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2022年11月12日20:55

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『鎌倉殿の13人』第42回「夢のゆくえ」

 北条時政を追放したあたりから相手方の視点でストーリーが展開していて、むしろ、北条義時は敵役みたいな描写になっているのだった。和田合戦ももっぱら和田義盛サイドから描かれていたと思う。今回も大きくなりすぎた義時の影響からなんとか脱して独自路線を敷こうとする源実朝の奮闘ぶりが印象に残る。

 まず最初に手をつけるのが税の減免である。仁徳天皇の昔から、税は安いに越したことはないに決まっている。もちろん、行政府としてもやりくりはあるから、むやみに減免はできないので、持ち回りで取り立てしない領地を決めてみたところ、選ばれなかったところから苦情がきてしまう。
 負担軽減はいいとしても、公平さを担保できなければ反発を招きかねない。別に自分の損にはならないとはいえ、隣人が贔屓されて得しているように見えれば納得いかないのが人の性といえるし、そのあたりの機微も踏まえながら滑らかにことを進めるのが政治の要諦ともいえるわけで、たしかに若気の至りと難じられても仕方ない施策である。

 次いで、朝廷から派遣されてきた中国の技術者に船を建造させる。この件は実朝と義時を離反させようとする朝廷の思惑も絡んで、やや複雑な様相も見せているのだけれど、これも進水に失敗してしまう。
 無難にお寺でも建立して見栄えのする坊さんを連れてくればよかったのだろうけれども、なまじ機能を求めた結果、それが果たせない場合に失敗が際立つこととなってしまった。マスメディアが存在しなかった時代、浜に放置されたまま朽ち果てていく巨船の姿は、実朝の挫折を雄弁に語ってあまりあったと思われる。
 なぜ船を選んでしまったのか、効果のほどが明らかでないお寺に飽き足らなかった、当時の鎌倉武士の気風のせいかもしれない。

 まだ若いお坊ちゃんなので、実朝はすっかりもろもろ嫌気がさしてしまった。そこにつけこんで義時は実朝を実権のない立場へ棚上げしようとするのだが、これには実母・北条政子の励ましも得て家督を皇室から迎えた養子に継がせ、自分は大御所として政務を執ることで対抗しようとする。

 ちょっと興味深いのは、義時との関係は変わらなくても、名目上のトップから降りることで、むしろ、より実務において力を振るえるような雰囲気がなんとなくあることだった。このあたりは、院政の影響かもしれないし、古来からの権威と権力の関係によるものかもしれない。
 それから、対抗する有力御家人がいなくなった結果、いよいよ紛争が北条家内部へ移ってきていて義時と政子がじんわりと対立しつつある。そこへ実は後鳥羽上皇が割りこもうとしているのだから、実は水位がかなり危険なまでに上昇してきているのだった。

 その動きに対抗させるため北条が呼び戻したのか、源頼家の次男で実朝の養子にもなっていた公暁が鎌倉へ帰ってくる。となると、今回は妙におとなしかった公暁の乳母夫である三浦義村の蠢動が予想されるのだった。

 後白河上皇の亡き後、姿を見せていなかった丹後局が鎌倉まで下向してきて政子と対面する。ともに巨大な存在に寄り添った同士の語らいだけれども、政子はまだ腹を括り切れていないと叱責されるのだった。とはいえ、結末を知った上で聞くこの時点での「4人の子どものうち、3人を失いました」という台詞は悲しい。
 さらにまた、最後にはその後の時政のエピソードが描かれ、ナレーションでその死も語られる。序盤を彩った人物たちの最後の顔見せといえようか。今いる面子でラストスパートを駆けきるという予兆のような幕切れだった。

 オープニングのクレジットに磯山さやかの名前を見た時には驚いたけど、時政の面倒を見る地元の女の役だった。ああいう年下の勝気な女性に、ちょっと邪険なぐらいにうざ絡みされたいというのが、おじさんの抱きがちな夢想といえる。そういう意味では、絶妙な配役だった。

 あと、Suicaのチャージを京浜急行の駅でやったら、三浦半島の観光パンフレットで三浦義村をフィーチャーしていて、山本耕史のインタビューまであった。

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