※画像はくだんの古文書
憲さん、すごいアプリを発見した!
それは、古文書のくずし字を読み取れるアプリ!
その名も『みを』!
このアプリ、機械学習で古文書のくずし字を読み取れる無料のアプリだ!
アプリの名前は源氏物語の第14帖「みをつくし」にちなんで命名されたそうである。
参考
↓
【澪標 (源氏物語)】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%BE%AA%E6%A8%99_(%E6%BA%90%E6%B0%8F%E7%89%A9%E8%AA%9E)
それが、こちら!
↓
機械学習で古文書のくずし字を読み取れるアプリ「みを」、正式公開
https://k-tai.watch.impress.co.jp/docs/news/1347278.html
歴史好きの憲さんにはもってこいのアプリである!
早速憲さん、スマホにインストールして使ってみる!
そのテストに使ったのが冒頭に掲げた画像の古文書である。
そもそもこれは何語の何文字なのか全く解読不能である。
毛筆のくずし字で書かれており、一文字一文字漢字だと言われても、なんの漢字だか全く判然としない!
昔の人はよくこんな文字が読めたものだと感心する!
そこで、この文書をくだんのアプリに取り込んで読解させてみる。
それで出てきたのがこれだ!
以下、アプリが読解した文章
入申一花之事
一無皮組頭老白の相そ申弐義右巻麻御及を
番衛年雲御巻貝喜役出茂但雨軸足
進す段あ願申ゆ津も早迚御引取成諸根やも
を家国巳佐所少茂相違無御座候
巻のもゆ戸出浅少茂を降
うんにゃ?
なんじゃこれ?
ダメじゃん!
全くもって意味不明だ!
理解できるのは「御座候」だけである!
早速、答え合わせをしてみる。
先程の古文書の翻刻は以下である。
参考
↓
くずし字翻刻(テキスト化)
http://codh.rois.ac.jp/char-shape/transcription/
以下、翻刻。
入置申一札之事
一此度組頭惣百姓相願申候義者貴殿御役義
御勤之儀候年来御年貢諸役出銭帳面勘定
仕度段相願申候得者早速御承引被成諸帳面
等不残御出し被成勘定仕候所少茂相違無御座候
以上、翻刻終わり。
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
全然違うじゃん!
やっぱり無料のアプリじゃ駄目なのでしょう!
(´Д`)=*ハァ〜
しかしこの文章、ひらがなは「し」の一文字でほぼ漢文である。
しかし、ここまでくるとうっすらと意味が読み取れる。
ということで、さらにこれの読み下し文も掲出しておく。
以下、読み下し文
入れ置き申す一札の事
一、このたび組頭・惣百姓あい願い申し候(そうろう)義は、貴殿御役義(儀)御勤めの儀に候。年来御年貢・諸役出銭帳面勘定
仕(つかまつ)りたき段あい願い申し候えば、早速御承引成され、諸帳面
等残らず御出し成され勘定仕り候ところ、少しも相違ござなく候。
以上、読み下し文終わり。
見間違うことない、典型的な文語体の「早漏文」ではなく「候(そうろう)文」である。
(´艸`)くすくす
参考
↓
【候文】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%80%99%E6%96%87
ここまでくればほぼ理解できよう。
念のため、最終的な現代語訳を載せておく。
以下、現代語訳。
【現代語訳】
入れ置き申す一札の事
一、このたび組頭・惣百姓(春日氏領の戸主全員) からお願い申し上げたのは、あなた (名主又市) が務めている名主の職務に関わることでした。すなわち、あなたが年来、年貢をはじめわ れわれ(組頭・惣百姓)のさまざまな負担・支出の金額等を記録してきた帳面類の記載内容を確認させてほしいとお願いしました。すると、あなたは早速御承諾くださり、お持ちの帳面を残らず見せてくださいました。そこで、私どもが帳面に記載された数値に間違いがないかどうか計算し直したところ、少しも間違いありませんでした。
以上、現代語訳終わり。
そしてこの文章、驚くことに名主の又市殿に宛てた儀助や伝七等「一介の」百姓が書いたものなのである。
すなわち百姓同士の書簡である。
私たちは江戸時代の百姓というと「時代劇」のイメージからか「無学で読み書きが出来なかった」という先入観にとらわれていないだろうか?
実は憲さんも以前はそうであった。
しかし、実際には違うのである。
江戸時代の百姓はこの文章でも書かれているように、名主(村運営の最高責任者で百姓のリーダー)は年貢(封建領主が農民に課した租税)の賦課・徴収の実務を担う責任者であり、封建領主と百姓の間にいる、今でいう経営者と労働者の間の「中間管理職」のような存在であった。
参考
↓
【名主】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E4%B8%BB
※憲さん邸の近くにある一之江名主屋敷のリンクがはってある!
名主は配下の百姓とのトラブルを未然に防止するために毎年帳簿を作成・保存し、百姓からの閲覧要求があった場合は帳簿を公開した。
なので、百姓のリーダーである名主には高度な計算能力と、高度な事務処理能力が必要であった。
また、その配下の百姓のほうも名主から開示された帳簿の記載内容に誤りがないか確認するためには相応の識字力と計算能力をもっていなければならず、実際に江戸時代のかなりの百姓は自ら帳簿を作成し、文章を残しているのである。
その一つの一部が前掲出の文章である。
実は、この古文書の出処が、憲さんが先日読んだ渡辺尚志著『言いなりにならない江戸の百姓たち』という歴史学者の書いた本である。
参考
↓
言いなりにならない江戸の百姓たち - 「幸谷村酒井家文書」から読み解く
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-08-EK-1086056
前出の文章は、この著者の住む千葉県松戸市の現在の住所でいうと松戸市幸谷、当時の下総国葛飾郡幸谷村の酒井家に伝わる文書(酒井家文書)のひとつであり、酒井家はこの土地の有力百姓であり名主を永く務め、歴代当主は「又市」などと名乗っていた。
それにしても、「一介の」と言ったら失礼だが、農作業に従事する下総台地の「片田舎」に住む「百姓」がこれだけの識字力があったとは心底驚きである。
それも、今でいうところの「代書屋」に代筆させているのではないのだ。
参考
↓
【代書屋】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A3%E6%9B%B8%E5%B1%8B
自らの手で書いているのだ!
相当インテリである!
この、江戸時代の百姓や町民の知的水準を支えていたのが「寺子屋」である。
参考
↓
【寺子屋】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BA%E5%AD%90%E5%B1%8B
江戸時代は前述のように庶民に関わる事案にまで「文書行政」が発達しており、百姓をはじめ庶民はこれら文書行政に対応するために「読み・書き・そろばん」を寺子屋(手習所)で学習したのである。
これらは、現在でいう「義務教育」ではなかったが、村の寺の住職や神社の神官等が本業の傍ら安価で子供たちを教育したのであり、それが当時の庶民の知的水準を底上げしていた。
なので、江戸時代の庶民の識字率は同時代の諸外国に比べても相当高かったようである。
参考
↓
9月8日は「国際識字デー」なぜ日本は識字率が高い国になったのか
https://hirameki.noge-printing.jp/international-literacy-day_191016
それにしてもこの、ミミズがのたくったようなくずし字を当時の識字力がある人はちゃんと読めたのである。なんとも驚きだ!
現代人には到底特別な訓練をしなければ読むことは不可能である。
逆に当時の識字力のある人たちは現代の活字を見て読むことができるのであろうか?
それは、興味深いことである。
と、ここまでがいつものように長い小三治師匠ばりの「憲さんマクラ」である。
参考
↓
『ま・く・ら』
https://news.kodansha.co.jp/20150713
・・・・・・・・・
話がガラッと変わる。
「今日までのあらゆる社会の歴史は、階級闘争の歴史である」
これはマルクスとエンゲルスが1848年に著した『共産党宣言』の第1章「ブルジョワとプロレタリア」の有名な冒頭の一節である。
参考
↓
【階級闘争】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%9A%8E%E7%B4%9A%E9%97%98%E4%BA%89
【共産党宣言】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%85%B1%E7%94%A3%E5%85%9A%E5%AE%A3%E8%A8%80
この言葉が指し示すことは、極東の国日本の封建制社会であった江戸時代においても例外ではなかった。
階級とは、その社会における生産体制のなかで占める地位の違いや、生産手段をもっているかいないかの違いなどで区別される人間の集団のことであり、奴隷制社会では奴隷主と奴隷、封建制社会では領主と農民、資本主義社会では、資本家と労働者というように、階級社会では、二つの大きな階級があり、対立している。この対立と闘争のなかで歴史が発展していく、という見方が唯物史観である。
参考
↓
“階級闘争”の考えは古いか?
https://www.jcp.or.jp/akahata/aik3/2004-10-21/2004-10-21faq.html
【唯物弁証法】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E7%89%A9%E5%BC%81%E8%A8%BC%E6%B3%95
封建制社会における二大階級は「領主」と「農民」である。
しかし、日本の江戸時代の農民はやはりこれも「時代劇のイメージ」を引きずって「百姓は武士(封建領主)に対しては服従するだけで無力な存在であった」と私たちは思い込んではいないだろうか?
そして、その被支配階級である百姓が我慢に我慢を重ねて「爆発的」に暴発し行き着く先が「百姓一揆」であり、しかしそれは敵対階級である領主である武士にその力は向かわず、豪農や商人などに対して打毀(うちこわし)を行う形で現れると考えるのが一般的であろう。
参考
↓
【百姓一揆】
https://kotobank.jp/word/%E7%99%BE%E5%A7%93%E4%B8%80%E6%8F%86-120956
しかし、実際にはそんな単純なことではなかったのだ!
驚いたことに江戸時代の百姓たちは日々支配階級である領主に対して階級闘争を挑み闘っていたのだという!
それがこの本には克明に書かれている。
それが、安永2年(1773年)にくだんの幸谷村の領主である春日氏の幸谷村を含む6つの領地の百姓が連名で春日氏の親類に出した願い届けである。
これは一足飛びで現代語訳で掲出する。
以下
現在、矢嶋応輔(おうすけ)殿が殿様(春日兵庫)の御用役(旗本の中核的家臣)を努めていますが、応輔殿がこのまま勤続しては殿様のためにならないばかりか、村々の迷惑にもなると存じます。その理由は以下の通りです。
・・・・・・・・・
以上、引用終わり。
これ以後、ツラツラと御用役である旗本の矢嶋応輔についての不義・不忠、悪事・悪行が「これでもか!これでもか!」と百姓が書いた領主宛の書状に書き連ねられているのだ!
なんと、驚いたことに百姓が封建領主の人事権にまで意見し介入していたというのだ!
まさに「驚き、桃の木、山椒の木」である!
本著にはこうある。
以下、引用。
百姓が武士の罷免を求める
本章では、自らの暮らしを守り発展させるために、領主に対しても敢然と自己主張する百姓たちの姿をご紹介しましょう。
安永二年(一七七三)には春日氏の知行所(領地)六か村(常陸国真壁郡赤浜村、同国新治郡上林村、同小塙村、武蔵国足立郡中野田村、同中丸村、幸谷村の六か村。このとき幸谷村の名主は 又市でした)が共同で、一八世紀後半以降財政赤字が増大して、 安永二年当時約四〇〇両の借金を抱えて苦しんでいた春日氏に対して、その負債内容を村々に公開させたうえで、 支出削減などの財政再建策を、具体的な金額をあげて提案しています。 提案には、春日氏の家臣の人員削減も含まれています。 百姓が、武士のリストラを要求しているのです。 さらに、知行所村々が管理して、収支のバランスを適正化し、確実に財政健全化を図ることとされています。もはや、主が百姓から年貢を搾り取り、それを好き勝手に使うなどということはできなくなっているのです。
以上、引用終わり。
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
これは現代における「自主管理生産」を志向する「闘う労働組合」のあるべき姿と全く重ならないだろうか?
上記の文章をこう書き換えれば現代においても全く通用する内容である!
以下
赤字経営が増大して、 自転車操業を続け苦しんでいる経営者に対して、その負債内容を労働組合に公開させたうえで、 支出削減などの財政再建策を、具体的な金額をあげて提案し、その提案には、経営陣の削減・リストラも含まれています。 労働者が、経営者のリストラを要求しているのです。 さらに、生産を労働組合が管理して、収支のバランスを適正化し、確実に財政健全化を図ることとされています。
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
どうだろうか?
まさに現代に求められている階級的労働運動と重ならないだろうか?
この文章を是非とも御用組合の幹部や労働貴族、そして連合の芳野会長に読んでもらいたい!
参考
↓
憲さん随筆
何が「苦渋の選択」だ! 反労働者の権化、安倍晋三の国葬に参列する「ナショナルセンター」のリーダーなどあり得ない!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-ac6dac.html
そして前述の「矢嶋応輔罷免」の百姓たちの申し出は実現したとこの本には書いてあった。
まさに百姓が勝利したのである!
Σ( ̄□ ̄;)ハッ!
江戸時代の農民のほうが現代の御用組合などよりどれだけ階級闘争を真剣に闘っていたのかを労働貴族は知るべきである!
そういう意味でこの本は憲さんにとって大変衝撃的な本であった。
この本には他にも江戸時代の百姓は訴訟を乱発し闘っていたこと。
また、「江戸時代には百姓たちも皆苗字をもっていましたが、一部の者を除いて、それを公に名乗ることはでき」なかったこと。
参考
↓
江戸時代の人は苗字が無かったってホント?
https://ka-ju.co.jp/column/myoji2/
さらには、江戸時代において百姓から武士への階級移行が支配階級の統治政策として制度化されていたことなど、憲さんの知っていた「江戸知識」がどれだけ浅はかなものだったか思い知らされた!
この学者さんすごいよっ!
まさに江戸時代の百姓は本著の題名通り武士の「言いなりにならない」物言う階級であり、また、「闘う」階級であったのである!
いや〜!
目から鱗!
それも憲さんの実家のすぐ近くの松戸の名もなき百姓たちがそのような行動をしていたのだから本当に驚きである!
生きた歴史とはまさにこのようなものなのだと実感した!
歴史は英雄が作るものではないのだ!
その時代時代を、生きた名もなき憲さんのような庶民、人民が作り上げていくものなのだ!
この本を読んで憲さんは深く考えさせられた!
いや〜!
渡辺尚志先生、これからもこの方の著作を多く読んでみたいものである!
参考
↓
【渡辺尚志】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E8%BE%BA%E5%B0%9A%E5%BF%97
どーよっ!
どーなのよっ?
※『百姓たちの幕末維新』なんかも読んでみたいな〜
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784794218834
( ̄ー ̄)ムフフ
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