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2022年09月25日19:18

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『ディープヨコハマを歩く』を読む

 カタカナのヨコハマとか、ちょっと洒落た横濱という表記とか、あるいは浜っ子という字面を見るとつい身構えてしまう。横浜ブランドというものの意外な強固さにたじろぐ思いがする。
 真偽のほどは定かでないけれど、「港北区が横浜を名乗っているのはなあ」と言った磯子区の人間がいたらしい。きつい話である。

 たしかになまじ海に面している磯子あたりは最もこじらせそうな感じである。これが、中区や西区の自らが浜っ子であることに疑問のない地域なら、わざわざよそを腐してまで自分が横浜に属することを確認する必要はない。ポン・ジュノ監督の『パラサイト 半地下の家族』でも底辺の家族同士が壮絶な足の引っ張りあいを演じていたが、当の豪邸に住む上流の家族は自分の家でそんなことがくり広げられていたこと自体を知りもしなかった。
 一方、青葉区あたりなら渋谷の方が身近だろうから、手続きに行く役所は別として横浜市に帰属意識はうすいと思われる。

 横浜に住んでいたこともあるけれど、そんなにたいそうなところかという疑義はずっとある。たとえば、往年の横浜らしさを残しているのは西口の五番街というけれど、あのあたりはけっこう雑然としてごちゃついている。
 桜木町から伊勢佐木や日ノ出町や黄金町へ足をのばすと言わずもがなの風俗街である。
 もちろん、馬車道や外国人墓地や港の見える丘公園や中華街や赤レンガ倉庫や横浜三塔(キングこと神奈川県庁、クィーンこと横浜税関、ジャックこと横浜市開高記念会館)、みなとみらいなどどこへ出しても見劣りせず映えるビューポイントもある。しかし、それは行政区画としては実はけっこう広大な横浜市からすれば、ごく一部の針の先のように狭小な領域にすぎない。その一帯を生活圏として暮らしているような、どこからも文句の出ないような浜っ子となれば、それこそごく一握りということになる。

 自分にとって最も横浜らしいと光景といえば、野毛の近く吉田町で道路を封鎖し路上でいくつものバンドが演奏する催しがあった時、そこで楽器を操っているのは外部から招いたアーティストではなくて、ほとんど地元の人間だったらしいところだった。あのあたりはライブハウスも多く、音楽とは聴くものというより自分でやるものだという感覚が当たり前にありそうだった。そういうところは、あまりないと思う。

 建造物はともかくとして、リビング・カルチャーとしての横浜のそれは圧倒的に占領軍文化なのである。だから、そんなに洗練されたものではない。むしろ、悪食といっていいぐらい新しいものを無分別に取り入れることこそ、横浜っぽいと思う。横浜出身者同士の対談で横浜らしさを語る場合でも、だいたいそういうところに落ち着くことが多い気がする。
 もっとも、そうすると売れるものの単価を上げられないから、広告代理店としては明治の開港期由来のいかにも手のこんだ瀟洒なアイテムを推してくるけれども、それは実際の横浜の雰囲気とはあまり重ならない。
 そういう意味で言えば、前述の磯子区の人間の発言も、横浜近くに住みながら横浜そのものよりも、広告代理店が作ったイメージにもっぱら依存している気配はある。

 前置きが長くなったというか、ほぼ前置きが本論になってしまったけれど、そういう横浜に対する苦手意識を少しは緩和できないかと思ってダウンロードしたのがタイトルの本だった。
 表記はカタカナの横浜だけれど、時代を大胆に行き来しながら横浜各地の歴史を述べていく語り口が達者で引きこまれた。そこでの横浜は親しみやすくざっくばらんで、いくつかは自分にとって身近なところもあり、たしかに自分はここに住んでいたこともあったなと懐かしかった。

 路線図にそった地理の知識しかなかったので、川崎というと横浜の先にあるという認識だったのだけど、ある人から歩けばけっこう近いと教わって、実際に歩いたところ、なぜかたどりついたのは鶴見だった。
 その後、ルートを開拓し、川崎まで何度も歩くようになったけれど、同じくらい縁のできた(ような気がした)鶴見にもよく行った。師岡のトレッサ横浜を横目に見ながら、獅子ヶ谷に入り、寺尾の尾根道をずっと進んだ。
 神戸から関東に出てきた淀川長治が住んだのが鶴見だというのは、本人のエッセイにあるけれど、具体的にどこかは分からなかった。この本を読んで寺尾から少し外れたところだったと知った。
 震災の日は鶴見へホルモンを食べに行こうとしていた。まだずっと手前のところで地震があったのに、呑気にホルモンを食べるつもりで停電で信号も止まっているところを歩き続け、駅前まで行ってさすがに営業していないとわかって、また来た道を引き返したのを思い出す。

 綱島から桜木町の市立中央図書館まで30回以上は歩いて通ったけれど(3時間ぐらいかかった)、その途中にある白楽は岸恵子や草笛光子の出身地だったらしい。知っていれば、また違った景色に見えていたと思う。

 みなとみらいは三菱造船所だったのもこの本で知った。ランドマークタワーは高さではあべのハルカスに抜かれたけれど、なんとなくそれなりに存在感を維持しているのは、みなとみらいというネーミングやら横浜というブランドによるところがある気がする。

 暇ができたらまた横浜を歩いてみるのも悪くないと思うのだった。

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