵演じる大石内蔵助に対するのは、大河内傳次郎演じる九條関白用人立花左近である。

参考

【大河内傳次郎】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E6%B2%B3%E5%86%85%E5%82%B3%E6%AC%A1%E9%83%8E

そう、「日野家用人垣見五郎兵衛」バージョンに対してこちらは「九條関白用人立花左近」バージョンになっているのである。

この映画、立花左近が宿を去った後にこれまた東映の大スター市川右太衛門演じる千坂兵部と片岡千恵蔵演じる大石内蔵助が睨み合うシーンがあるのだが、これがまた痺れてしまう!

参考

【千坂高房】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E5%9D%82%E9%AB%98%E6%88%BF

【市川右太衛門】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E5%8F%B3%E5%A4%AA%E8%A1%9B%E9%96%80

もうこれは、大石内蔵助vs千坂兵部ではなく、名優片岡千恵蔵vs市川右太衛門であり数分間台詞もなくただ睨み合うだけなのだが、二人ともあの大きな顔で演じている様は圧巻である。

このシーンは日本映画史上に残る名シーンではないだろうか?

( ̄ー ̄)ムフフ

さて、このように「大石東下り」に出てくる内蔵助が名前を騙(かた)る御仁には「日野家用人垣見五郎兵衛」と「九條関白名代立花左近」の二人がいる。

いずれにせよこれは創作なのだが、どちらがリアリティーがあるか憲さんなりに考察してみた。

まず「垣見五郎兵衛」である。

この人は公家の日野大納言の用人である。

参考

【日野家】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AE%B6

「用人」とは、江戸時代の武家の職制のひとつで、主君の用向きを家中に伝達し、庶務を司ることを主たる役目とし、有能な者から選ばれることが多かったそうだ。

参考

【用人】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%A8%E4%BA%BA

そして、それは公家にも仕えていたのであろう。

参考

【垣見五郎兵衛】
https://www.kusuya.net/%E5%9E%A3%E8%A6%8B%E4%BA%94%E9%83%8E%E5%85%B5%E8%A1%9B

対する「九條関白用人立花左近」は・・・

これまた、公家の家格の頂点に立った五摂家(近衛家・九条家・二条家・一条家・鷹司家)のひとつである九条家の名代であり、用人であろう。

参考

【九条家】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9D%A1%E5%AE%B6

【立花左近】
https://www.kusuya.net/%E7%AB%8B%E8%8A%B1%E5%B7%A6%E8%BF%91

そして、いずれも物語上の架空の人物と思われる。

そして、その「対決シーン」でも微妙に脚本に違いがある。

今回みた里見浩太朗バージョンの「忠臣蔵」では、その東下の目的が「禁裏の御用にて東叡山寛永寺に寄進に参る」と言っている。

これに対し、片岡知恵蔵バージョンでは、「主人の名代とし、芝増上寺に寄進の品々を採用し罷り下る」と述べている。

と、行き先も「寛永寺」と「増上寺」と違うがいずれも徳川家の菩提寺である。

また、「寄進の目録」を見せよと言われて内蔵助が差し出すのが前者は巻物、後者は書状となっているが、巻物にするほど寄進の品々があったのだろうか?

さらに、最後にお互い「和解」して内蔵助に渡すのが前者は紋の入った陣笠であり、後者は「九條家御用」と書かれた「身分証」である。

この、シーン垣見(立花)がかたわらの荷物の定紋(丸に違い鷹の羽である浅野家の家紋)にハッと気がついたりするのが主流だが、内蔵助が「これが身分証」と言って内匠頭の短刀(ちいさがたな・九寸五分)を見せたり、連判状または位牌を見せたりといろいろある。

そして、情けを受けた内蔵助は堂々とお礼も言えないので「武士は相身互い。よくよくのご事情があってのこととお察し申す」と言ってお礼とする。等まさに「武士の情け」を地で行くシーンであり憲さんなんかグッときてしまう。

ところで、この「垣見」バージョンと「立花」バージョンであるが、あるコメントではふるいものほど「立花」で新しくなるにつれて「垣見」となるらしいが憲さんちょっと腑に落ちない。

それは「垣見五郎兵衛」という名前である。

もっというと「五郎兵衛」とは百官名(称号)なのか?ということである。

百官名(ひゃっかんな)とは、家系や親、本人の官職名を通称として用いることを言う。仮名(けみょう)の一種である。

参考

【百官名】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BE%E5%AE%98%E5%90%8D

大石内蔵助の「内蔵助」も大石主税の「主税」も浅野内匠頭の「内匠頭」も立花左近の「左近」も千坂兵部の「兵部」も全て百官名である。

確かに「権兵衛」は百官名であるが、だから「五郎兵衛」も百官名なのだろうか?

参考

【権兵衛】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%A9%E5%85%B5%E8%A1%9B

おそらくそうなのだろう。

しかし、「五郎兵衛」というと百姓の名前を想起してしまう。

御存知の通り、武士はむき出しの「諱(いみな)」を通称するのを嫌う。まさに「忌み名」であるのが当時の常識である。

なので、お互い百官名(通称)を用いて呼びあっていた。

以前、憲さんこの諱問題について家康の「方広寺鐘銘問題」と絡めて・・・

憲さん随筆アーカイブス ifの日本史 方広寺鐘銘問題は徳川家康のインネンか?
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-e83c73.html

で、論じている。

引用する。

以下

それは「諱(いみな)」問題である。

参考

【諱】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%B1

諱とは、「実名は顕(あらわ)にはしてはいけないという、日本において古来『人の名を呼ぶことは魂を奪うこと』という言霊(ことだま)信仰」の観点からきている。

なので、当時は実名を避けるべく称号が発達したのである。

例えば、大岡「越前守(えちぜんのかみ)」、浅野「内匠守(たくみのかみ)」、吉良「上野介(こうずけのすけ)」、これはすべて官職の称号である。

なので、家康の場合は「内府様(だいふさま)」が普通であり、もし「家康様」などと言おうものなら、即刻打ち首ものである。

これが、当時の常識であり、このような中で、いくら「かくし題」といっても「家康」という実名をむき出しに鐘銘に書かれればそれを問題にするなというほうが無理な話なのである。

なので、家康方がこれを豊臣方の「挑戦」と受け止めるのもあながち「インネン」や「こじつけ」の類いではないのである。

以上、引用終わり。

なので、「垣見五郎兵衛」などは剥き出しの名前(諱)っぽくて憲さんとしてはしっくりこないのである・・・

これは、武家が現代の小学生の体操着の名札のように本名をさらしているようで、宿の門に堂々と「垣見五郎兵衛様御泊宿」等と書くのだろうか?とちょっとしっくりこないのである。

それも「五郎兵衛」とはあまり武家らしくないし。

で、さらに調べてみた。

するといた!

歴史上の人物に「五郎兵衛」という人が!

それが市川五郎兵衛である。

この人、ウィキペディアによると戦国時代の武士で江戸時代前期の新田開発者らしい。

で、次が重要であるがこうある。

「諱は真親。幼名は市左衛門」

参考

【市川五郎兵衛】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E4%BA%94%E9%83%8E%E5%85%B5%E8%A1%9B

ということでこの人は・・・

「大石内蔵助良雄」に倣って呼ぶのであれは、「市川五郎兵衛真親」ということになる。

ということで、「五郎兵衛」とは「百官名」の通称であり問題はないようである。

でも、憲さんはやっぱり武家らしい「立花左近」の方がしっくりくるんだよな〜。

ちなみに「左近」とは「左近衛府」の略であり、バリバリの「百官名」である。

参考

【近衛府】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E5%BA%9C

ということで、忠臣蔵のエピソードは作り話とわかっていても楽しいよね〜ハート

憲さん大好きハート

また、機会があったら忠臣蔵について語りたいとおもいます!

皆さんの好きな忠臣蔵のエピソードやシーンは何ですか?

(´艸`)くすくす

どーよっ!

どーなのよっ?

Σ( ̄□ ̄;)ハッ!

図書館で『忠臣蔵』のDVD借りよっと!

( ̄ー ̄)ムフフ
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