※国葬に千人しか参列しなかった山縣有朋。貧相で卑しい面構えである。
憲さんの好きな都内のお花見コースがある。
有楽町線江戸川橋駅を降りて江戸川橋を渡り、神田川の左岸の江戸川公園を神田川沿いに遡上するコースである。
参考
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【江戸川公園】
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bosai/midori/kuritukouen/kouen/edogawa.html
憲さん、今年の春にも行っている。
江戸川公園が切れる辺りの神田川に大滝橋がかかり、しばらく行くと左岸の関口台地に面して豪華な日本庭園を擁したホテルが現れる。
椿山荘である。
参考
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【椿山荘】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%BF%E5%B1%B1%E8%8D%98
現在この椿山荘のある土地は南北朝時代から椿が自生する景勝地だったため「つばきやま」と呼ばれ、江戸時代には久留里藩黒田家の下屋敷があったそうだ。
江戸時代のこの辺りの土地は武家地で、その西隣は幕末には熊本藩細川家の下屋敷で現在は肥後細川庭園跡が新江戸川公園となり、都民の憩いの場となっている。
参考
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【肥後細川庭園】
https://www.city.bunkyo.lg.jp/bosai/midori/kuritukouen/kouen/higohosokawa.html
また、神田川を挟んだ向かい側は早稲田で文字通り田圃が広がっていた。
この椿山荘、憲さんの記憶では庭園に無料で入れ散策できる。
春の花見の季節は得も言われぬ美しさだ。
参考
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ホテル椿山荘東京の桜
https://hanami.walkerplus.com/detail/ar0313e377373/
明治になってこの武家地を買い取ったのが明治の元勲山縣有朋である。
山縣は西南戦争の功による年金で購入したその土地を「椿山荘」と命名して趣味である作庭を行ったのだ。
憲さんから言わせたら、あのような腹黒い人物があのような美しい庭園をよく作れるものだと不思議に思うが、そもそも日本庭園の作庭など大名か成金など権力者のいやらしい趣味であるといってしまえば身も蓋もなくなる。
この椿山荘のオーナーであった山縣有朋の話である。
この御仁、いわゆる「明治の元勲」と言われており、日本の近代化に多大な功績があったとされているが、憲さんから言わせれば明治の元勲の中でも一番いけすかない輩である。
山縣は「大日本帝国陸軍」を作り上げた人物である。
そして、何よりも憲さんが心を寄せる1884年(明治17年)に起きた「秩父蜂起」を鎮圧し弾圧した張本人である。
秩父蜂起では、結果として山縣が総理の明治政府によりその幹部は暴徒として多くの刑死者を出したのだ。
参考
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憲さん随筆アーカイブス 憲さん歴史夢紀行 『秩父龍勢祭りへ聖地巡礼』 憲さん、秩父蜂起の聖地を巡る!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/10/post-b8d428.html
そして、何よりもこの輩その精神が卑しく腹黒い。
それを表して余りあるのがいわゆる山城屋和助事件である。
参考
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【山城屋事件】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%9F%8E%E5%B1%8B%E4%BA%8B%E4%BB%B6
これは明治5年というからまだ西南戦争前、日本陸軍創成期の時分に陸軍トップの山縣を中心とした陸軍省の一大疑獄事件であった。
これについてはこのサイトを参考にしてもらいたい
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1872年に日本人がパリを豪遊した
「山城屋和助事件」を知らないとヤバイ! 原田 伊織
https://diamond.jp/articles/-/117677
山縣はこのように公金を私物化し蓄財した金であの椿山荘の庭園を作っていたのである。
そういう意味であの椿山荘はその美しさとは裏腹に、その作庭の主人はどこまでも醜く汚物にまみれた精神の持ち主だったのである。
結局、この疑獄事件は薩摩の西郷隆盛の助け船により山縣の政治生命は絶たれることなく、奴は死ぬまでその権勢を振るうのであり、それがまた近代日本の悲劇でもあったのであろう。
と、今日もここまでがマクラである。
この山縣有朋、このような歪んだ精神の持ち主であるからその相貌にもその卑しさが表れている。
いかにも貧相で卑しい顔つきではないか!
しかしこの輩、あろうことか日本のトップである総理大臣となっているのだ!
それも第3代と第9代の2回もである。
伊藤博文(長洲)にせよ、黒田清隆(薩摩)にせよ、松方正義(薩摩)にせよ、この山縣有朋(長洲)などを見ても日本の歴代の総理大臣はろくな者がいないのが定説である。
とりわけこの山縣は民衆の評判がすこぶる悪かった。
何せ、秩父蜂起の弾圧をはじめ自由民権運動を敵対視し、それらを弾圧していった張本人だったからである。
それらについてはこちらの本を読めばよくわかる。
参考
↓
『山県有朋 愚直な権力者の生涯』書評
https://www.keiomcc.com/magazine/review77/
この書評では山縣をこう評している
以下、引用。
「力の秩序」の信奉者
山県が、「陰気」「狡猾」「策謀家」と称される理由は、彼が「力の秩序」の信奉者であったことに起因する。「自由」「民主」「個性」「創造性」etc. 現代社会に生きる私達が無条件に受け入れている普遍的価値観に対して、山県は死ぬまで不信感を持ち続けた。自由民権運動を弾圧し、政党政治を嫌い、教育勅語や軍人勅諭を制定して、民衆に考えさせることを否定した。
以上。
このような「民衆に考えさせることを否定した」人間が総理大臣となっていたのである。
まさしく明治政府の藩閥政治の弊害であり、それは当時も現在においても否定され唾棄すべき政治家であって然るべきであろう。
なので憲さんこの本の『愚直』とは「揶揄」を含めて評していると受け取った。
しかし、この書評を書いた人物はこうも書いている。
以下、引用。
一方で、陸軍の実質的な創設者となると、長州閥と呼ばれる子飼いの軍人を使って権勢を振るい、その力を背景にして、山県系官僚と呼ばれるテクノクラートを掌握していった。日本の近代化には、軍事力の強化が第一義であると信じ、その障害となる民衆運動や政党活動、議会の動きを、時に弾圧し、時に骨抜きにし、時に出し抜いていった。それを、軍国主義、強権政治、集権国家体制と呼ぶことは出来るが、彼がそこまでしてやり抜いたからこそ、明治日本の近代化は実現したとも言える
維新からわずか40年で日露戦争に勝ち、極東の遅れた島国であった日本が、帝国主義国家群の一員に加わるまでの急成長は、山県を抜きにしては語ることは出来ない。現代中国の隆盛の「陰の記憶」として、天安門事件があるように、国家が急激に成長する段階で、時に民衆の声を押しつぶすことは歴史が教えてくれる。この時代の日本には、山県の信じた「力の秩序」が必要だったのかもしれない。
以上、引用終わり。
驚いたことにこの評者は中国の天安門事件まで引き合いに出して「国家が急激に成長する段階で、時に民衆の声を押しつぶすことは歴史が教えてくれる」とそれを「是」としているのだ。
そんなことまでしてなされた日本の「近代化」「急成長」を無批判に肯定している。
驚くべき「思考停止」ではないであろうか?
この評者はその後の歴史かどうなったか知らない訳ではあるまい!
これを書いた評者がどのような御仁か知らぬが、慶應義塾大学のサイトである。
慶應義塾のその「学問」の中身も「推して知るべし」である。
参考
↓
憲さん随筆アーカイブス 福澤諭吉著作『學問のすゝめ』は読むに値するのか?
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-275d3a.html
話を戻す。
何でこんな話を書いたか?
昨日の東京新聞の本音のコラムに前川喜平さんが「不人気国葬の記録」と題して面白い文章を寄せていたからだ。
短いので全文採録する。
以下。
戦前最も不人気だった 国葬は山縣有朋のそれだそうだ。一万人収容できる会場に千人ほどしか来なかったという。安倍元首相の国葬(国葬儀)には最大六千人程度の参列者を想定しているそうだが、山縣の不人気記録を 更新しないことが政府の最低目標だろう。
国葬への案内状は、国や自治体の関係者、海外の要人などに加え「各界代表」にも幅広く送られたらしい。その一人、演出家の宮本亜門さんはツイッターで「どうしてこれが僕に?」と投稿。「もちろん私は行きませんが」と欠席の意志を明らかにした。 案内状が何人に送られたのかは知らないが「歩留まり」は相当低いだろう。
とにかくこの国葬は不人気だ。時事通信が九〜十二日に行った世論調査 では、反対51.9%に対し賛成は25.3%しかなかった。こうなると欠席のリスクより出席のリス クの方が大きくなる。
「なぜ欠席したか」ではなく「なぜ出席したか」が問われるからだ。明確な賛否の意見を持たない人は、リスクの低い欠席 を選択するだろう。
そんな中で連合の芳野友子会長は出席の意向を表明し、「労働者代表として出席せざるを得ない」「苦渋の判断だ」などと述べたが、要は本人が出席したいのだろう。
因みに僕のところへも案内状が来たが、何の苦渋も感じることなく欠席の返事を出した。(現代 教育行政研究会代表)
以上。
前川喜平氏と言えば安倍晋三とは犬猿の関係にある。
参考
↓
【前川喜平】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E5%B7%9D%E5%96%9C%E5%B9%B3
この前川氏に安倍晋三の国葬の案内状を送る「喪主」である岸田文雄は何を考えているのであろうか?
嫌がらせか?
前川氏は「欠席の返事を出した」そうだが、そのまま屑籠に棄てても良かったのではないだろうか?
(´艸`)くすくす
このように、前川氏や宮本亜門氏のように常識ある対応をする人たちもいるなかで呆れるのは、この国葬に積極的に参加しようという御仁がいることである。
先日はこの随筆でも触れているように連合の芳野友子会長が「苦渋の判断」で出席することを批判した。
参考
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何が「苦渋の選択」だ! 反労働者の権化、安倍晋三の国葬に参列する「ナショナルセンター」のリーダーなどあり得ない!
https://hatakensan.cocolog-nifty.com/blog/2022/09/post-ac6dac.html
もう一人嬉々としてこの国葬とやらに参列を表明した奴がいた。
我らが野田佳彦元総理大臣である。
今朝起きたらこのようなネットニュースが目に止まった。
これである。
↓
野田元首相が安倍氏国葬に参列へ 党最高顧問「私の人生観から外れる」発言で懸念される「立民の分断」と「辻立ち警備」
https://smart-flash.jp/sociopolitics/201399
そこには野田はこう語ったと書かれていた。
「参列の意志を表明したといいます。『元首相が元首相の葬儀に出ないのは私の人生観から外れる。長い間お疲れさまでした、と花をたむけてお別れしたい』と語ったそうです。」
バカか?
こいつは?
葬式でたけりゃこの前やった「家族葬」とやらに行けばよかっただろ?
故人にお別れを述べるなら私費で墓参りでも言って何時間でも述べりゃいいだろ?
今回の「国葬義」とやらは全て国費で賄われ、違憲性の疑いもあり、国民の大半が反対しているまさに「ブラック儀式」だぞ?
それに参列するのか?
憲さんは「立憲」という意味を「憲法に立脚する」と解釈している。
参考
↓
【立憲主義】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%8B%E6%86%B2%E4%B8%BB%E7%BE%A9
なのにこいつは「立憲」の看板しょって、このような非立憲主義的国葬に参列するとのたまうのだ。
「立憲民主」が聞いて呆れるわ!
今問われているのはお前の「人生観」なんかじゃなくて、日本の真の「立憲主義」なんだよ!
それが「立憲」の看板しょって、憲法違反の国葬に参列などちゃんちゃらおかしくて、ここまで来ると天晴れですな!
天晴れ過ぎて、大したもんだよカエルのションベン!見上げたもんだよ屋根屋のふんどし!である。
前述したが、日本の総理大臣とやらになる人物は「ろくな者がいない」というのは現代に至るまで「真理」なのであろう。
野田にせよ、安倍にせよ。
憲さん、何が嫌かって?
こんな輩が高校の先輩面するのもそうだが、こいつの出身地が憲さんの故郷の隣町薬園台だというのが嫌でたまらない!
参考
↓
【野田佳彦】
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E7%94%B0%E4%BD%B3%E5%BD%A6
憲さんの実家にはいまだにこいつから選挙応援依頼の葉書が届く。
最近は県議で弟の野田剛彦からも届くそうだ。
いずれにせよ、政治屋などになる奴はろくな人間がいまい。
今回、この違憲性の高い安倍晋三の国葬とやらに参列する厚顔無恥な連中をハッキリと見極めて、少なくともその中の政治家は次回の選挙でキッパリと白黒つけなくてはなるまい。
憲さんは愛する船橋の名誉を守るためにもそう考える。
どーよっ!
どーなのよっ?
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